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本ブログと「党規約」の関係は「お知らせ・最新更新」のコメント(↓)を参照の事

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2012/2/12 11:19
現在、国会では一票の格差の是正と、(まず国会議員が身を切る改革と称して)国会議員の定数削減などが、党利党略がらみで「議論」がされています。
取り立てて「一票の格差」に関しては、このままでは解散・総選挙を行っても、それが裁判所で示した目安からすれば、違憲状態で行われたとなり、選挙自体が無効だとの判決すら出かねないという事もあり、次の政権を担いたいという政党にとっては急を要する課題の筈であるが、民主党政権も、野党の自民党も、「0増5減」などという殆ど意味の無い小手先の改善で済まそうとしているのが明らかになりつつあり、更には「比例定数80減」などという、国民の民意を意地でも国会議席数には反映させまいと思っているとしか思えない議論まで出ていありさまです。
そこで私は、原点に帰って、そもそも【あるべき選挙制度】という事について、考えてみたいと思う様になりました。
ただ、選挙制度というのは、単純に誰かや何かの基準に照らして「善悪」で決められるものでは必ずしも無く、社会選択論的には、社会構成員の各々が持つ選好基準(目的)に応じて、競争的に決められる側面が有る事を忘れてはならないと思います。そこで建設的な議論を行う為には、現行の「小選挙区」という制度を正当化している「目的」について、その妥当性について検証しつつ、国民的にもミニマム的に合意が可能な「目的」を達する為の、別の目的意識的かつ規範理論的に根拠づけられた制度の可能性について提案せねばならないと思われます。
そこでまず、現行の小選挙区制度が導入された時の議論の経緯を振り返ってみますと、この「小選挙区」制度によって、僅かな支持率の違いでも大きな議席差を齎す「小選挙区」の特性を生かして、国家の基本政策において大きな相違の無い2大政党制度を実現させるという【目的】があった事を、私は思い出します。
この【目的】は、現在の国会での議席状況を見ると、政権交代も実現されて、おおむね達成されたと思われますが、これが結果として国民の多数にとって、政治に対する閉塞感を逆に助長させたという点は、押さえておく必要があると思います。(すなわち何処が政権を取っても同じだという失望感)
更に、この小選挙区制度は、大選挙区とは異なり、各々の地域の代表を選ぶという事で、国民と国政を直結させるなどと言われていましたが、果たして実態はどうでしょうか?
我々が「地域」としてアイデンティティーを持つコミュニティーの規模は、(大都市部はともかく)少なくとも地方においては、小選挙区の区割り規模に比べて、遥かに小さいのが実態であり、とても現在の小選挙区で当選した議員の事を【地域の代表】として意識できる状態とは程遠く、むしろその小選挙区議員を必ずしも支持しない地域住民にとっては、政治への疎外感を増大させているのは、低下し続ける【投票率】にも表れていると考えられます。
これを解決する為に、国会議員の数を何十倍にでも出来れば良いのか?というと、これは元より不可能な要求であり、結論としては「小選挙区」という制度で、地域で日常的に接するコミュニティーと国政をダイレクトに繋げるという考え方自体に、そもそも無理が有ったと言わざるを得ません。
現在、選挙制度改革というと、公明党の主張する「小選挙区・比例代表・連用制」などと言う、より比例の役割(民意の正確な反映)を強化した案やら、そもそも現行の「小選挙区・比例代表・並立制」を導入する際に、対抗案として出されていた「小選挙区・比例代表・併用制」というドイツなどで実施されている基本的には比例制度中心で議席数が決まる制度などが有りましたが、そもそも以上の3パターンに共通するのは「小選挙区」という事に固執している点があります。
しかし、上記で述べた様に、そもそも地域コミュニティーとのダイレクトな連携という意味での「小選挙区」に、実際的には殆ど意味が無いのであれば、何も「小選挙区」には拘らず、現行の行政区である都道府県単位という実情に合わせて複数定員の選挙区でも、むしろ実情には即した制度であるとは言えるのでは無いでしょうか?
私は【具体的な代替案】として、私案ですが【都道府県単位での比例代表制】を提案してみます。
その「目的」としては、現行の小選挙区と並立して存在する…例えば「東海ブロック」という比例代表区が、非常に広域であって、全く地域の代表としての性格を殆ど持っておらずに無意味な区割りであるという批判意識もあります。
そして同時に、小選挙区が地域の代表を選ぶという【幻想】とはキッパリ手を切り、日常的な行政区としてはより身近な都道府県という単位において、数議席〜数十議席を割り振るという事で、人口集中部に於いて特に問題となっている「マイノリティー」の存在にとっても、必要に応じて自分達の代表を国政に送る事で、社会的な弱者にとっての最大効用を考えるという、現代の法哲学における「正義論」にも適った制度にも為りうるという「目的」意識があります。
こうした比例中心の制度を主張すると、必ず言われる批判として、小政党乱立による、政治の不安定化やら、政策の連続性が失われるといったモノがあります。
まずこれに対する反論としては、果たして比例中心のドイツに於いて果たして政治は不安定化しているのか?といった実証的な批判も有り得ますが、社会選択論の原理的には、そこには「協力ゲーム」の理論として、物事を決める際において必ず「勝利連携」という事が生じざるを得ないという意味から、むしろ【政策中心】に各政党間でパーシャルな連携協議が常態化する事が期待されるので、現在の2大政党の下よりも更に活発に【政策中心】の議論が各政党間で為されうるという点と、その「勝利提携」での合意内容に必ずしも十分に納得はしていない社会的マイノリティーにとっても、そこに参加する事によって何らかの「譲歩」を引き出す可能性は産まれて、すぐに社会的な弱者にとっての最大効用とまで直結する所までは行かなくても、その状態の改善に寄与できる【政策】の部分的な実現に道が開かれるという点があります。
そして、国会での法案成立にという政治ゲームの場合、それは(必ずと言っても良い程に)過半数を獲得する事を要求される以上は、協力ゲーム的に言う選択肢数は必ず「賛成」か「反対」かという2つに収斂されますから、社会選択論で言う…中村定理の中村ナンバーの考え方からすれば、決して不合理な選択が為されるという事にはなりません。
更に私の提案した【都道府県単位での比例代表制】の場合、例え都道府県単位とは言え、地域の特性を国政に反映させうるという点においても、単純な全国1選挙区という大選挙区による比例代表に比べても、より優れており、今問題になっている【一票の格差】についても、各都道府県の人口に比例した議席配分を随時行えば、限りなくゼロに近づけられるという利点も有ります。
実は、この私の(現在の)案である【都道府県単位での比例代表制】は、実は今の「小選挙区・比例代表・並立制」が導入される以前の「中選挙区制度」時代において、我が日本共産党が「選挙制度改革案」として政策集として掲げていた案と同じ物であるのですが、埃の被っている過去の政策でも、今こそ抜本的な選挙制度改革に臨んで、真価を発揮できる時代であると思います。
これが、国民的にもミニマム的に合意が可能な「目的」を持つ代替案と為りうる為には、更に1点重要な要素として、日本における憲法の重要性の問題があります。
現在の小選挙区制度では、支持率が仮に51%しかない政党でも、憲法改正の発議を行う事が出来る議席占有率の3分の2は、容易に実現してしまいます。
この「3分の2ルール」というのは、時々の施政や立法から、国民の諸権利(人権)を常に擁護する側面を持つ憲法という存在の持つ性格にとって、社会選択論的に言っても(合理的選択の可能性において)…将来における【独裁者】の登場を防ぐ上で重要にも為りうる「ルール」ですから、これを実質的に議席数反映において無効化する「小選挙区制度」というのは、憲法の改正に課せられた「3分の2ルール」を形骸化させる可能性を持つ、放置したままでは非常に危険にも為りうる選挙制度であるという事を、押さえておく必要があると思われます。
この選挙制度改革案というのが、国民の誰もが等しく享受できる「人権」の擁護という、国民的にもミニマム的に合意が可能な「目的」を持てる可能性が、この憲法改正に関する論点から生じているとも言えます。
まだ選挙制度全体を論じるには、欠けた観点もあるかもしれませんが、私なりに考えた多様な観点から、繰り返しになりますが、私は【都道府県単位での比例代表制】を、我が日本共産党だけでなく、広く一般にも議論に付して貰いたいと思い、今回の記事を書きました。
御意見、御批判等、頂けましたら幸いです。
※追記:
尚、国民の政治参加を妨げる選挙における「供託金」の問題ですが、日本の供託金は、イギリスの33倍、カナダの43倍、韓国の2倍、オーストラリアの60倍、シンガポールの4倍だそうです。
(※参考:http://d.hatena.ne.jp/kamayan/20120121/1327139005)
これ(供託金の没収制度)については、神戸大・上脇博之教授による議論として、供託金という制度が「違憲」だと言う見解もあります。
(※参考:http://homepage3.nifty.com/kenpofaq/jinken/5-6Q4.htm)
国民の政治参加を妨げる供託金は、現状では「比例代表制度」にも有り、これには(減額や廃止を含む)更に一考が必要でしょう。

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2012/1/15 8:10
今、野田内閣では「消費税の増税」を主眼としつつ、その本音を隠す為に「税と社会保障の一体改革」という言葉を用いて、有権者の視点を逸らそうとしており、その事には既に多くの有権者が気が付いているからこそ、野田内閣の支持率は急落しています。
私は今回、あえて仮にも「税と社会保障の一体改革」というならば、「社会保障」に充てられる「税」においては、何を理念とすべきか?…を含めて、税一般について概略的ではあるが議論をしたいと思います。
まず、そもそも【税】とは何か?について、はっきりさせておく事が必要だと思われます。
まず【経済】においては、必ず【資源配分】という側面があるのですが、この資源配分を規定する原理には、市場的原理、互恵性原理(コミュニティ内原理)、(再)分配原理(政府による合意に基づく資源配分)の3つが何らかのウェイトで共存しており、税の問題は(再)分配原理の領域であります。
それは、安易ですがWikipediaでの記述…
【租税 - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%8E
…を読んで頂いても、明らかでしょう。
この【税】の(再)分配機能に着眼して「社会保障」を考える場合に、応益負担(受益者負担)という市場原理と同じ考え方を導入する事は、果たして【公正】な税負担の有り方として、妥当性を有するでしょうか?
少し考えれば誰にでも解る事ですが、そもそも「社会保障」とは、市場原理に基づけばベーシック・ニーズ(生活上必要最低限の所得)にはアクセスできない人々に対して所得を「再分配」する事に意義があるのですから、それを市場原理と同じ応益負担(受益者負担)で財源を賄うという事には、そもそも論理的な【矛盾】が内在しています。
次に、これを前提にして、具体的に一律税率である現代日本の(一般)消費税について考えてみましょう。
(一般)消費税というのは、言うまでも無く、市場において受益する財やサービスに応じて(定率で)掛けられる税金でありますから、主としては【応益負担】の税制であります。
但し、市場において多額の財やサービスを消費できる豊かな人々からは多くの税収を得るという意味では【応能負担】の税制でもあるとは(一応は)言う事も可能でしょう。
もしも高額所得者が、その【収入の全て】を「消費」に充てると【仮定】すれば、この(一般)消費税というのは、累進性も無い替りに、逆進性も無い、単なるフラット・タックスという事になるのですが、それは果たして正しい【仮定】でしょうか?
下記のグラフを見て下さい。

これは日本における所得額に応じた(実効)税負担率について表した(公的機関により)グラフを引用したものですが、所得額1億円を境にして、実効税負担率は下がっている事を表しています。
つまり、収入の内の殆どを生活上の必要最低限のベーシック・ニーズで消費してしまう低所得者は、(一般)消費税でも【応能負担】していると言えますが、高額所得者であればある程に【収入の全て】を「消費」に充てるという【仮定】は成り立たず、所得の一部しか「消費」はせずに、残った所得を【より多い収入】を得る為に、減免課税等が認められている「投資」などに所得を回して、実効税率を下げているという【事実】を、このグラフから読み取れる訳です。
(1/18※追記:所得の分離課税という面も主にありますが)
こうした結論から、消費税というのは主に【応能負担】の税制度というよりも【応益負担】の税制度であるとするのが妥当であり、受益者負担の市場原理を強く反映した制度である事が導かれ、それが一般に言われている「逆進性」という事の根拠にもなっているのです。
よって、最初に述べた事(社会保障を市場原理と同じ応益負担(受益者負担)で財源を賄うという事には論理的な【矛盾】が内在する事)に照らしても、今の野田内閣の進める一律税率を前提にした(一般)消費税の増税に依存した「税と社会保障の一体改革」には、国民の理解が得られない具体的な根拠がある事になります。
では、代替案として、如何なる税制度が「社会保障」の財源として考えられるのでしょうか?
代替案@…所得税の「累進性」の強化
次のグラフを見て下さい。

