伊賀篤のブログ

(ペンネーム=勉強不足のJCP党員、便所の住人)開設:2004/8/20〜

 
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投稿者:伊賀篤
●ペリフェラルさん。こんにちは。

> 丁々発止の議論はできませんので、のんびりペースで失礼致します。

私も最近…夏バテ気味なので、その方が助かります。(笑)

> 私自身は直接の被害はなかったのですが、数少ない支持者との接点では「歴史発展の法則(マルクスの圧倒的な正しさ?)を知っているわが党だけが真理を体現しているのだから、正しいのは共産党だけ」みたいな弁舌を聞き、違うなあ怖いこと言うなあと思ってしまう。そんな体験がベースにありますので、上記のイメージが再生されやすいのでしょうね。

まったく我が党の党員の一部には、対等平等の「対話」を理解できず、何か勘違いしている輩も居ますから、確かにそれ(日本共産党への嫌悪感や恐怖感)は自業自得ですね。(苦笑)

> 昔よりはソフトになっているのでしょうが、このイメージは払拭されていないと思います。その手のイメージ作りの一環になってしまうとしたら、もったいないのかなと。

確かに、私にも至らない点は山ほどあり、特に国家の引き起こす「戦争」にはアレルギーに近い嫌悪感を持っている事から、その点で口調が激しくなり、同じ様な「恐怖感」を再生産しているのだとしたら、戒めるできでしょう。

以前にも紹介したかもしれませんが、私は「対話」こそが何より大事だと考えていますので、下記の様な記事も書きました。(哲学に関する話題ですが)


【政治理論】からの弁証法の放逐と、形式論理を尽くした対話法の復権を!
http://blue.ap.teacup.com/nozomi/116.html

…また宜しければ感想でも御聞かせ下さい。
投稿者:ペリフェラル
伊賀さん、こんにちは。
丁々発止の議論はできませんので、のんびりペースで失礼致します。

>為る程。初めて貴兄の言わんとする事が(馬鹿な私にも)理解できました。(苦笑)

いえいえ、ひとえに私の文章力のなさに起因しています。それに伊賀さんは数理経済学などにも通じていらっしゃるようで(私はちんぷんかんぷん)、私など遠く及ばない知性をお持ちでいらっしゃる。「馬鹿な私」などとおっしゃられると、こちらがモニターの前で冷や汗をかいております。

>御安心して、これからもバシバシとカキコして頂けると有り難いです。(本心です)

寛大な対応をして頂きまして痛み入ります。折にふれ訪問させていただきます。

さて、印象論に終始しそうだったので当初は言うつもりはなかったのですが、正直なところを申します。「単なる打倒の対象」に過剰反応してしまったのは、字面から非常に冷徹・非情な印象を受けまして、「共産党は怖い」というイメージが頭に浮かんだということもありました。他には《「国民国家」という狂気》という表現や、他の方とのコメントの端々に衣の下から鎧が見え隠れしているような感じを受けたことも影響しています。

若い頃から、「共産党は口当たりのいいことを言うけれど、権力をとったら手のひら返しで何をするか分からない」といった話を複数の人から聞きました。市民運動に顔を出すようになると、古株さんから共産党がいかに運動の邪魔をしたかという話を聞かされます。私自身は直接の被害はなかったのですが、数少ない支持者との接点では「歴史発展の法則(マルクスの圧倒的な正しさ?)を知っているわが党だけが真理を体現しているのだから、正しいのは共産党だけ」みたいな弁舌を聞き、違うなあ怖いこと言うなあと思ってしまう。そんな体験がベースにありますので、上記のイメージが再生されやすいのでしょうね。

「共産党は怖い」というイメージは、保守派のプロパガンダで作られた面もあるのでしょう。そこはお気の毒ですが、自らがまいた種という点も大きいと思います。
昔よりはソフトになっているのでしょうが、このイメージは払拭されていないと思います。その手のイメージ作りの一環になってしまうとしたら、もったいないのかなと。そういったことも早めにお伝えすればよかったのかもしれません。
投稿者:ペリフェラル
>今後の論述においては、より丁寧にソコを説明に加えるとか等の、配慮は行うでしょう。

でも↑こう言って頂けましたのには感謝申し上げます。ご配慮ありがとうございます。

>文学的といえばそうかもしれませんが、私は文学こそ人の心を動かす事が出来る能力を持った、価値がある事だと考えていますので、場合(必要性)によっては利用します。

なるほどそういうことですか。一般論として「文学こそ人の心を動かす事が出来る能力を持った、価値がある事」については、おっしゃるとおりだと思いました。

それから、(苦笑)や(笑)についてですが、そんなに気にはなりませんし私も時々使います。でも、かなりお嫌いな方もいらっしゃるようで、言葉というのは難しいものですね。
投稿者:伊賀篤
●キンピーさん。こんばんは。

> 掃除はだいたい終わったようですのでご報告申し上げます。

御疲れ様でした。(笑)

> 領土問題については、国民国家が存在する以上、どうしても残ります。
(中略)
> 根本的な解決には国民国家を超える理念が必要です(私は自称九条教の教祖ですから、私のいう大東亜共栄圏とは9条をツールとして平和裏に成し遂げるという意味です)。

TAMO2さんのブログのコメントでも書きましたが(↓)…

http://red.ap.teacup.com/tamo2/1724.html#comment16978

まぁ、私は国家の死滅(というより役割を終えての「眠り込み」には)、無論ですが、その過程で、様々な新しい形(国家と国際関係)についての、理念が出され、その中で支持を受けたものが、徐々に実行に移されていくでしょう。
(例えば、軍事行為の完全な国連への移管とか…)