日本の累進課税制度が、時代を追うに従って弱められてきている事が解ると思います。
果たして、所得税の「累進課税」というものは【歴史的な事実】として、如何なる考え方(規範理論)によって正統化されてきた税制度であって、それが社会的に受容されて定着していた制度なのでしょうか?
そもそも「所得税」における「累進課税」というのは
> 税金はいくら払ったか?
> 額で語るべきでは?
…という考え方を「否定」する事から始まります。
これを単純に「応能負担」という一般用語では納得できないのであれば、現代法哲学(正義論)における考え方の基礎から学ぶ必要があります。
現代【法哲学】と言えば、歴史的に最も有名なのが、ジョン・ロールズ(主著として「正義論」など)に遡らねばなりません。
本当は皆に原典に当たる事を勧めたい所ですが、ウィキペディアでは…
ジョン・ロールズ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA
…に概略の説明はあります。(有名な「格差原理」については一読して下さい)
彼(ロールズ)と、同じ線上で「格差」と「責任」を論じた人物には、他にも…
ロナルド・ドウォーキン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%82%A5%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3
…が居ますが、ここでは彼らの「格差」と「責任」についての考え方の要旨を、私なりに「まとめ」ますと…
本人の「責任」(努力や怠惰)に帰す事の不可能な「格差」(出身家庭環境やら生来の才能等)には、もしそれを是認する為の規範的な原理(公理)が哲学的に確立されない限りは不正義であり(認められるべき物では無く)、それはロールズが「格差原理」と称した様な、「格差」というものが「最も不遇な立場にある人の利益を最大にすること」に寄与する限りにおいてのみ正当化可能だという考え方に集約されています。 (maximin原理の実現)
つまり帰結主義的な所得の「格差」という物に対しては、その【格差の程度】に応じた「責任」が生じるという事であり、これは言う迄も無く、累進課税制度の設計思想そのものの哲学的な表現でもあります。
社会的な「公正」や「規範」という物(正義)に対する真面目な哲学的な結論が、累進課税制度を支える【法哲学的な】裏付け(数学でいうならば公理)としてあるのです。
こうした考え方は、本人の責任に帰す事が不可能な不遇な立場を、正当だとは見なさないという考え方が【既に歴史的に確立してきた事実】となっている現代においては…社会的に主流とも言える考え方にマッチしたものではないでしょうか?
こうした観点から、私は、代替案@として、一旦は弱められてきた、所得税の「累進性」の強化を訴えます。
「社会保障」という観点で付言するならば、この「累進課税」を強化する方向で、将来における【代替的】な福祉の基本となる【負の所得税】=ベーシック・インカムなども、大いに議論して、人々が社会生活において必要とされるベーシック・ニーズにアクセスできる権利を【新たな人権】として、確立していく事をも展望すべきでしょう。
代替案A…(一般)消費税の財やサービスに応じた個別税率化による物品税化
現代日本の消費税は、その最大の【弱点】として、タバコや酒類など特定の商品を除けば、一律税率にしてあるという問題点が挙げられます。
これは主に「財界」やら「業界団体」の意向を反映させたものだと思われますが(自分の業界の税金は上げられたく無いというエゴイズム)、これを克服して、生活上のベーシック・ニーズに必要な財やサービスに関しては、無税もしくは低率に留め、単価にして高額(高級)な商品やサービスに対する税率を、高く設定する事によって、社会保障を市場原理と同じ応益負担(受益者負担)で財源を賄うという事による論理的な【矛盾】を回避するという手段です。
これは、既に北欧(ノルウェー・スウェーデン・デンマーク)などの、高福祉国家においては、導入されている実績のある制度です。
消費税 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B6%88%E8%B2%BB%E7%A8%8E
現在、野田内閣は一律税率による(一般)消費税の増税を図っていますが、それはこの様な海外の詳細な制度設計は充分に承知していながらも、それを図る事が、主に「業界団体」などによって強い反対を受ける事を予想した、単なる「手抜き」か、国民の生活よりも財界の御機嫌取りにばかり目が向いている事の証左では無いでしょうか?
代替案B…法人税の「累進税」化
現代の法人税は、企業規模(売上高)や純益額に左右されない一定税率が課せられています。
これを、零細企業に「増税」するなどと言えば、新規の設備投資の抑制やら不況やらに拍車を掛ける事になるでしょうが、中小国家の国家財政並の内部留保(将来の運営資金やら設備投資用に蓄積された余剰ストック)を持つ巨大企業に対して、公表している純利益に対する「税率」を「累進税」化した所で、それはむしろ社会通念上も【応能負担】として容認されるべきではないでしょうか?
日本の「法人税」は高いなどと言われていますが、決してそうでは無い事は、下記のページを見ても明らかです。(各種の減免制度を考えれば、むしろ大企業である程に低いというのが結論です)
法人税 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B3%95%E4%BA%BA%E7%A8%8E
代替案C…相続税の強化
私個人としては、人間が【世代間】で、受ける事の出来る教育投資にまで格差が生じさせてている、家計の初期所有に格差があるのは、機会均等の原則にも反していると思うので、相続税など(障がい者の子供を持つ家庭などを除けば)一律に【100%】でも良いとまで思っているのですが、そこまで一気に実現する事は困難であっても、小規模な家族経営の店舗と、大規模の巨万の富を持つ者には、もっと「格差」を付けて当然ながら【応能負担】の原則が適用されてもしかるべきだと考えます。これも社会通念上も許容されうる「増税」ではないでしょうか?
相続税 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B8%E7%B6%9A%E7%A8%8E
代替案D…固定資産税(の内の土地へ)の累進課税化
これは、一定税率が課せられていて主に地方税の財源となっていますが、これこそ【応能負担】を強化すべき対象であります。
もともと「土地」とは、人間が創りだした商品というよりも、どちらかと言えば社会全体の「公共財」に属するものですから、その土地を広く占有している個人や法人には、その特権に対する【応能負担】を要求するのが当然であり、未だに「定率」負担である事自体が、世代間の格差を固定化し拡大する要因だと考えますので、単に路線評価額に対する定率課税ではなく、占有面積に対して「累進的」に課税する事で、世代間の格差の縮小に寄与する事が出来ると私は考えます。
固定資産税 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E8%B3%87%E7%94%A3%E7%A8%8E
代替案E…キャピタル・ゲイン(有価証券売買益)の一般の所得税化
キャピタル・ゲイン(有価証券売買益)は、現在では確定申告によって、現在は利益の20%を納税する義務がありますが、これは20%を超える通常所得での納税義務がある「高額所得者」にとっては、優遇税制以外の何物でもありません。
キャピタル・ゲイン - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B2%E3%82%A4%E3%83%B3
これを、確定申告などというアナログな手続きで発生する税務署の徴税ロスと、申告逃れの見落とし(脱税)を無くし、通常の所得税と同じ「累進課税」とする事で、高額所得者の不労所得にキチンと課税をする様にしなければならないでしょう。
これには、納税者番号制などの導入で(有価証券売買時に個人番号を必要とするなど)、電算システムによる納税が不可欠だとも思われます。
その他、結論
税にはまだまだ種類が有り、如何なる税制が「公正」であるかを決めるのは、社会選択論的に言えば、その社会を構成する【主体者】の意志と各々の「規範理論」に依る所ではありましょう。(その全てを本記事では網羅しきれませんが)
しかし、いやしくも「税と社会保障の一体改革」などと大言壮語をするのであれば、そもそも「社会保障」の必要となっている「社会」における【格差】を直視して、それに配慮し是正する方向での「税」の有り方を考えるのが、当然の前提であります。
その意味で、今回の本記事で取り上げた「税」に関する議論は、まだまだ一部でしか無いのは確かですが、少なくとも…この程度の事は【考慮】されてしかるべきと思われる事のみを、あえて列挙しました。
これを「敵の土俵に乗る」などと批判する人も居るかもしれませんが、逆に自分達から【具体的な展望】を対案として具体的に示す事すらせずに、「相撲」を取る事からすら逃げていては、永遠に「勝利」は得られないという【事実】だけは、明快である結論だと思われます。今後…こうした方向での議論が国民的に(庶民レベルでも)活発化する事を願って止みません。

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2011/12/17 12:34
歴史を紐解けば、文明自体に対する有効な批判を文明内部で持ち得ずに、崩壊していった過去の文明は枚挙に暇がありません。
何故?…現在の「現代文明」だけが、(もう滅びる事の無い)まるで未開文明からはテイクオフしたかのごとき楽観を(世間の空気として)許容しているのかについて、私は幼い頃から疑問に思っていました。
今回この本記事で問題にしたいのは、一面では栄華の絶頂を極めたかに見えつつも、他方で金融資本の投機的な暴走と信用崩壊を繰り返し経済は混乱し、社会的には内部に想像を絶する「格差」を次第に深刻化させて、技術面では「原子力発電所」の様な…目先のコストだけでの近視眼的な選択を許容したツケとして、場合によっては何万年以上も保管が必要な(実質的に不可能と言える)高レベル放射性廃棄物を産み出し、人間の技術の持つ本質的な限界によって不可避と言える事故に対しては、未だに「安全な」原発などという物が有り得るなどという幻想を抱く様な愚かさを等々から、世界的に「グローバル化」したかに見える【現代文明】の基本となっている、【資本主義】という経済システムそのものに対する【批判】が、ソ連・東欧の崩壊後20年を経た現代において、如何程に有効なものであるのか?…という事について、拙文で私自身の力量も足りないながら、少し考えてみたいと思います。
(この文明を、個人的には利害は有りながらも、それを享受している人間の義務として)
【資本主義】自体に対する「批判」は、その面では最も有名な歴史人・マルクス以前から存在しており(マルクスは彼らを空想的社会主義と批判したのですが)、労働価値説という古典派経済学のスミス・リカードの流れを汲んだマルクス学派によって「搾取」が「剰余価値学説」として定義されると、それを教条(ドグマ)として固定化して(より深く考えて)発展させる事無く、機械的に「希少性」を持つ「資本」という物を国有化しようなどという素朴(シンプル)な発想によって、人間の生産物が「市場」を通じて「商品」となる事についてまで(資源配分の効率性という観点での数理的な考察も抜きに…代替案も無く)それが本来の人間同士の互恵関係の哲学的な「疎外」形態だとされて機械的に否定された結果が、その社会理論・技術評価の不在・未熟に由来して、近代民主主義まで否定するという無茶を要求する事になり、結果として【崩壊】し【失敗】したもので有った事は、歴史を学んだ事のある人であれば(ソ連崩壊後に産まれた若者であっても)、既に明らかになった事であると思われます。
共産党独裁の大陸中国(中華人民共和国)は未だに存続していますが、良識のある誰が見ても明らかな事ですが、アレは既に「社会主義」でも「社会主義を目指す」政権でも何でもなく、資本主義の悪い面(利益の為になら如何なる社会悪もまかり通る)と、民主主義的な個人の諸権利の否定という崩壊した社会主義国家の悪い面だけを、グロテスクに融合させただけの国家に成り果てています。
つまり世界と歴史を見渡した時に、これまでは【資本主義】に対する本質的部分に関して、有効で成功した「批判」は、現実的には存在して無いというのが、(特に共産党等の関係者には)厳しい様ですが、直視しなければならない現実という事です。
それでも私が、未だに(いつまでかは解りませんが)日本共産党に在籍し、未だに「共産党」という(歴史的には)汚辱にまみれた名前を掲げる事に対しては批判もせず、今回の本記事でも掲題にある【文明批判としての資本主義批判の現代における有効性について】について論じたいと思うのは、やはり「資本主義」が「資本主義」である限り、本質的に持つ【基本矛盾】という物が現実に具体的に危機的なまでに現れて来ている現代社会の行き詰まりに、決して無関心では居られず、人類が現代文明を支える「資本主義」を何らかの形で乗り越えない限り、より高度に発展した文明を後継世代に残す事が、不可能事であると考えるからです。
※一般的に、資本主義の【基本矛盾】とは、社会化された事で飛躍的に発展した「生産力」と、その生産手段(資本)の所有関係が社会化されておらず個人に委ねられている「生産関係」の、その両者の間の【矛盾】だとされています。
前置きが長くなりましたが、上記で述べた…「資本主義」が「資本主義」である限り、本質的に持つ【基本矛盾】については、マルクス以来…共産主義者において教条化されていた「剰余価値学説」を、マルクスの学説から150年もしてから本質的に覆し、資本主義における諸矛盾の源泉にある「搾取」に関して、労働の産む不可視の「価値」では無く、市場により可視化された「価格」をベースに論じる事を含めて、全ての「搾取の定義」が論理的に満たさねば成立しない「公理」を明らかにした書物として…
「吉原直毅(著)「労働搾取の厚生理論序説」について」2008/4/9付け本ブログ記事
…の持つ歴史的な意義について、本ブログでも既に論じた事があります。
※注:上記の書物の数式の読解は大学院レベルの素養を要しますが、丁寧な叙述的な表現もあり、エッセンスは充分に読者に伝わると思います。また…上記の著作の後に「搾取」を単に労働力商品についてだけでなく商品一般の効率的な利用の結果という解釈に陥る「一般的商品搾取定理」については、明らかになった「公理」に従えば成立しない事が、著者自身によって数理的に明らかにされた等で、現在の到達点からすれば少し改定を要する部分は有ります。
しかし、上記の私の書評で書いた最期の部分である…
> これら「労働搾取」に関する議論が資本主義経済に対する規範的特徴付けの為のものであって、その可能性に関して「自由な発展への機会の不平等」という独創的な搾取論展開して終っている
…という到達点から、更に【現在文明】に属する我々が考えなければならないのは、現代の現実的な「資本主義」の諸矛盾…(金融資本の暴走/金融資本での人材を始めとした浪費=ロス/格差/短期的利益優先による技術クライシス等)…が、如何にしたら=如何なる具体的な経済システムに移行したら、根本的に解消されていき、個人の自由な発展の機会の平等が、そのまま社会自体を本当の意味で「豊か」にして、諸個人に「良き生」が実現されるかを、考える事だと思います。
一言で言えば、具体的な【代替案】とは何なのか?…という事に尽きます。
これについては、AM派(アナリティカル・マルキシズム=数理的マルクス)の先達の偉人である、米国のジョン・E・ローマーの著作に、下記の様な本が有ります。
これからの社会主義―市場社会主義の可能性:青木書店 (1997/02)
John E. Roemer (原著), 伊藤 誠 (翻訳)
残念ながら現在では、古書(中古)でしか入手できない様ですが、注釈を含めても殆ど難解な数学などは使わず、有り得る未来の青写真について構想した名著ですから、是非とも在庫が有る内に、手に取って読まれる事をお勧めします。
上記の著書でジョン・E・ローマーが述べた「青写真」とは、現状の資本主義の様に「資本」というものを市場で信用を介して無制限に調達できるという「資本主義」の持つ、投機的性質やら近視眼的性質やら格差固定化性質やらのを変える為に、全市民に均等に配分されたクーポン(換金や交換は不可)=政治における投票権の様なもの…によってしか「資本」を国家から調達できなくするという、大胆な試案でした。(市場社会主義)
但し、このシステムは「再分配」の機能としては大きくはありません。
というのは、個人が持つクーポン権で投資(投票)された企業の利潤は、現在の株主への配当の様に、投資(投票)されたクーポンの持ち主に配分されますが、その利潤とは全市民に均等に配分されたクーポンの量に規定されますから、広く薄くにしか配分は行われない事になります。
実は、この所有権の「広く薄く均等に」配分したクーポンというのが、この「青写真」の重要な性格であって、そうする事によって投機的性質やら近視眼的性質やら格差固定化性質を無くす事に主眼が有るからです。
※追記(2012/2/12)
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現在、先進・資本主義諸国では、低成長と経済の混乱の中にあります。
しかし、理論的には資本主義の下でも「まだまだ」経済成長は可能です。
ただし、資本主義経済の発展には、常に「イノベーション」が必要だという学説は、現在においても有効であり、その「イノベーション」は、直近の日本経済を見ると、かろうじて情報通信・IT・コンピューター関連に集中して有る事はあるものの、その他と言えば金融の新たな不安定化を齎す、金融商品と投機関係に、優秀な人材の雇用も集中しつつあるのは否定できないでしょう。
こういった(生産に寄与しない)人材の一部でも、新エネルギーの開発(燃料電池やらバイオマス等)やら、食料増産技術やら、医療やら、福祉といった分野に生かされれば、それはそれで産業構造変換=【新たなイノベーション】とも為り得て、新たな雇用と需要を創造できるのですが、いかんせん…資本主義という枠組み自体が【利潤最優先】で回っているので、厚生経済学的に【かくあるべき】といった姿を構想したとしても、政府による利益誘導(開発援助)の力など微々たるもので、経済成長に資する有効な産業構造変換を為しえていません。
これが、資本主義の根本にある【投機的性格】に由来する(それをそのまま批判せずに是認する)、巷での成長限界論の実態だと思います。
私は、この資本主義の投機的性格という【桎梏】=足枷を外してやり、【資本】への【投機】の権利を、(例えばクーポン制にして)均等に【広く薄く】国民に分配された姿(市場社会主義)を構想する事で、短期的な利鞘を稼ぐ事よりも、長期的に社会厚生に資する企業に投資を集中させる(庶民的なインセンティブ=誘引を導入させる)事が可能になり、それによって「イノベーション」は革命的に前進する可能性は有る=経済成長は可能だと、個人的には考えています。
(以上追記)
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それ(資本の所有権)以外は、現状の資本主義と同様に「市場」を前提にしているという点で、本人の責任に帰す事が不可能な(産まれや所属や能力の)格差による不公平は、これだけで無くする事は不可能です。
そういう意味では、この「青写真」に批判を行うのは簡単でしょうが、著者の問題としたのは、そういう批判は幾らでも可能であってすら、現状の「資本主義」の持つ危機的な性格を乗り越える「一歩」を指し示す事にあったのでしょう。
こういった(ローマー流の)市場社会主義という「青写真」に関する議論だけでなく、平行してAM派では、個人の自由な発展の機会の平等の保証としての「基本所得保障」=ベーシック・インカムに関する議論もあります。これについては本ブログでも(既に2ページ目に下がってますが)…
「子供手当て」を発展的に存続させて「基本所得保証」=ベーシックインカムの社会を!2011/2/19付け本ブログ記事
…でも展開しました。
こうした議論の具体化は、全て「資本主義批判」の意味を持ちます。
(少なくとも従来の「教条的・カルト的」な抽象的批判よりはマシな筈です)
昨日の私の日記(はてなダイヤリー)に、コメントを寄せて頂いたOさんの言う通り、現代において金融資本等で投機などに費やされている人材が「少しでも救急医療の担い手に廻ったら、新エネルギー開発の従事者になったら、高齢者福祉の担い手に廻ったら、学校教育の担い手に廻ったら、等々、どれだけ社会の状態は改善されるか解りません。」というのは全くの同感です。
誰かが終わらせないと【資本主義】は、今の文明が滅びるまで「投機的性質やら近視眼的性質やら格差固定化性質」を強めていき、いずれ人類全体にとって破滅的な破綻を迎える事になってしまいます。これは断言しても良いぐらいに間違いの無い事に私には思われます。
先人たちが闘い勝ち取って築いてきた文明(人権思想や民主主義を含)を、破滅から守り受け取った時より更に発展させて次世代に渡していくのが、今の我々の世代の義務ではないでしょうか?
煩雑で忙しい仕事に追われる日々の中でも、少しだけでも「文明批判としての資本主義批判」を考える事が、現代における有効であると私が考えるのは、日々のニュースに接して、そこに人類の行き詰まり(閉塞)感が、いやおうでも増しているからでもあります。
これから、そうした文明批判・資本主義批判の精神が、ますます発展して広がっていく事を願って止みません。一人でも多くの人が、そうした議論に加わる事を、私は訴えます。
以下は余談ですが、一方では汚辱に塗れた名でありながら、同時に「資本主義批判」としての「共産」という歴史的な人類の一種の「理想」を負った…その名を引き継ぐ権利は、現在の我が党にはあるのでしょうか?
教条的な政府批判はしても、未来を展望した建設的で相互批判的な活発な議論の保証(民主集中制の破棄)や、その為の党制度改革…党代表の公選制…などには目を背けていては、現代社会からは見放されるばかりであり、理想としての「共産」を名乗る資格は無いと言えます。(汚辱としては有っても)
その為には、死んだドグマ(教条)の葬送をせねばならぬなら、危機的な今の時代を前にして、何を躊躇う事があるでしょう。(笑)
※追記:
死んだドグマでは無い、AM派による生きた議論として…
資本主義分析の基礎理論研究の現状及び『新しい福祉社会』モデルの探求
吉原直毅
一橋大学経済研究所
初稿2011 年10 月1 日; 現稿2011 年10 月12 日
…などが、参考になるでしょう。(党中央は無視を決め込んでますが…苦笑)
※2012/1/18-19:40追記:
尚、ここで言う「死んだドグマ」とは、具体的には、日本共産党が掲げる「科学的社会主義」というものが、AM(数理的マルクス)派であるジョン・E・ローマーや吉原直毅氏などとは異なり、全く発展していない=死んでいるという意味でも、研究段階であれ将来像を具体化しようとしない=抽象的という意味でも、教条=ドグマとして、研究ではなく「信仰」の対象になっている…という事が言いたかったのです。
何故そうなるか?…というと、行動の一致という良い意味だけでなく、意見の違いだけでも党内に「派閥」が禁止されていれば、(活発な議論で機関紙の紙面が賑わう事も無く)理論や方針は「教条化」せざるを得ませんし、党首だけでも党員による直接選挙すら行なわれていない現状では、それに対する「反省」も組織として機能していないからです。
つまり「科学的」と言いながら、実際は「カルト的」になってしまっているという意味で、150年前のマルクスから一歩も前進してないどころか、レーニンによって歪められた前衛意識で大衆を「導く」などという上から目線の象徴である「民主集中制」などで退歩さえしている状態の、今の党の「科学的社会主義」とは、死んでいる=発展可能性が無く、ドグマ=抽象的に留まり具体的な研究が為されない…と(私自身にとっても残念ながら)言わざるを得ないのです。
具体例を挙げれば、従来の「投下労働価値説=剰余価値学説」と、如何なる理論的な資本主義経済モデルの下でも否定されない「搾取の定義(価格依存)」とは、トレード・オフの関係にある事が既に数理マルクス経済学では明らかにされているのに、未だに不破氏の「古典教室」を経文解釈みたいに繰り返されている様などは、どこが「科学的」なのか?と疑う要素の一つでもあります。

3
2011/11/6 18:23
既に今月の10日(4日後)には、国際会議の場で「野ダメ」こと野田総理はTPP交渉参加を表明すると報道されてますが、反対の声は(私が表のブログに記事を書いた去年に比べて)高まってきつつはあるとは言え国民の過半数には及ばず、まして未だに国民的議論は成熟しておらず、反対派は未だ烏合の衆というのが実態です。
今回のTPP交渉参加問題では、恐らく(谷垣)自民党は様子見であり「不信任案騒動=政局」にはならないでしょう。
TPPの問題に関しては、既に本ブログでは昨年12月に「TPPに反対する諸党・諸兄に問う」という記事をUPして、これまでの出鱈目農政を批判して、本気で農業の再生を図る【展望】を掲げる事を抜きにしては、単なる「TPP反対」が国民の大多数の支持を取り付けていく困難を指摘して、私案ではありますが第一次産業に従事する人々への「ベーシック・インカム」を保証する事と、将来的には公共財である「土地私有制度」の見直しをする事にまで踏み込んで、労働人口の第一次産業への流入や、文化的水準の生活保障が得られる事によって生まれた余力によって、農林水産業の国際競争にも勝てる【産業育成】を図る事を提案していました。
しかし昨今の情勢では、未だ国民的な議論が熟さないままTPP「交渉」参加表明をするとの事であり、私は「交渉」に当たっては日本国内での第一次産業の「抜本的テコ入れ」を図る事を首相官邸にもメールしましたが、その気概やら該当する【産業育成策】は示されず、野田総理は更に国会で、医療の分野でも現在の日本では「国民皆保険制度」によって保障された平等に定額に定められた医療点数制度からは例外であった「自由(に値段が決められる)診療」の拡大を(非関税障壁として)迫られる事についても言外に否定はしませんでした。
このままでは「バスに乗り遅れるな」式に、農業でも医療でも将来への「展望」が無いままに、問答無用に「交渉」などロクにせず、米国式のグローバル戦略に従属してしまうのは、明白になりつつあると思います。
私の【2011-11-03日付けの日記のコメント欄で、投稿者の方とも議論しましたが、このTPPに関して、特に問題となるのが、米国が今回のTPPの要(かなめ)としているISD条項である事の周知は、未だに為されていない事は明白でしょう。
(以下は、私の日記での討論からの一部転載になりますが、中間的な総括として、本ブログでも展開させて頂きます)
このISD条項とは「国家と投資家の間の紛争解決手続き」の事で、投資家が協定締結国の政策によって【損害】を被ったと告訴すれば、その政策を実施した該当国の民衆の事情などお構い無しに、【国際投資家の損害の有無だけを論点】に、非公開で審理されて判決が下され、国家に損害を賠償する義務が課されるという、実質的に自国の自主的な政策決定すら、国際的投資の資本に逆らえずにしてしまい、独自の産業育成策も公的福祉も不可能にする恐れの大きい、非常に重大な問題である事をまず強調します。
このISD条項について、TPP推進論者である【自称・経済学者】池田信夫が…「世の中におかしな判決はいっぱいある。「ISDによる**の決定は気に入らないからISD条項はやめろ」というのは「ホリエモンの判決はおかしいから裁判所を廃止しろ」というのと同じ」…などという意味不明の【妄言】を吐いてますが、そんな批判は全く見当違いである事は、下記のリンク先の…
【投資家対国家の紛争解決 - Wikipedia】
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%8A%95%E8%B3%87%E5%AE%B6%E5%AF%BE%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E7%B4%9B%E4%BA%89%E8%A7%A3%E6%B1%BA
…の中の【投資家-国家間紛争解決と人権】の項を読んで頂ければ明白です。
**************(以下引用)****************
民主主義的な選挙により成立した政府が有する公衆衛生、環境問題及び人権に関連した改革や立法・政策方針を実施するための能力に投資家対国家条項が及ぼす影響について、多くの議論が巻き起こった。投資家の国家に対する請求(のおそれ)は、国内政府の公衆衛生や環境保護法案の通過に係る能力を顕著に抑制する可能性がある。そうであるにもかかわらず、これらは秘密裡に、公衆に対して責任を負わず、広い憲法的・国際的な人権規範というものを考慮に入れて行動する必要のないビジネス・ロイヤーによって行われている。
**************(以上引用)****************
このISD条項とは、米国とカナダとメキシコの自由貿易協定であるNAFTA(北米自由貿易協定)において導入され、先日の米韓FTAでも導入されたものです。
以下は(また引きになりますし著作権の侵害と問われれば弁解できませんが)…
【第28回】 2011年10月24日 中野剛志 [京都大学大学院工学研究科准教授]
米国丸儲けの米韓FTAからなぜ日本は学ばないのか
「TPP亡国論」著者が最後の警告!
…からの引用だそうです。
**************(以下引用)****************
たとえばカナダでは、ある神経性物質の燃料への使用を禁止していて。同様の規制は、ヨーロッパや米国のほとんどの州にある。ところが、米国のある燃料企業が、この規制で不利益を被ったとして、ISD条項に基づいてカナダ政府を訴えた。そして審査の結果、カナダ政府は敗訴し、巨額の賠償金を支払った上、この規制を撤廃せざるを得なくなった。
また、ある米国の廃棄物処理業者が、カナダで処理をした廃棄物(PCB)を米国国内に輸送してリサイクルする計画を立てたところ、カナダ政府は環境上の理由から米国への廃棄物の輸出を一定期間禁止した。これに対し、米国の廃棄物処理業者はISD条項に従ってカナダ政府を提訴し、カナダ政府は823万ドルの賠償を支払わなければならなくなった。
メキシコでは、地方自治体がある米国企業による有害物質の埋め立て計画の危険性を考慮して、その許可を取り消した。すると、この米国企業はメキシコ政府を訴え、1670万ドルの賠償金を獲得することに成功したのである。
要するに、ISD条項とは、各国が自国民の安全、健康、福祉、環境を、自分たちの国の基準で決められなくする「治外法権」規定なのである。気の毒に、韓国はこの条項を受け入れさせられたのだ。
**************(以上引用)****************
まさに国家の主権が侵害される事態が起きているのです。
この論理でいけば、日本が独自に農業を「振興」する目的で、私が主張したような「農林水産業者」への「ベーシック・インカム」という所得再分配政策を実施したり「土地の公有化」を実現したとしても、それが米国(の投資家)にとって不利益だと判断されれば、提訴され敗北し、自主的な「再分配政策」や「公共政策」は実行できなくなってしまいますし、また「国民皆保険制度」も、現在の日本の医療の様に「自由診療」の範囲が極めて限定されている状況は、保険会社への投資家達にとっては、充分に…このISD条項によって損害を受けたと主張できる余地がある訳です。
また、納豆などに使われる大豆に対して「遺伝子組み換え食品」を使っているか否か?が日本では「表示義務」になっている事も、表示義務の無い米国の農業への投資家からすれば、損害を蒙ったと提訴できるワケです。
(この「表示義務」の例は、有名なHPなので紹介するまでも無いかもしれませんが…「サルでもわかるTPP・第7章TPPと遺伝子組換」…からの援用です。まぁ経済学以外の事実認識としては大いに使えるHPです)
もしISD条項が無ければ、これまでも非関税障壁を撤廃せよとの主に米国からの「外圧」は過去にも有りましたが、選挙を意識しなくてはならない【政権】としては、例えば…先程の「大豆の遺伝子組み換え表示義務」にしても、表示義務が無い米国の方が【消費者保護】の観点に立っていないとの立場を示して、ある程度は「外交」を通じて拒否も出来ましたし、場合によっては米国内の消費者団体と協力して、米国内でも「表示義務化」をさせる事で、もはや「非関税障壁」を障壁では無くすという結果を勝ち取り、最初は一国だけの国民擁護政策を【良い意味でのグローバル化】させる事も(可能性としては)出来たでしょうが、単なる国際投資家の利益の為だけのISD条項が盛り込まれれば、これは「圧力」ではなく「強制力」になりますから、その道すら断たれたも同然です。
そういう意味で、単なる関税撤廃の国際条約と、ISD条項が有る現状のTPPの枠組み(TPPに条項を盛り込んだのは米国)とは、一線を画すと言って良いでしょう。
だからといって(上記を区別する事によって)誤解しないで欲しいのは、私は…こういう現状の非関税障壁「一般」を一律に排除しようというTPPの【枠組み】を肯定したり推奨する立場では有りません。
(また、これまでの出鱈目農政を改めて国内第一次産業の抜本的な振興策を示さないままの今の【政権】が、これからの「交渉」で内容の改善を図ると素朴に信じられる程の…お人好しでも有りませんから、現在の反対運動の掲げる「交渉参加反対」には一定の理が有ると思います)
しかし、日本共産党員である私の言う事では無いかもしれませんが、これまでTPP反対派は、ただ「反対」しているだけで多数派が結成できると楽観視して、ここまで追い込まれた=国民の多数派が未だにTPP賛成で、交渉参加にまで時間が無く、更に反対派は左右の野合した【烏合の衆】という状況…を創り出したのは、グローバル化に対応した競争力を備えた自主的な産業育成とも両立する「展望」を示さずに、既存の農政の齎した700%の関税という異常にも目をつぶり、ただ単に「反対」だけを唱えていれば(展望に関する議論を成熟させずとも)票が集まると考えてきた、在野の勢力にも責任は大きいと思います。(自省を含めて)
これを挽回するには、私としては(今後は)、ISD条項に【的】を絞って(万一TPP交渉に入ってしまってからでも)問題点を炙り出して、米国の肝である「ISD条項」の削除を求めて、国民世論からの圧力による【一点突破】を図り(ニュージーランド等とも連帯し)、TPP自体を単なる関税撤廃だけの米国の思惑からすれば「骨抜き」にするという点に活路を見出す事かもしれないと考える様になりました。(肉を切らせて骨を断つという)
その為の圧力を政府に強いる為に【必須】の課題は、野合しているだけの烏合の衆の反対派陣営自体の内部で、ISD条項に関する議論だけでなく…「経済・社会の長期構想をどう展望するべきかについて、国民的討論を活性化する事」…によって得られた【展望】を「新しい旗」として掲げる事であり、それによって初めて未だ国民多数を占めるTPP賛成派からも、そういう展望が有るならば…と共感も広がって、賛同も(過半数に)広がるでしょう。
私自身が反省している点は、その「展望」を(自分なりには)模索はしていたものの、それがグローバル化という時代の流れに充分に対応した物になっておらず、せいぜい自国の再分配政策強化による「産業育成策」に留まっていた事です。
「グローバル化」の負の側面に対する対応を、本当に既存の独立した諸国家の自主的な内政まかせの内向きな議論だけで良かったのか?、グローバル化でリスクを負うのは何も一国だけの問題では無いにも関わらず、世界的な規模の敵に対応するのに、それでは…【各個撃破】…されるだけでは…という点でしょうか。
繰り返しになりますが、結論として、今からでも求められるのは、ISD条項が【毒まんじゅう】である事を周知させてTPPへの【交渉】において合意を拒む様に圧力を掛けつつ、今からでも…今はまだ烏合の衆に過ぎないTPP反対派の中で…「経済・社会の長期構想をどう展望するべきかについて、国民的討論を活性化する事」…によって得られた【展望】を「新しい旗」として掲げる事であり、それによって新たに未だ国民多数を占めるTPP賛成派からも、そういう展望が有るならばと共感を広げる事を目指し、賛同を(過半数に)広げる事でしょう。
TPPへの反対が広がっているというニュージーランドの在野勢力とも共闘していく事で、その成果によっては…現状の米国の資本家のエゴの押し付けに過ぎない「TPPの枠組み」自体が【破綻】もしくは【大幅な変更】を強いられるという…反対運動の【挽回】の可能性は、まぁ過ぎてしまった時間は取り戻せませんが、上記で述べた様な今後の闘いの「戦略」次第では、まだ大いに有ると思います。
しかし、どうも敗色濃厚になりつつある現在においては、もう猶予は無いと言うべきでしょう。
どうか皆が周囲の人達と「対話」する事から始めて、皆が出来る事から声を挙げていくことで、既存の左派リベラル運動の敗北の歴史に、今度こそ終止符を打つ事を希望します。

15
2011/10/23 19:35
しばらく、この表のブログを更新していなかったのですが、今日は掲題の「発送電の分離と、総括原価方式の見直し」について議論したいと思います。
何故?原子力発電に日本が固執してきたか?、その【政治的な側面】については、電源三法が挙げられて、地方自治体を原発漬けにする、その弊害については、今では良く議論されています。
しかし、電力会社や電力会社に発電設備を納入する企業にとっての、【経済的】なインセンティブ(動機)は何だったのか?…というと、それは一言で言えば【総括原価方式】という、電力料金を決める既存の制度の為である事は、まだ…報道数も少なく、知られていない方も居るのではないかと愚考します。
この【総括原価方式】については、既にネット上では…
よくわかる原子力 - 電力のコスト計算方式
http://www.nuketext.org/mondaiten_cost.html#soukatu
7月21日 「総括原価方式の役割」「どうしても原子力をやりたかった理由」 小出裕章(そもそも総研) « 小出裕章 (京大助教) 非公式まとめ
http://hiroakikoide.wordpress.com/2011/07/21/tv-asahi-jul-21/
社会科学者の時評: ■ 総括原価方式はでたらめ原価計算方法 ■
http://pub.ne.jp/bbgmgt/?entry_id=3935260
…などのサイトで、その問題点については既に指摘されていますので、ここでは簡単に、その仕組みについて、説明しますと…
「総括原価方式」について簡単に言えば、電力生産と人件費や広告費等に掛かった総原価に対して、その会社の持つ総(発電)資産に応じた一定のパーセントの利益を上乗せして、電気料金を決めるというものです。
ここで重要なポイントは、高い設備投資をすればするだけ認められる利益も上がるという点であり、商品の市場価格で回収できる範囲で設備コストを決める一般企業の論理とは、まるで正反対であり、電力会社は原発などの高額な資産(特に原子力発電所など)を競って作りたがる構造になっていて、これが海外に比べて高い日本の電気料金を押上げている第一要因になっています。
歴史的に言えば、戦後の電力不足の際には、公的な性質の高い電力生産において、発電設備への設備投資を活発化させるという目的でしたが、現状の電力産業の【地域独占】が確立された以降も温存される事により、主に原子力産業複合体(発電所メーカーやら電力会社)の独占的な利益を保証・担保するシステムとして機能してきました。
これが原発を推進してきた、【経済的な側面】でのインセンティブ(動機)になってきたのは明確でしょう。
付言すれば、相対的に見て日本の中では公務員以上に非常に高い人件費の保証も、既存の労働組合を含めて、このシステムを支えてきた…つまり労働組合も共犯者であった事もまた、否定はできません。
他方で、報道によれば既存の送電網が独占されている元で参入が困難とは言っても数パーセントのシェアで存在する新規電力事業者は、地域独占各社に比べて10%以上の電気料金の引き下げが可能で、実際に自前の地域密着型の発電設備も持って、現在の制度で参入を認められている大口顧客(マンション一括を含)などに、安定供給を実現していると言う事実の存在は、既存の【電力独占】の存在意義を、既に喪失させています。
また今回の福島の事故の教訓は、外部不経済によるコスト(事故を起こした場合も含めた)の低減を図って産業を活性化させていかねばならない、国民の享受する経済全体の活性化にも反するのでは無いでしょうか?
ましてや、万が一にも事故が起こった場合に被害を蒙る庶民の立場と、「総括原価方式」は、完全に相容れないと言って良いでしょう。
よって、私は、新自由主義者では無いつもりですが、こと電力産業に関しては、「発送電の分離」と「電力自由化」を、これから大いに進めて【独占】を打破していく必要が有ると考えます。
しかし、この方向性での改革を進めていくには、多くの【問題点】と【敵】が存在しています。
まず一点目は、この【既得権益】の構造は、役人の「天下り」の温床にもなって来たという事実も有り、電力の自由化や、発送電の分離は、これまでは提唱されても、日本では何度も潰されてきた提案であるという事です。この(役人と癒着した地域独占企業と関連設備メーカーという)【既得権益者層】が、未だに多数の国民にとっての【敵】としては燻り出されていないという問題点です。
また二点目は、その潰された【口実】であった電力供給と電力網の維持の公共性という問題についての議論を抜きに、単なる新自由主義的な立場での単純な「自由化」だけで、問題は解決するのか?別の問題が発生しないか?という点です。(例えば山間部での送電網の維持などの不採算部門を「自由化」する事の是非…山間部での生活者への負担増にならないか?等)
そこで私は、まず「発送電」の分離に当たっては、送電については公的な性格を重視して公有化(国や委託された地方自治体の管理に)しつつも、発電については【独占】によって損なわれた「市場」の持つ健全な機能の回復の為に、新規参入への促進を図る事=具体的には【総括原価方式】の廃止を、今後の日本の電力政策の柱にしていく事を提案します。
この提案は、恐らく同じ「反原発」の中からも…しょせん「資本の論理」の枠内じゃないか?…というオールド左翼からの(自分では代替案を提示しない思考停止の)嘲笑を受けるかもしれません。
私は、こういう予想される反論については、逆に今の時点で求められているのは、単純な「国有化」といった失敗した社会主義を連想させる物ではなく、正に「市場」の効率性という力も借りた、(ある意味で混合経済的な)地に足を付けた【改革】であると答えます。
また、新自由主義陣営からは、送電網の公有化に関しては、自由化に反するという異論が想定されますが、私は電力という産業の持つ全ての社会構成員に公平に与えられるべき「公共的利益」という面から考えて、山間部の人間に「受益者負担主義」を強いるのは間違っていると反論します。
国家の政策というのは、単なる特定の【思想】の為では無く、具体的に社会全体における厚生水準を向上させる事を実現出来る【結果】を出す為にあり、如何なる【公正】や【規範】を実現する事が、その結果に寄与するかを考える事だと(私は)考えており、その上で…今は現状の【独占】の解体(自由化と公有化の分化)こそが、国民全体の福利の向上に繋がる【結果】を出せる政策になると思います。
我が党には、是非とも、こうした政策を具体化(制度設計)して貰いたいと願っています。
さもなくば、日本共産党は何でも反対の政党だとか、旧態依然たる失敗した社会主義的な「国有化」しか求めていない政党だという様な、国民の認知は改まらないでしょう。
我が日本共産党も、昔の政策集では、将来像として、電力産業の一括した「国有化」を掲げていました。(苦笑…今でも有効なのかは知りませんが)
しかし、この「総括原価方式」を全面的に批判するキャンペーンを、今の所は未だに展開していないのは事実であり、これは実現性も効率性も疑われる「国有化」の夢を捨てていないのかと、党員である私でさえ勘ぐってしまいそうです。
2011/10/26追記
この記事を、日本共産党中央委員会宛にメールで送りましたら、御返事を頂きました。
(本記事のコメント欄に転載させて頂きました)

1
2011/8/21 15:22
今マスコミでは、どうかすると…原発事故の問題よりも、ポスト管総理を担う政権与党である民主党の代表(党首)選挙の事で、話題が持ちきりになっています。
私は民主党員でも無いし、仮に民主党員になったとしても今回の代表選は臨時である為に国会議員票だけで争われる事になるそうなので、この民主党の代表(党首)選挙に、私が直接に関わる事は無いのですが、それでも日本国の主権者の一員として、政権与党の代表(党首)選挙とは、即ち国権の最高責任者である総理大臣を実質的に決める選挙である事から、要望を声にして揚げる事には意味が有ると思われます。
例え如何に下らない政権であろうとも、納税した金の使い道を決めるのは「国会」であると同時に、その国の「方針」を決めるのは政府だからです。
ところで、この民主党の代表(党首)選挙において、今の国民にとって最大とも言って良い関心事である「脱・原発か否か?」という国の今後のエネルギー&環境政策という論点が、全くマスコミでも【争点化】されていない事は一体如何なる意図であろうかと、国民の中でも不審に思っている人は決して少なくないのではないか?…と、私には思われてなりません。
それは、管直人・現・総理大臣は、原子力に依存しない社会を目指し、将来的には原子力発電所ゼロを目指すという方針を示しましたが、それが民主党全体のコンセンサスを得た全体方針では無いことは、この間の民主党の各議員の発言から、多くの国民からも明らかである様に思われるからです。
中には、事故前からの旧態依然たる「ベストミックス」論を主張して、原発維持を公言している有力議員も居れば、超党派の「地下原発推進議連」に参加する議員やら、将来の原発問題にはダンマリを決め込んでいる小沢元代表(従来はトリウム原発とやらの推進論者だった)などが実力者として居座るなど、それらが民主党のエネルギー政策を、より解り辛くしています。
現在、民主党の代表(党首)選挙に名乗りを挙げているのは、野田佳彦財務相、鹿野道彦農相、海江田万里経済産業相、馬淵澄夫前国土交通相、小沢鋭仁元環境相の5名が明白に前向きな意欲を示しており、それに前原誠司前外相が出馬するか盟友の野田氏の支援に回るかで検討中だといいます。
この中で、「看板」だけでも…将来の「脱・原発」を公言したのは、前原氏と馬淵氏だけという状態で、このままでは脱・原発に向けた政策の【後退】が、管首相の退陣後に後継者によって齎されるのではないか?…と強い危機感を私は持ってしまいます。
もちろん、争点は原発問題だけでは無いでしょう。
私は子供手当の所得制限そのものは反対ではありませんが(子供は「社会」が次世代として責任を持って育てるのが原則で「親や家庭」は単に付託を受けているという考えには立脚していますが)、高校教育の無償化の見直しには反対ですし、震災復興の財源として当面は「所得税」と「法人税」の増税で賄うという今の政府方針には賛成ですし、食料品などを非課税にする個別税率制度や税の還付(負の所得税)を伴わない消費税のUPには反対します。
しかし、単に増税に対する賛否だけを争点にして、小沢氏の顔色を窺っているだけの、現在のマスコミが伝える民主党の代表(党首)選挙の情勢は、国民から見れば白けるだけで、決して民主党自体の支持率の回復には繋がらないでしょう。
(まだ管氏の方がマシだったとなるだけです)
今、政権与党である民主党代表(党首)選挙に求められる事は、原子力発電の将来を含む産業・経済政策全体を、あやふやなままにして権力闘争だけを露骨に示すより、そこに如何に展望を示せる人材であるかを、党首選挙を通じて具体的に争点にして議論を活発に行い、党内コンセンサスを作り上げる事ではないでしょうか?
私は、居住選挙区(静岡7区)で共産党は候補者を立てていないという実態の中で、「城内みのる」も「片山さつき」も真っ平御免だという状況下で、よりマシという意味で「民主党」には投票をした事があっただけですが、(私の場合は)批判を行うという事は「期待」の裏返しでもあります。
(事実、救い様が無い反動勢力と化した…核武装の能力維持の為に原発を維持すると最近発言した石破茂の居る「自民党」やら、その自民党と一緒になっている公明党などは、何も期待も出来ないだけ、建設的に批判しようという気にもなれません。)
世論調査で一番次の総理に期待されている(といっても数%台ですが)前原氏も、一応は「脱・原発」に転換して掲げていますが、経済政策についいては殆ど発言が無く、唯一過去に「雇用よりも(経済)成長を」という、古典的トリクルダウン型の発言を行ったに過ぎません。
これで、国民に期待される【総理大臣】を排出しようというのは、無理が有るという事に、民主党の執行部は気が付かないのでしょうか?(支持率回復が出来るとでも?)
経済産業省官僚の言いなりで原発の守護神と化している「海江田万里経済産業相」を、小沢氏が推すのではないか?という観測まで流れている様では、民主党はオシマイです。
民主党が、原発に替わる新たなエネルギー政策の中で、不況対策も成し遂げるというぐらいの展望が示せないならば、民主党は既に歴史的な使命を終えて、下手をすれば次回の総選挙では「新自由主義的」な政策も掲げている「みんなの党」やら、もっと悪くしたら今後に全国展開を図るかもしれない最低の人物(…女子高校生に私学助成を削って欲しくなければ政治家になれば良いなどと時空を超越した妄言を吐いた人物)として「橋下徹」大阪府知事の率いる「大阪維新の会」などが、取って替わるかもしれません。
自民党を見切って、民主党を選択した国民は、弱者切り捨ての小泉以来の新自由主義に見切りを付けて、より弱者に優しいリベラルな政策こそを求めている筈ですが、期待は(未だ果たされず)裏切られています。
このままでは、経済界・財界のオコボレに縋ろうとした昔に戻るだけです。
残念ながら間違っても、日本共産党みたいに、党内で政策を対立させた建設的議論も党員による直接代表選挙も無い政党(=有るのはミクロ・マクロ的な政策研究・検討も無い単なるスローガンレベルの括弧つき「政策」と、5段階に渡る間接選挙による対立候補も立たない信任投票のみ)には、国民は目を向けてくれる事は無いでしょう。
更に、仮に「東海」「東南海」「南海」の3連動地震でも起きて、日本の「中央構造線上」の老朽原発(特に加圧水型の九州電力の玄海1号炉やら、四国電力の伊方原発)の内の1基でも大事故を起こせば、日本の「法治体制」自体が危機に瀕するでしょう。
(つまり、まさかのクーデターでも起こりうるという事です)
こういう情勢だからこそ、政権与党である民主党代表(党首)選挙に求められる事は、繰り返しになりますが、原子力発電の将来を含む産業・経済政策全体を、あやふやなままにして権力闘争だけを露骨に示すより、そこに如何に展望を示せる人材であるかを、党首選挙を通じて具体的に争点にして党内議論を活発に行い、党内コンセンサスを作り上げる事なのです。
私は「他者」に期待する事は殆ど無いと自覚している人間ですが、日本の政治の右傾化を防ぎ、リベラル勢力の発展を祈って、今回は民主党に対して建設的に「批判」をしてみました。
皆様は如何に思われるでしょうか?

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2011/7/18 23:42
去る7月13日(水曜日)に、日本の総理大臣の【立場】に居る菅直人氏が、「脱・原発依存」と銘打って記者会見を行いました。何故「脱・原発」ではなく「脱・原発依存」なのか?というと、彼の主張が、元々「脱・原発」には【具体的な期限】も設けずに、既得権益に配慮して「将来は原発に依存せずにやっていける社会」を目指すという【抽象的な目標】だけに、発言を控えたというだけのものでありましたが、それでも原子力産業(東芝・等々)を抱える経団連などは「原子力は将来に渡って国の基幹的産業」だなどと猛反発をし、自分達が過去に原子力を推進してきただけでなく将来に渡って決して「脱・原発」など公言しない自民党だけでなく、与党・民主党内の「菅内閣の早期退陣を求める」という11名の右派議員は、定期検査中の原発の「早期再開」まで求めるという始末で、仙石氏などは「出来もしない事を言うな」などと言い出すありさまでした。
それを受けて、発言の翌日にはもう、枝野官房長官が、あれは「首相個人の想い」を語ったとか「遠い将来の話」だのと【政治的後退】をはじめ、更に翌日には、菅直人・総理大臣自身が国会での答弁で「個人の想い」に過ぎないと自ら認める事によって、私などが…当初は「愚か」にも期待していた【総理大臣という立場】の人間による【公式な国家方針の表明】という物では、全て無くなったに等しい状態になってしまいました。
そもそも一般論として、組織を公的に代表する【立場】の人間が、組織にとってプラスとなる事を「個人的な想い」として語る事は、一般には許されても、組織にとってマイナスになる事は、例え「個人的な想い」と断りを入れたからといって、一般社会では許容されるものではありません。
喩えとして…会社の社長が「個人的な想い」として、事業の飛躍や新展開を語っても許されますが、もしも「会社など倒産したって構わない」などと「個人的な想い」として発言したら、その社長は株主から指弾され解任されるでしょう。
(公人が「個人的うんぬん」と言うのを聞いて、靖国神社問題を思い出した人も多いのではないでしょうか?)
そういう意味で、菅首相の「脱・原発依存」「将来の原発の無い社会」という「想い」は、その【方向性】自体の持つ意味から見れば、国民の安全と国土の保全という国家という組織の利益には合致するとして、私も感情的には【意気】は良しとでも言ってやりたい所ですが、実際には他面として、その期限を定めぬ「将来」までの間は、国民の安全と国土の保全を危険に晒し続けるという事を発言したものとして逆に受け取れば、それは「個人の想い」という言葉では許されない=【立場】を弁えない【無責任】な発言をしたという事にもなります。
そして、福島原発が(これからも)齎し続ける被害の甚大さを考えるのであれば、例え菅直人・総理大臣が、定期点検で停止中の原発の再稼動に(当事者がチェックを行うという非常に不充分な)ストレス・テストなどという、新しい括弧付き「ハードル」を設けて単に【時間稼ぎ】をしたという情状を勘案したとしても、上記の今回の首相の発言の【意義】は、後者の【無責任】との謗りは免れ得ないものでしょう。
本当ならば、期限と展望を示した「脱・原発」を、明確な政府見解として示し、抵抗勢力と闘ってでも貫き通すというのが、国民を代表する総理としての【責任】でしょうから…
実際は、菅直人氏には、既に…総理大臣として内閣(政府)の意志統一を図る力量も、与党・民主党の党首として党内意見をまとめる力量も、もはや何処にも無い事は周知の事実となっていますが、そこに到るまでに国をまとめねばならない総理大臣の権力を殺ぐ事に腐心し…【被災者】も【原発事故】も放置して、永田町だけの【権力闘争】に明け暮れて、あの「内閣不信任案」を出した野党(自民・公明・他)やら、それに同調しようとした与党の一部(小沢派や鳩山派)に対する、マスコミの【批判精神の欠如】と、それに同調している人々の【無責任な体質】は、それ以上のものがあるでしょう。
(自民・公明やら小沢派・鳩山派の政治家達の己の立場や行動に対する自省なき「妄言」を、何ら批判もせずに括弧付きに「公平」に垂れ流す事が、日本のマスコミの現状です)
私は、マスコミにとって都合の良い「数字」だけを出す為に、意図的操作の余地のある【世論調査】なるものには、殆ど全く信頼に値するモノだとは考えていませんが、庶民=生活者の置かれた現実という確実な基礎から産まれる理性の発揮=「生の声」としての【世論】には、常に耳を傾けて、それを【政治】に活かす努力が、民主主義国家における政治家には【義務】としてあると考えます。
政治家という【立場】は、常に国民の【理性の発揮】を信じて、愚民思想こそをタブーとして恥じる事を要請するものだと、私は考えます。
もはや無力になってしまった首相の「個人的な想い」というのは、立場としては無責任でも、実は無力という事では彼以上に無力な立場に置かれている多くの庶民=生活者達の「個人的な想い」とも重なるものがあり、私は菅首相には批判的で何の期待もしない立場ながらも、現状の国政における彼(総理)の無力は、そのまま…彼以上に無力な立場に置かれている多くの庶民=生活者達の現状に重なって見えます。個々に切り離された「個人的な想い」という意味で…
民主主義社会では、一人一人は個々に切り離されてはいても、我々(庶民=生活者)こそが主人公であり【主権者】なのです。
それは決して【選挙の時だけ】という意味でもありません。
この限られた地球上に住む限りは、如何に人間の技術が発展しようとも、半永久的に残る放射性廃棄物の存在や、自然を前にして「人間のやる事に完全は有り得ない」という自覚を常に持つ事こそが、原子力発電所を【非・科学的】な存在にしているという事実を、我々(庶民=生活者)は今こそ明確な確信にして、まず【声】を挙げる事から行動を起こし、必要ならば原発の運転差止めや廃炉に向けた住民訴訟やら、その応援の署名など、出来る事から始めましょう。
(問題は、我々の子供や子孫に、負の遺産を残さない事です)
【循環可能】な、太陽光を始めとしたエネルギーを…揚水発電や水素エネルギー&バイオマスによる燃料電池・蓄電池=スマートグリットなどで【安定供給】できる体制の構築に向けて、科学や経済の資源を投入する事を求めていきましょう。それは「新しい挑戦」かもしれませんが、これまで人類が乗り越えてきた多くの壁と同じく、決して人類にとって「不可能な挑戦」ではありません。
(もちろんこれには、単に工学的問題だけでなく、発送電の分離・電力自由化・エネルギーの地方自治など、経済や政治的なシステム設計も必要になってくるでしょう)
そうして、個々に切り離された「個人的な想い」を、単なる「個人的な想い」で終らせず、確実に次世代に、脱原発という結果を出し、安全で環境を守れる社会を残していきましょう。

6
投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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2011/6/28 23:48
本日は、電力各社の株主総会の日であり、ニュースでも東電や中電などで「脱原発」の株主提案が為されたが、株主総会では、何れも銀行などの大手株主の反対により否決されたと報じています。
それに対して今回はエッセイとして記事をUPします。
私は、元より新自由主義的な思想に染まった銀行などの大手株主には、期待など微塵もしていませんでしたが、人間という存在が「立場」によって如何に愚かな(事実に謙虚に学ばない)判断を為し得るのかという事を再確認して、絶望ではなく、ますます闘志を掻き立てられました。
私は、もともと階級闘争的視点【のみ】に拘泥する事で、何でも反対だけしていれば良いと安易に流れて、自分自身の具体的な未来社会についてのオールタナティブ構想を磨かなかった古典的左派の既存党派には批判的ですが、人が「立場」によって影響され変わるという…非理性的な愚かさを持つ、一般的な事実そのものを【否定】した事はありません。
しかし、私の「怒り」は単に「階級的」な問題に(つまり他者に)還元される物ではなく、革命的な転換を未だ現実の物に為し得ない、自分自身を含めた【我々】の非力さにも自省されなくては、本当の意味でのオールタナティブに繋がらないとは思うのです。
こう言うと(古典的左翼に)誤解されそうなので補足すると、私は別に「新自由主義」的な狭隘な損得勘定しか出来ない人間、非理性的な虚妄に囚われている人間、すなわち残念ながら括弧付きながら現段階での「敵」を免罪しようとするつもりは毛頭ありません。
しかし人間の「理性」そのものに限界を設けて、科学的な合理性を追及しようとする「理性=ロゴス」に対峙して、それを超越した何らかの「パトス」にこそ、近代の超克が有り得るという様な括弧付きに革命的な【幻想】立つ根拠も持てません。
(その幻想は、実際には歴史的にも、危険な狂気の出現予兆である可能性の方が高いと言えましょう)
前回までの私の「原発問題」に対する発言は、あくまで対等平等な人権を持つ事を前提にした人間相互の間で、誰か人に頼る事では無く自分自身の問題として考える、自立した自由な個人による【理性の発揚】を、私というミクロな個人の能力の持つ制約からの小さな声からであれ…目指す為のものでした。
(それは今でも変わっていません)
皆が、この地球上で原子力発電を安全に為し得るという【虚妄】を、科学的・文明的にも打ち砕いていかねば未来は無いと、ひとりひとりが自分自身の問題だと考えて、自分で自分自身を解放する為に【理性】を発揮して、地道に「対話」や「思索」を重ね、無知や無力と闘っていく事こそが、必ず道を開いていくものと、私は確信しています。
電力会社の株主総会での「脱原発」否決のニュースは、そういう意味で「我々」の【理性】に対する挑戦であり、だからこそ私は、これまでより一層の事として、闘志を掻き立てられました。
人類の【理性】は、それを阻むものが「既得権益」であれ「官僚機構」であれ「神話」であれ「何らかの経済体制」であれ、それを常に打破し乗越え生延びる道を実現してきたというのが、これまでの歴史であり、それは今の時代を生きる我々にも課せられた責務でもあると、私は考えます。
今回は、何か具体的な「提起」というより、若干…アジテーションっぽくなりましたが、私自身の今の信条=心情を率直に書いてみました。(苦笑)

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投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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2011/6/7 4:05
菅内閣への「内閣不信任案」が否決されてから、国会では毎日の様に、国民不在で、菅首相が何時辞めるか?とかいう問題ばかりで、震災被災地の問題も、原発事故の今後についても、殆ど「そっちのけ」で、【全く国民不在】の「議論」とは名ばかりの馬鹿げた罵り合いが続いているのを、怒りを持って見ています。
そして、ここにきて、またしても【国民不在】で、菅内閣後に、民主・自民・公明などを含む「大連立」を模索するとかいう動きが出て来ました。
私は、菅内閣については、従来の原子力政策に関しては「白紙に戻す」とか「発送電の分離」だとか「浜岡原発の運転停止」だとか、一定は評価する部分も有りながらも、「脱・原発」を明確には言わず、閣僚内には公然と「原発政策の維持」を表明する人間を職に留めているなど、どちらとも付かぬ「鵺=ヌエ」の様な態度に終始しており、財源として消費税問題でも、何ら低所得者への配慮(食料品等への税の軽減や非課税もしくは低所得者への還付=1種の負の所得税)も無く、そういった「議論」も切り捨てて、ただ税率UPだけを無慈悲に進める与謝野氏の様な人間を内閣に抱えている限りは【支持】できるものではありませんが、それでも菅総理が【このまま】辞任して、原発問題一つとっても政策で合意する点が無いままに、【大連立】などという政権が出来あがれば、せっかくの「従来の原子力政策の白紙撤回」とか「発送電の分離」だとか「浜岡原発の運転停止」だとかの動きは、従来「自民党政権下」で原発を推進してきた【旧態依然】たる勢力が盛り返して反故にされてしまい、このままでは【今より悪くなるのは確実】に思われます。
まして【大連立】ともなれば、国会の【9割の議席が与党】となる訳ですから、何らチェック機能を期待できなくなります。(どんな法案も税制も国会議論は形式だけで通ってしまうでしょう)
そこで、菅内閣には、辞任をする前に、少なくとも「脱原発か?原発維持か?」の【国民投票】を実施する事を、私は求めたいと思います。
(菅内閣以後の、「後退」を食い止める為に…)
確かに、内閣不信任案の否決に対する「国民の声」に現れている様に、今は「解散総選挙」などの【政局】をやっている場合ではありません。
しかし、そもそも国民側からの「抵抗権」として、国民の何%かの署名が集まったりした時か、為政者が重大な国の政策を決定する場合には、直接に「国民の声」を「ワン・イッシュー」でも、国政に反映させる【仕組み】が、日本には無い事が問題なのです。
(ドイツ等には有ります)
ちなみに、これは「脱原発か?原発維持か?」だけでなく、例えば「消費税増税反対か?容認か?」とか、他の「ワン・イッシュー」についても適用できます。
今、日本では最も重要な課題の一つとして、福島での原発事故を受けて、今後のエネルギー政策を如何に進めるのか?…という、国民自身が決定しなければならない【重大懸案】があります。
これ(脱原発か?原発維持か?)は、多数のマニフェストが混在した【選挙】で民意を問うというより、課題を絞った「ワン・イシュー」で、国民が選ぶ権利を与えられるべき性格の問題であり、だからこそ「国民投票」を私は求めるのです。
従来の【選挙】では、これがメインの争点になる事も無く、歴代自民党と、それを引き継いだ民主党政権でも、原発推進が繰り返されてきました。
これを進める法律的な原動力となってきたのが、いわゆる「電源三法」です。初めて聞く方も居るかもしれませんので、最初に(中立的に条文本体も読める)参考WEBページを紹介します。
電源三法 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E4%B8%89%E6%B3%95
電源開発促進税 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E6%BA%90%E9%96%8B%E7%99%BA%E4%BF%83%E9%80%B2%E7%A8%8E
電源開発促進税法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S49/S49HO079.html
発電用施設周辺地域整備法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S49/S49HO078.html
特別会計に関する法律
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO023.html
尚、関連法令として…
原子力発電施設等立地地域の振興に関する特別措置法
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H12/H12HO148.html
条文の法理的(法哲学的)な評価は、ここでは割愛しますが、この田中角栄と中曽根が作った「電源三法」が、これまで【実際】に原発推進の原動力となってきた事は事実です。
過疎にあえぎ財政難にある田舎の自治体に、突然に莫大な「交付金」が示されます。一度それに食い付くと、それで大きなハコモノ等を作っても、維持費(雇用)は原発からの「固定資産税」で賄われ、田舎は活性化した様に見えます。ところが減価償却が進んで「固定資産税」が減ってきた頃合を見計らって、更に足元を付け込んで原発の増設の話が来るのです。
この構造は「一度手を出したら止められなくなる」という意味で、よく【シャブ漬け】に例えられます。
そして、この法律は、原発に反対する住民を、原発に依存する住民が、「村八分」にするなどという、住民間での「対立」までも産んで来ました。
これが都市から田舎への「再分配」だとしたら、なんという歪んだ「再分配」でしょうか?!
これは【立地自治体にのみ利益】をもたらしますが、いざ事故になったら【被害】は立地自治体だけでなく、それこそ【国民的】な問題になります。
ですから「脱原発か?原発維持か?」を、もしも「国民投票」で問う上では、この「電源三法」の存廃も、同時に問われなくてはなりません。
国民不在の【野合】で、国会で「大連立」なるものが画策されている【今だからこそ】、脱原発か?原発維持か?を、国民に直接に問い、同時に「電源三法」にて代表される、これまでの歪んだ制度についても、国民に直接に問うべきではないでしょうか?
私は、その為の「国民投票」を実施する事を、今の政府に強く求めます。
もし御意見があれば、お寄せ下さい。

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投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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2011/5/30 18:39
本来は、今回の記事では、日本共産党の【科学観】について、真面目に【建設的な】批判を展開しようと、思っていたのですが、党中央への私の「質問」に対して、私が聞いてもいないオマケが付いた回答が来た事で、思いっきり【脱力】して殆ど書く気が失せたので、それ(回答)をそのまま「晒す」事にします。
私が前回までの記事で、真面目に「脱原発」について【具体案】を検討していても、党中央が、下記(↓)程に【空想的】であれば、そりゃ幾ら党中央も【具体案】を早く出せ!!…と要望しても、「ナシのツブテ」だった筈ですわ…
(以下↓、私が「電源三法」に対する当時の日本共産党の態度について「質問」したメールへの回答全文)
Date: Mon, 30 May 2011 17:32:52 +0900
From: info@jcp.jp
To: atsushi_iga@hotmail.com
Subject: RE: 質問 (電源三法への対応について)
メールありがとうございました。
電源開発促進税法、特別会計に関する法律(旧 電源開発促進対策特別会計法)、発電用施設周辺地域整備法の電源三法に、日本共産党は反対しています。委員会や本会議で反対討論もおこなっていますので、国会図書館のHPで議事録をご覧いただけます。
「原子力の平和利用に賛成していたから、電源三法にも賛成したのでは」という疑問は、原子力の平和利用といえば、現在の原発以外にありえない、という思い込みにもとづくものだと思います。
現在の党綱領を決める過程で、綱領改定案についての「質問・意見に答える」発言をおこなった不破議長(当時)は、以下のように述べています。
「私たちは、党として、現在の原発の危険性については、もっともきびしく追及し、必要な告発をおこなってきましたが、将来展望にかんしては、核エネルギーの平和利用をいっさい拒否するという立場をとったことは、一度もないのです。現在の原子力開発は、軍事利用優先で、その副産物を平和的に利用するというやり方ですすんできた、きわめて狭い枠組みのもので、現在までに踏み出されたのは、きわめて不完全な第一歩にすぎません。人類が平和利用に徹し、その立場から英知を結集すれば、どんなに新しい展開が起こりうるか、これは、いまから予想するわけにはゆかないことです。」
ですから、日本共産党は「原子力の平和利用」について、「当時」だけでなく、現在も認めています。
同時に、現在の原発を「原子力の平和利用」だといって賛成したことは一度もありません。
こうした立場は、不破社研所長の古典教室での講義をまとめたパンフレット『「科学の目」で原発災害を考える』所収の「原子力問題にかんする決議」(1961年・18中総)以来、一貫したものです。
*************
日本共産党中央委員会
国民の声室メール係
info@jcp.or.jp
日本共産党中央委員会ホームページ
http://www.jcp.or.jp/
「しんぶん赤旗」のお申し込みはこちらから
http://www.jcp.or.jp/service/akahata_form.html
(以上↑、引用終わり)
そりゃ、医療用の(極小規模の)原子力までは、私だって「否定」はしないけどさ…発電所として地球上での「平和利用」には最初から、恐らくは未来永劫に「無理」が有るよ…(苦笑)
1986年の「チェルノブイリ事故」の頃までは、反原発派の党派に対して、現場で「反科学主義」という悪罵を投げつけていた【理由】がコレだとすると、それも「無理」があるよ?
(何て言って彼らに謝れば良いの?)
あぁ!
そうか…遠い遠い将来に(数千年後か?…苦笑)、人類の大半が【宇宙】に暮らす時代でも来れば、原子力発電も、党の望む通りの「平和利用」ができるかもしれませんね。
全ての工程を無人化して【原発労働者の被曝】も無くして、【半永久的な核廃棄物】は太陽にでも落とすか、月の地中深くにでも【投棄】して、人間の暮らす空間とは、それこそ【何万キロ】も隔絶させて…(爆笑)
日本共産党に「理解」というか「信仰」の有る人ならば、これを「空想」で許してくれるだろう。
しかし、歴史を知る外部の人間にとっては「詭弁」としか写らないだろう。(残念ながら)
こりゃ、駄目だ…(苦笑)
6/1追記:
私は、SF小説が大好きなので、そりゃ…地球という限られた場所を離れれば、原子力エンジンとかも「有り」だとは思います。
でも当面は「地球」という限られた場所に住み、地震を始めとした地殻変動が頻発し、【半永久的な核廃棄物】の処理の目処は立たず、原発での【被曝労働】という実態も無くなる見込みは無いワケです。
だからこそ「原発」という物は、無くす事が「科学的」なのであって、現在という【前提】からすれば「平和利用」など、極限られた「医療用」ぐらいしか有り得ないのです。
自然科学でも社会科学でも、【科学】とは、常に如何なる条件が【前提】になっているか?…が問題なのです。
相対性理論を適用すべきマクロ空間に、非連続性が【前提】である量子力学を適用すれば「矛盾」が生じますし、逆に量子力学を適用すべきミクロ空間に、連続性を【前提】にした相対性理論を適用したら「矛盾」が生じるのと、同じ事です。
あくまで「現在」の諸条件を【前提】として、現在の【政策】は、科学的に考察されるべきだと、私は考えます。
私は今回の問題で、本気で日本共産党の発展の為には、その「科学観」の【鍛え直し】をせねばならぬと、確信をしました。(笑)
尚、付言すると、私の経験から1990年頃から、1986年のチェルノブイリ事故を受けてのヨーロッパでの動きに刺激されて、日本共産【党内】でも「脱原発」が言われ初めていましたが(安西教授の本などを推薦して)、党が「公式に脱原発」の方針を掲げたのは、2000年の第22回党大会決議からです。
2000年というと11年前ですから、まだ「公式の脱原発」路線の歴史は「浅い」ですが、それでも3・11以降という情けない結果よりは、マシな筈です。(苦笑)
日本共産党資料館
http://space.geocities.jp/sazanami_tusin/congress2/22th/decision22th.htm
日本共産党第22回党大会決議(2000年)
第三章 「日本改革」の提案――21世紀の未来はここにこそある
(8)日本国民の21世紀の生存と生活の基盤をまもる政治を
…の4番目
(引用開始)
――エネルギー……政府は、21世紀のエネルギーを、原子力発電所の大増設と、プルトニウムをくりかえし利用する路線に頼り切るという政策をとっている。このようなエネルギー政策をとっている国は主要国では日本だけである。欧米の主要国のほとんどが、原発建設計画をもたず、プルトニウム循環方式からも撤退しているなかで、日本のエネルギー政策の異常さはきわだっている。世界の主要国で放棄された政策にしがみつく政府の姿勢は、この問題でも国民の未来を危険にさらす。
昨年スウェーデンが原発の閉鎖に足を踏みだしたのにつづいて、ドイツが2020年代初めまでに原発を全廃することを決定した。原発大増設とプルトニウム循環方式という危険きわまりない政策を中止し、低エネルギー社会の実現、再生可能エネルギーの開発をすすめながら、原発からの段階的撤退をめざすべきである。
(引用終わり)
余談としては、この時点で、これまで「反原発派」に加えてきた「反科学主義」との【現場での罵倒を公式に謝罪】して、たとえ、確かに、【既存の原発】には、安全性の観点から【批判】をしてきたにしろ、それまでの「原子力の平和利用」という路線には、【原子力発電】の可能性(=安全な【原子力発電】という幻想)…も加えていた事を率直に認めて、我々は「公式に路線転換」しましたと、自他(内外)に【明白な総括】を行なうべきでしたね。
私も、何故そこまで中央が「一貫性」=【無謬神話】に拘るか?の理由としては、あくまで【現在の形での】民主集中制の維持という事を前提として、外部の【国民向け】ではなく、内部の【結束を図る】という内向きな理由しか思いつきませんが、それは結果として、内部では「空想的」で済んでも、外部からは「詭弁」に映り、党への国民の信頼を、逆に損なう「マイナス」にしか思えません。
私は、党の戦闘力維持の為に=行動では「集中」しても、党の活力の為に=言論では分派的な事は認めても良いと、将来的に【民主集中制】の「改善」を求めたいですし、【党首だけ】は現状の5段階の間接選挙ではなく、必ず対立候補(候補は中央委員だけでも構わない)も立てた、直接選挙で党員の「信を問う」という形で、更なる党の近代化を図る事で、こういった「一貫性」への拘り=【無謬神話】も消えていき、変化や活力に富んだ党になり、党外からの「見る目」も変わっていく事を、期待していますが…(笑)

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投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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2011/5/16 23:25
静岡県・御前崎にある、浜岡原発は、東海地震による津波対策が行われていないとして、その津波対策の工事が終るまでの数年間だけに限定された形で、運転停止の要請が、菅直人総理大臣から出されましたが、これを根拠に、中部電力は、津波対策工事の完了後の【運転再開】を、国や県や地元自治体に対して、今も尚、頻繁に働きかけているというニュースが、静岡の地元TV局などでは報道されています。
中部電力、浜岡原発の全原子炉停止を発表 2、3年後に運転再開方針 - SankeiBiz(サンケイビズ)2011.5.14
http://www.sankeibiz.jp/business/news/110514/bsd1105142237003-n1.htm
また原発推進勢力は、「反原発・脱原発」世論が各種世論調査で7割に達するという情勢の中、津波さえ対策すれば原発は「安全」なのだという形での巻き返しに必死で、本日のニュースでも福島第一原発が、地震発生直後から津波到達までの間は、配管等の破断を裏付けるデータが無く安全装置も正常に働いていたという「新データ」なるものを発表しました。
安全装置 津波来るまでは正常 NHKニュース5月16日
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110516/k10015926061000.html
これは、彼らによる「津波さえ防げば原発は安全」という、新たな「安全神話」の宣伝戦略です。
しかし私は、浜岡原発の場合は、福島とは異なる別の可能性も有る事を、指摘しておきたいと思います。
それは、約100〜150年周期で発生している通常の(短周期の)「東海地震」とは異なり、約1000年周期で、大規模(数m以上)な地盤の【隆起】を、御前崎地域において起している、「超・東海地震」の可能性です。(下記記事参照↓)
東海から琉球にかけての超巨大地震の可能性
名古屋大学大学院環境学研究科
古本宗充
http://cais.gsi.go.jp/KAIHOU/report/kaihou78/11_07.pdf
これは、非常に長いプレート境界の固着域を持つ連続発生的な地震の場合、その長い境界の両端で、プレート沈降速度が大きく違う場合という、スマトラ島沖と非常に似た条件にある地形において、大規模な地殻変動を伴なう地震が、約1000年周期に起こるという、比較的に新しい「学説」です。
(海岸地区に残る段差状の地形が「証拠」とされています)
またこれは、比較的にプレートの沈降スピードの遅い側(駿河湾付近)で、早い側に比べて長い間かかって歪が蓄積されるエネルギーが、一挙に解放される事によるのではないかという「仮説」も議論されて居る様です。
今回の東北太平洋沖の地震も、1000年に1回などと言われていますが、日本が、原子力発電を始めて「わすか」40年の間に起きてしまった訳です。
ならば、上記の大規模な地殻変動(=隆起)が起きる1000年に一度も、実際に起きる事は考えねばなりません。
仮に、原子力発電所全体が、完全な【剛体】の様に振舞って、配管等の破断が全く起きなかったと仮定しても、1000年に1度ですが、わずか【数mでも地盤が隆起】してしまえば、2次冷却系に用いている海水の取水口は、完全に陸地になり干上がってしまい、冷却水が取りこまれない「可能性」が有るのです。
よって私は、浜岡の様な「南アルプス」から連なる褶曲(隆起)地形の場合は、津波に対する防潮堤を作るなどという短期周期地震対策だけでは、安全性は【完全には】保証されないと考えます。
浜岡原発の、「運転再開を前提にした一時的な運転停止」という、これまでの国の「安全神話」からすれば、大げさに言えば「革命的」な【第一歩】に、いつまでも浮かれている場合では、決してありません。
今こそ、浜岡原発は「津波対策までの運転停止」ではなく「廃炉」を目指した世論を盛り上げ、当座の「津波対策」に回す予算が有るならば、その予算は廃炉・解体に向けて使うべきとの声を上げるべきでは無いでしょうか?
世界トップクラスの地震大国である上に、国土も狭い日本に、そもそも原発を立地するのは無理が有ると言えるのではないでしょうか?
そして、更に言えば、原子力発電が【安価なエネルギー源】というのも、それは電力会社にとってだけの話であり、真っ赤な【大嘘】で有る事は明かにされています。
原発は安物買いの銭失い | 地下のカリエール(くろまっくさんブログ:2011/5/13記事)…
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/662.html
…の中で紹介された本(再生可能エネルギーの政治経済学:大島 堅一:東洋経済新報社)や、コメント欄で紹介されたニュースソース…
http://seiji.yahoo.co.jp/column/article/detail/20110511-01-0901.html
…等を御参照下さい。(私も勉強するつもりで居ます)
必ずしも前回記事…
脱・原発に向けた具体的ロードマップに向けて(素案)
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/117.html
…の様な「一つの筋道」でなくても構いません。とにかく早急に多種多様な【具体的なロードマップ】を、それぞれ各政治勢力が具体的に国民に提示して、それを国会での議論に附して、一刻も早い「脱・原発」への一歩を踏み出すべきです。
その為にも今や、これまでの国家の「安全神話」に基づいた電力政策の転換として、象徴的な意味を持つに到った【浜岡原発の運転停止】を、更に次の一歩に進めて【運転再開に向けた工事】を止めさせて、逆方向に【廃炉】に向けた決断を政府に求めていきましょう。

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投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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2011/4/30 14:28
福島第1原子力発電所の事故を受けて、これまで日本の原発を推進してきた、歴代の自民党政権と、今の民主党の電力労連議員の多い【小沢派】による原発推進へと舵を切って以降の今の政府と、各電力会社と、専門家なる権威を振りかざした御用学者達が作り出してきた、これまでの【原子力は絶対に安全】という非科学的な神話の崩壊を受けて、今度は【原子力が無ければ電力需要を賄えない】という虚構(大嘘)を、計画停電などで、陽に暗に宣伝する事で、これまで原子力に投じられた莫大な利権に浴してきた「原子力ムラ」の住人達は、これからも【原子力の存続】を図ろうとしています。
一方で、今の日本の世の中には、直近の世論調査などを見ても、今回の福島の「人災」を受けて、ネオ・リベラリズム(新自由主義)の洗礼を受けて、投下コストに見合う安全性しか保障してこなかった既存の原子力発電は危険との認識を高め、これまでの推進を容認する世論を覆して、反対もしくは慎重という意見が【今の所は】多数を占めている。
(世論調査について、詳しくは下記WEBページ参照)
「きまぐれな日々」ブログ・2011.04.22付記事
「一気に「反原発」へと傾く世論。言論状況も劇的に変化」
http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1175.html
ところが、先の「いっせい地方選挙」の結果などを見ても判る様に、それは直ちに原発の地元でさえ「反原発」や「脱原発」を掲げた党派の躍進には結び付かなかった。それは問題が【全国的・日本全体に関わる問題】であった事で、ただちに【地方選】という地域独自の問題を扱う選挙の争点には成り難かったという点もあろうし、これまで国や電力会社からの多額の交付金で過疎の地域を支えてきた地元意識の問題もあったろうが、最も政治的に本質的だと思われるのは、国民の側にある【原発は不安だけど具体的に無くしたら自然エネルギーなんかだけで日本の電力はやっていけるのか?】という、素朴だが核心を突いた疑問に対して、既存の「反原発」や「脱原発」を掲げた党派が、隣国の原発大国であるフランスから大量買電しているドイツなどを例に挙げて、抽象的に「自然エネルギー」一般を叫ぶだけで、実際に国民が求める具体的なプランとしての【脱原発のロードマップ】を示しきれなかったという、確かな「弱点」が有ったであろう。
そこで私は、あくまで「素案」として、この【脱原発のロードマップ】を、短期・中期・長期に分けて、私の現状の力量の制約はあるので、あくまで恥をかく事は承知の上で、ここで公表したいと思う。
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●短期(今すぐ)
まず下記記事を参照して頂きたい。
むじな@台湾よろず批評ブログ
原発がなくても電力不足は起きない(2011-04-01付記事)
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/ef184b0c78d16a6da8a4be776b798827
「原発を止めると電力が不足する」の嘘 東電、発電実績データを密かにHPから削除(2011-04-21付記事)
http://blog.goo.ne.jp/mujinatw/e/6b72bd202b631833447b1be5314fefe5
私も手元には資料が無いが、夏場のピーク時に原発の定期点検が重なった場合などを想定して、各電力会社は潜在的には3割弱程の余剰発電能力を休止中の火力発電所として持っているのは確かだ。
短期的には、この潜在的な余剰発電能力を生かして、想定される「東海・東南海・南海」の3つの連動型地震(連動した場合の想定される地震規模=マグニチュードは今回の東北沖と同じM9.0程度)に備えて、その想定域にあり日本で特に危険とされる、下記の2つの原子力発電所を即時に運転停止をする事と、その廃炉に向けた作業を始める事だ。各家庭や事業者での「省エネ」の努力と重なれば、難なく実現可能だ。
@:中部電力の浜岡原発
「如月の指針」ブログ・2011/4/23付記事
最も危険とされる浜岡原発
http://blogs.yahoo.co.jp/hattor123inakjima/28515243.html
A:四国電力の伊方原発
「土佐高知の雑記帳」ブログ・2011/4/22付記事
伊方原発は即時廃炉せよ
http://jcphata.blog26.fc2.com/blog-entry-2240.html
【mixi】での議論を受けての追記:
この【短期=今すぐ】の段階では、上記の2箇所の原発以外は、運転を続ける原発も残る事になるが、この「安全性の向上」は、早急に始めねばならない【短期】の重要課題である。
少なくとも原子炉の冷温停止までは持つ、非常時バックアップ用ディーゼル発電機が、地下に設置してあるなどという、福島みたいな馬鹿げた状態は全て解消させ、高台に「移設」するぐらいの事は、費用も多額に掛かるワケでも無いので、早急に実施する。
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●中期(今から始めて5年〜10数年程までの期間で)
下記のページを見て貰いたい。
燃料電池 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E6%96%99%E9%9B%BB%E6%B1%A0
前々回の本ブログの記事…(2011/3/23付記事)
今こそ各政治勢力・党派は、脱原発の【具体策】を(例)
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/115.html
更に私の個人的な「日記」…
http://d.hatena.ne.jp/atsushi_iga/20110422/1303438170
一部重複するが中期計画は下記である。
この【燃料電池】の内で、既に中規模(数十kw)の実証試験で良い成績を挙げている、「固体酸化物形燃料電池:SOFC」を、直ちに商品化するべく、これまで「原発」の研究に使われていた国家からの研究費を振り替えて開発援助を行い、総電力需要の40%を占める企業や事業者の内で、ある程度以上の規模に応じた「事業体」毎に、自分の消費電力の内の何パーセントかを、既存の天然ガスや都市ガスを使って電力を自給していく事を義務付ける法律の整備を準備して、今から2年以内ぐらいに大規模なモデル事業化、その後の今から10年程は、普及・徹底への猶予期間とする。このパーセント基準は事業者の規模に応じて段階的に決めるものとする。
同時に、各家庭への「エネファーム」の普及助成は、従来通りに(可能ならばそれ以上に)進める事とする。
5/8追記:
各事業体向けには、その「電力自給化」設備投資の為の、特別な無利子の融資制度を設ける。
「固体酸化物形燃料電池:SOFC」は、既存の火力より【高効率=経済的】に成り得る為に、その「投資」に見合う「効果」は見込む事が出来るので、経済効果として致命的なダメージにはならない。
これによって余裕が生まれた電力供給量の分だけ、老朽化した原発から順次に運転停止して、廃炉を進める。
何故、ここで私が【固体酸化物形燃料電池】を具体的に挙げたかと言うと、貯蓄可能な燃料としては、純水素ガスだけでなく【都市ガスや天然プロパンガス】も、全く【水素を取り出す改質器】そのものが不要で、直接発電が出来て、高価な白金触媒も不要であり、現在考えられている燃料電池の内で最も発電効率が良く(既存の火力発電の最高40%に対して廃熱利用をしなくても充分に上回る)、最も高温で運転される事により空気中の酸素を使用する事による不純物である二酸化炭素からの中途生成物である有毒な一酸化炭素自体も燃料として使用されて、電極の被毒も無く、その【効率性】ゆえ【経済的】でもあり、将来的な「自然エネルギー」に次いで環境にも優しいからである。
それは長期的(20年〜30年)には、市場価格の変動に晒される【都市ガスやプロパンガス】の利用ではなくて、海底のメタンハイドレートの開発やら、広い海上で海水から純水を得て太陽光で電気分解して得た「純水素ガス」…燃料電池による排気ガスは水蒸気だけ…の製造プラントと貯蔵と運搬のインフラ整備やら、一般的な「自然エネルギー(太陽電池+蓄電池、地熱、風力、バイオマス、潮汐等)の積極的な充実は、より望ましいには違いないが、短・中期的(1年〜10年)の間では、既存のガスのインフラの、効率的な利用を模索するしか無いであろうという、あくまで私の個人的な判断によるものである。
コメントを受けての追記:
こうして、大規模な事業者であればある程に、電力を「自給」する体制を作る事で、制度面での改革として、既存の電力供給の「独占」状態に、既成事実として突破口を開けると同時に、、この【中期ビジョン】においては、現在は地域独占となっている「発電事業」と「送電線の保守・運営・設置事業」を、とりあえず「分社化」させる。
(下記↓のリンク先にもある、海外の例から学んだ「制度設計」が必要である)
電力自由化 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%8A%9B%E8%87%AA%E7%94%B1%E5%8C%96
これにより、長期ステップでの【電力事業】の「公共的」な性格に合わせた、電力の「地方自治」を樹立する為の、布石を打つ。
*****************************
●長期(今から始めて10〜20年以内の期間で)
上記で挙げた様に、市場価格の変動に晒される【都市ガスやプロパンガス】の利用ではなくて、海底のメタンハイドレートの開発やら、広い海上で海水から純水を得て太陽光で電気分解して得た「純水素ガス」…燃料電池による排気ガスは水蒸気だけ…の製造プラントと貯蔵と運搬のインフラ整備やら、一般的な「自然エネルギー(太陽電池+蓄電池、地熱、風力、バイオマス、潮汐等)の、積極的な充実と普及を図り、広く薄くリスク分散で、かつ地方分権的になる様に、電力供給を現在の「独占」から、地方自治体(少なくとも県レベル)にまで、分社化を進めて、電力の「公共的」な性格に応じて、電力供給を地方自治体による運営に切り替えていき、利益は自治体運営の財源とする。
5/9追記:
中期プランで分社化した「発電事業」と「送電線の保守・運営・設置事業」の内、前者は「より安定供給でき・より安価な」という目的によっては、半官半民として、競争入札制度にしても良く、後者は「送電線」等のインフラが新規参入の難しい巨大資本と成る為に【所有】は自治体の物として、その「保守・運営・設置事業」は、自治体管理下での競争入札制度としても良い。
(供給の安定化におけるリスクを如何に分担するか、その制度設計には、更に検討が必要である…私は、配電側ではなく供給側において、不安定供給のリスクを、主には負うべきだと考えるが…)
長期においては、将来的な、太陽光(含:電気分解した水素ガス)と、地熱と、バイオマス、海上風力等の総量を考えれば、現在の原発の総発電量を上回る事は確実であり(例:地熱に関しては下記参照)、原発の全廃のみならず、新規に増大する需要にも充分賄え、二酸化炭素の大気中への排出も減らす事は確実に達成できる。
例:地熱発電の可能性は…
地熱発電 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E7%86%B1%E7%99%BA%E9%9B%BB
…上記の内で、新しい【高温岩体発電】という方式の場合は、(以下引用)…既存の温水資源を利用せず温泉などとも競合しにくい技術とされ、38GW以上(大型の原子力発電所40基弱に相当)におよぶ資源量が国内で利用可能と見られている。
*****************************
以上が、私の【素案】として提示する【脱原発のロードマップ】です。
各個人・各所・各政治勢力で、各々検討される事を期待します。

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投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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2011/4/23 0:00
備忘録として、他の方のブログや掲示板で「対話」して得られた認識を、加筆・修正して再録しておきます。
皆さん「弁証法的な必然」なんて、衒学的言葉に誤魔化されてはいませんか?
(例えて曰く「共産主義社会の到来は未来の歴史における弁証法的な必然」である等)
こんな「必然」を背景にして、地域での「対話」やら、選挙総括で「理解が広がらなかった≒理解しない民衆が悪い」やらで、なんとなく「上から目線でエリート主義」だとかいって嫌われてはいませんか?
マルクス自身が、自分は、マルクス「主義者」では無いと言ったにも関わらず、科学的社会主義と名称を変えた「主義」が貫いてきたものが、哲学で言う「弁証法」という認識論の「イデオロギー」です。万物は流転するという思想を起点に持つ「弁証法」とは、元来は「イデオロギー化」を拒む性質でしたから、弁証法のイデオロギー化とは、そもそも弁証法にとっては「疎外形態」とも言えるでしょう。
20世紀という「神は死んだ」筈の世界の中で、それでもマルクスを起点とする「共産主義」は、その後の【後継者を自称】する人々により、ドグマ(教条)化されて「大きな物語」=神話を生みました。
この、神聖化された理想=神話として固定化された「共産主義」は、その「結論先にありき」の議論態度で、科学性を失い「生きた大衆」からは遊離していき、学問としてだけでなく、政治勢力としても弱小化していき、その衰退の世界史的な過程において「戦争・内乱・内ゲバ」等を生み出し、多くの血を代償として要求してきました。
私は、その元凶を、ソクラテス的な【無知の知】と、それを前提とした互いの対等平等の【対話法】という原点から離れて、イデオロギー化される事で本来の意味から疎外された【弁証法】にこそ有るのではないかと、愚考の末に「ほぼ」結論するに到りました。
拙ないアジにすると、私曰く…
【政治理論】からの弁証法の放逐と、形式論理を尽くした対話法の復権を!
…です。
しかし、典型的な弁証法の物語の【信者】は、例えば「人が人を殺していけない理由」などは、科学では説明できないなどと言います。
しかし、まっとうな(=普通の)社会「科学」の歴史を知っている者であれば、以下の様な形式論理的な論証が為されて来た事は周知だと思われます。
ロックやルソーという啓蒙思想家の場合、最初に【公理】として、万人に与えられた「自然権」を仮定して、そこから科学的(形式論理学的な)演繹と帰納を繰り返して…なんびとも自己の持つ権利と同等な他者の権利を侵してはならない…という社会科学的な「規範論理」を生み出しました。
それは彼らの自己形成の過程で、恐らく歴史的状況や周囲の現実に基づく彼ら自身を形成した【対話法】を通じて得られたもので、カントの「ア・プリオリ=先験的」な「定言命法」とは、明確に異なります。
しかし現代では、それだけでは実質的な「生存権」が保障されない【格差】という「現実」から出発して、ロールズ・ドォーキン・センなどは、格差原理(最も不遇な人の状態改善に寄与する限りでのみ格差を許容)や、責任原理(本人の責任に帰す事の不可能な結果的不遇の否定)や、「潜在的能力開花の機会平等」などの、新たな【公理】を追加する事で論理体系を組み替え、やはり同じ様に科学的(形式論理学的な)演繹と帰納によって、現代の【マルクス系以外の】社会科学は発展し、貧困等による間接的な「人殺し」までの否定や、「生存権」の発展に、寄与してきました。
こうした形式論理学的な方法が、数学や数理的な経済学と親和性が高い事は、ジョン・E・ローマーの「分配的正義の理論―経済学と倫理学の対話(木鐸社・2001/03) 」という著書でも有名です。
逆に、イデオロギー化した「弁証法」の【信者】達は、未だに自分と同じ意見の人間との「仲良し」サークル内での会話の事だけを「対話」だと勘違いして、自分と異なる立場や思想からの議論=対話には、それを【避けよう】としたり、果ては「レッテル貼り」や「罵倒」をすることで【保身】を図ります。
イデオロギー化した弁証法信者の場合は、あくまで事実からでなく、抽象論理から得られた「結論先にありき」なのです。
具体的なテーゼと、同じく具体的アンチテーゼから、具体的な形式論理的な過程を媒介せず、抽象論理で結論を出すからです。
つまり【弁証法】は、党が最近打ち出している、対等平等での「双方向型対話」の【障害】になっているいるのです。
あげくに、「人が人を殺してはいけない」という弁証法の「真髄」だと自己主張する行動規範まで、残念ながら【世界史的】な事実として、彼ら自身で自己否定してきました。
(そんなにも、自分の狭い経験の枠に囚われた「主義」が大事なのでしょうか?)
マルクス「主義」者は、本来の【無知の知】と、対等平等の【対話法】=議論という、科学の原点とも言える所まで、回帰すべきと考えます。科学である以上は、常に反証可能性は留保されねばなりません。
誤解の無い様に付言すると、私は科学万能「主義」者ではなく、人間の美徳としてある、「謙虚さ」や「人情」といったもとと同じく、美徳としての「科学的態度」もあるだろうという事を、私は述べるのみです。
ですから、時には人の生死に関わる【政治理論】からは、かつて「宗教」が排除されたのと同じ様に、イデオロギー化された【弁証法】をも、排除されるべきだと言うに留まります。
無論ですが、芸術家や、文筆活動家やら、歴史「観察者」の視点での、実際にインスピレーションを産んでいる弁証法は、自由に保障されるべきとも考えます。
現代において、量子化された個人は、宗教を選ぶ様にして、時に弁証法を選び、そして「もののあわれ」を始めとした感情から、「愛国心」や「隣人愛」を各々が手にした上で、実践的な精神(道具)としての「科学」的方法(対話・議論を含)を、試行錯誤の末に、学んでいくのです。
私も、拙いながらも、対等平等な一個人として「対話」を継続し、そして「科学」の末端で、形式論理を積み上げて「現実」と格闘して四苦八苦していきたいと思います。
【参考…党内の同志へ対話の啓発として】
最近の私個人の、ネット上での「対話」の例…
「くろまっく」さんのブログの記事での、「くろまっく」さんと…
http://gold.ap.teacup.com/multitud0/628.html#comment
「TAMO2」さんのブログの記事での、「キンピー」さんと…
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1480.html#comment
「TAMO2」さんのブログの記事での、「TAMO2」さんと…
http://red.ap.teacup.com/tamo2/1473.html#comment
無論ですが上記以外でも、職場や地域では、もっと広く【普通】の「対話」をしてますが…
(普通の、非党員との方との対話が、無論ですが、圧倒的に多いです)

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2011/3/23 21:35
福島県第一原発の事故について、昨日当たりから、TVやマスコミも遅まきながら、直接の単位時間当たりの被爆線量の単位である「シーベルト毎時=Sv/h」を積算被爆量である「シーベルト=Sv」と混同させて、1時間当たりの数値は低いから安全だなどと事故を軽く見せる事の限界に達してきております。
(詳しくは、http://red.ap.teacup.com/tamo2/1467.html 等を参照)
実際は、より深刻で、国の安全基準値も低く設定されている、放射性物質(放射能)の微粒子が拡散された後に環境中で生体濃縮されて放射性物質を人体の内部に取り込んだ場合の被爆(正確には核種の崩壊数)を表す「ベクレル」という単位において、水道水や、牛乳や、野菜などから、とんでもない値が検出されてきたからです。
これを受けて東電の株価は暴落し、今後は数十年は農業被害や健康被害に対して賠償をする為だけに存続を許される企業に成り果てて、国有化も避けられないとも囁かれています。
そもそも、原子力発電がローコストであるといった幻想は、原発の廃炉後の長期的管理コストや、廃棄物の長期的管理保全や、今回の様な万が一の事態へのコストを度外視したものでしたから、これまで電気会社が原子力推進をコマーシャルしてきた事自体が、如何に目先の短期的な利益だけを優先する、新自由主義(ネオ・リベラリズム)的な、資本主義の悪しき側面に染まってきた事を暴露された事を意味しますし、本来は社会の【公共部門】に属するべき、基本的なインフラである電力供給という問題を、短期的利益のみを重視するネオ・リベ的な発想に陥りがちな、東電を始めとする民間企業に委ねてきた事自体の是非が、今後は問われてくるでしょう。
しかし、我々庶民も(ましてや政党・政治家は)、単に【批判】しているだけで、代替となる【具体的】な提案をしていかねば、【これから将来の電力政策】というものは、実現されていかないのではないでしょうか?
そこで、私は、従来の大規模発電所+遠大な送電線というエネルギー効率的にも低い(発電する為に発生させたエネルギーの半分以下しか利用できない…約40%)独占システムを、根本から改めて、小型の地域密着型もしくは各家庭毎に【燃料電池】によって発電を賄い、コージェネレーション(廃熱利用)による給湯を含めればエネルギー効率は実に倍以上の80%にもなるという、最近になってやっと商品化されて市販される様にもなった新しいシステムへ、10年計画ぐらいで大規模な転換を図る事を提案します。
この【燃料電池】というのは、最近になって耳にした方も多いとは思いますが、一例として、TVでCMを流している「エネオス」の「エネファーム」という家庭用・小型燃料電池の場合、【イニシャル・コスト】として平均的一戸建家庭で、政府の現行最大140万円の補助金を受ければ、200万円程は、まだまだ量産効果が出ていないので掛かってしまいますが、【ランニング・コスト】としては、一般家庭の需要電力であれば充分に賄う事が出来て(1kwという容量は普通ならば充分です…※下記リンク先参照)、おまけに発電余熱で給湯まで出来て、太陽電池とも組み合わせれば電力会社への「売電」も可能で、従来よりも光熱費を節約出来て、他方で電力会社が宣伝している「オール電化」よりも、更に優位にも出来るというのがセールス・ポイントです。
これについては、追って説明しますが、まずは下記のWEBページなどを参照して下さい。
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ウィキペディアでは、「エネファーム」について、若干ネガティブに書いてありますが…(1kw/hでは家庭用の需要の【全部】は賄えないとか、停電時には使用できないとかいう不完全な情報が…)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%8D%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%BC%E3%83%A0
唯、行政からの補助金は現在も出ている様で、それを差し引いて200万円という事です。(但し普及が進めば【量産効果】が出てきて、装置本体の値段は現在の3分の1以下に出来るというのは、家電業界などでは常識ですから、信憑性はあります)
実際は、下記の様な記事もあり、我が家でも実際に1kw/hを超えて消費する事はまずありません。
http://eco.nikkeibp.co.jp/article/special/20090819/102039/?P=4
それに、コージェネレーション(廃熱利用)を意識して、ガス会社は給湯を中心に考えているから「1kw/h」という【規格】なのであって、技術的には〜数千kw/hまでの大型建築物用の非常用電源としての実用プラントも、実際に多数実在します。
また、自動車会社を中心に開発が進められている、電気自動車への車載用の「燃料電池」の場合、固体媒質型ではなく溶融塩媒質型という、より高効率・高レスポンスの物も実用化しつつあります。
また、停電時には使えないというのは、エネファーム本体だけの機能だけの話で、実際に住宅メーカーなどは、下記の様に蓄電池と組み合わせて、非常時に強い住宅というのを「売り」にしています。
http://www.solar-eco.jp/pv/future/greeny.html
系統電源が停電した場合でも電気と湯を供給できるようになっている点が特長ということです。
(但し都市ガスでなく、プロパンガス中心の地方都市でなくては、災害に強いとまでは言えないでしょうが…)
最後に、東邦ガスという、中部地方の都市ガス会社の、エコロジー面での、アッピール記事
http://www.tohogas.co.jp/enefarm/merit/energy.html
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原理的には、水の電気分解と逆の事を触媒の中で化学的に行う事で電力を取り出すので、発電自体は水蒸気しか発生しないという究極のエコロジ−なのですが、現状では、直接の燃料となる「水素」を「都市ガス」もしくは「プロパンガス」から改質器を通じて取り出すしかないので、そこで若干の2酸化炭素は発生しますが、ガス自体をバイオ・マスで生産出来る様にするか、または【広い海洋上で太陽光から一旦は電気分解で「水素」を直接生産出来るプラント】を作れば、環境中に放出する2酸化炭素は、結果的には±ゼロになります。
(炭化水素から水素を取り出す「改質器」が不用になり効率は益々上がる)
この「燃料電池」という技術が、他の自然エネルギーと異なる長所の一つは、電力源である水素(もしくは炭化水素)を、一旦発電してしまった「電気」とは違い「燃料」として保存しておく事が可能な点で、天候任せでなく、需給の変動に柔軟に対応可能な点です。
また従来の発電に対する原理的な優位は、従来の発電所は燃焼や核反応の熱によって一旦ボイラーで水蒸気を発生させて機械的に発電用モーターを回すという機械的プロセスを要しますが、燃料電池の場合は、全て化学反応で電気を取り出すので機械的ロスがなく、更に小型化にも向いており、地域密着型の場合は、送電ロスの低減や、コジェネレーション(余熱利用)により、総合的に見ると、利用可能なエネルギーが総発生エネルギーに占める割合が、従来の発電=20%〜40%が、燃料電池=60%〜80%になるという、原理的な優位性があります。
これらの事は、既に原理的には1970年代から知られており、行政による「水素エネルギー利用」のプロジェクトも一応は有ったのですが、原発推進の政府方針の中でネグレクトされ、今日の様な実用化段階に至るまでに時間が掛かったのは(遅れたのは)、はっきり言って独占状態を維持したい電力会社の既得権益に甘んじている事を、国家が許容してきたからでしょう。
既に、家庭用燃料電池は、商品化されてはいるとはいえ、その初期投資を出来るだけの貯蓄も無い我が家ですが、消費者にとってのコストUPになっても良いから、脱原発に向かうという方向性は、今度の事故を契機に、日本でも左右を問わず、合意形成が成されていく可能性が高まっているとは思います。
尚ちなみに、同じく初期投資が掛かり、エコロジーで地球環境に優しいなどと言われて普及が進んだ電力会社主導の「オール電化」は、今回の震災で図らずも、電力会社依存が、裏目に出ています。
この事からも、繰り返しになりますが、従来の大規模発電所+遠大な送電線という独占システムを、根本から改めて、小型の地域密着型もしくは各家庭毎に【燃料電池】によって発電を賄うという(場合によっては地方自治体も主体になり得る)リスク分散型の新しいシステムへ、10年計画ぐらいで大規模な転換を図る事を提案します。
最後に、最初にも述べましたが、すでに、世論は「脱原発」を前提として、その【具体策】を提示する事を、今【政治】には求められていると私は考えていますので、私の所属する日本共産党も、現役の候補者や役員や一般党員は、【2006年3月日本共産党の吉井英勝衆議院議員が予算委員会でした質問が(福島原発の今回の事故を)完璧に問題点を予見していたとしてネットで反響を呼んでいる】…などと「楽天的に」喜んでいる場合ではなく、1980年当時から我が党が「基本方針」としてきた、安全性を住民の立場から監視しつつも、原子力は平和利用に限定すべきで、代替エネルギーも模索するといった、従前の「脱原発」路線は、既に世論によって踏み越えられてしまっている現状に鑑み、我が党も【次の段階】である【脱原発の為の具体的な代替政策の提示】に、更に一歩、先に進むべきでは無いでしょうか?
私が本記事で述べた事は、従来のシステムからの大規模な転換ですし、既存権益を持つ電力産業からは抵抗もあるでしょうが、今回の事故を受けて国家電力政策の根本的な転換という【革命的】な意義が生じている事柄ですし、他方で必要性も定かですら無い「地デジ化」ですら国家的プロジェクトでやれるぐらいなら、まして出来ない筈は無いと、私も思います。
この提案が、国民的議論の一石にでもなれば幸いです。

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投稿者: 伊賀篤@勉強不足のJCP党員
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