しかし、一気に全世界で同時に実現するという事が無い限り、先に放棄した国ばかりが損をする様なシステムでは、広がっていきませんよね。
(これをゲーム理論では「囚人のジレンマ」と言います)

ですから、何が国際関係でルールになるか?も、まずは各国の国民の「規範意識」=「理念」の変革が、まずは先行させるべきとの意見には一理あります。

御互いに頑張って、その「規範意識」=「理念」=左翼的な「価値観」を、まずは地元から、次に自分の国から、更に極東から、最後は世界へまで、広げていけると善いですね。
投稿者:キンピー
伊賀さん

掃除はだいたい終わったようですのでご報告申し上げます。

っで、記事について。
民衆が主役なのですから、党の役目は外部注入やさまざまな運動を包括することです。
もちろん包括とは党が頭になって民衆運動を束ねるという意味ではなく、献身的に支え民衆と一緒に学び成長するということです。
それが共産という名前を冠にする組織の役割だったはず。

領土問題については、国民国家が存在する以上、どうしても残ります。
それは国民国家というものの性格が同一性を求める排他的傾向があるからであって、国家主権が確立することによってますます領土を画定しなければならなくなった。
そしてその国家主権が国民国家によって成り立っている以上、小に対して大は譲るという格式仏教的道徳やニーチェのいう超人的な、あるいは王者のような振る舞い(道徳的な正論を)を、国民そのものが許さないでしょう。
現実的な方法とすれば係争地域の棚上げや共同開発などありますが、それは紛争がおこらないように抑えるだけであって、国民国家が存在する以上いつまでも紛争の種は残ります。
もちろんそれらは現状において、次善の策であることはいうまでもありませんが、根本的な解決には国民国家を超える理念が必要です(私は自称九条教の教祖ですから、私のいう大東亜共栄圏とは9条をツールとして平和裏に成し遂げるという意味です)。
っで、次善の策と根本的な解決は、現実的には二者択一ではなくどちらも必要なのだと思います。
投稿者:伊賀篤
●キンピーさん。こんにちは。

> 後は掃除しておきます。

よろしく御願い致します。(苦笑)

> 人権問題は民衆が国家を掌握することによって(あたり前ですが、党は権力から排除しなければなりません)

そうですね。少なくとも「党」というのが今の「党」ならば…そうでなくても代議制民主主義には限界もありますし。(単なる「まとめ役」なら「党」とは呼ばないかも)

> そして領土問題は国民国家を超克する概念を掲げることによって

そうですね。まぁ一気には進まないでしょうけど、各国が各国から順次に出来る事をする事で(例えば領土紛争地域は常に大国は小国に譲るとか、共同入会地にするとか)、既存の国民国家の枠組み自体を変えていく事ですね。(大東亜共栄圏とは少し違うかもしれませんが…笑)
投稿者:キンピー
あちらの方のブログではご苦労さまでした。
後は掃除しておきます。

っで、ついでに本件記事に関してですが、人権問題は民衆が国家を掌握することによって(あたり前ですが、党は権力から排除しなければなりません)、そして領土問題は国民国家を超克する概念を掲げることによって、つまりプロ独と大東亜共栄圏で論理的には解決するものと思いますけど。
投稿者:管理人
●ペリフェラルさん、こんにちは。
(私も上からというのをやってみました)

> 自己を国家とか企業に一体化しているような人はいますからね

為る程。初めて貴兄の言わんとする事が(馬鹿な私にも)理解できました。(苦笑)
そういう人々(恐らくは多くは権力者と同調者でしょうが)の気持ちにも「配慮」をすべきという事ですね。
まぁ権力者でも無く、他ならぬ、そういう「価値観」こそ克服(止揚)されるべきだと考える私には、確かに私自身の認識(信念)の「止揚の契機」にはなりませんでしたが、対外的には、そういう価値観の人も未だに居るという事は念頭に置いた上で、今後の論述においては、より丁寧にソコを説明に加えるとか等の、配慮は行うでしょう。

> しかし、伊賀さんからすれば「見当違いの」いちゃもんをつけてるような私も、某所人と似たような迷惑者かもしれませんね(苦笑)。

そんな事は決してありません。ちゃんとマナーを守って「対話」に来て頂けるのであれば、感謝こそすれ、決して「迷惑」などと思う事はありませんから、御安心して、これからもバシバシとカキコして頂けると有り難いです。(本心です)

> Oさんやハムハムさんのご意見も一理あると思いました。

一理も無いとは、私は言いませんでした。ただその状況に依存する「理」よりも、優先すべき原則的な「理」が有ると説いたに過ぎません。原則は極めて重要であり、そう簡単に放棄して良いものでは無いのです。(特に左翼が極めて弱い立場にある現在では)
投稿者:管理人
●承前

> 当時自分がベトナムに生まれていたら武器を取っていただろうか…考えちゃいますね。

そうですね。私も考えてしまうでしょう。
(歴史を後付けの理屈で評価する事は不毛かもしれませんね)
ですから今の私も「非武装中立」では無く、無為な戦争を起させない抑止やら、外交的な解決が図られるまでの(できるだけ)短い時間と、充分に【緊急避難】と後からでも言えるだけの限定された局地的な武力の使用まで踏み込んで、それは有り得ると、現実(歴史の中での現在の位置)に妥協をしています。

> これらの日々実践ということですかね(まだまだですが)。

これは私も御互い様です。(苦笑)

> なるほど。私も個人的に同感です。また、日本においてはこの線での社会的合意を維持し、リプロダクティブ・ライツに沿った施策を行っていくのがベターであろうかと思います。

御同意ありがとうございます。堕胎は母性を守る為に行われますが、それでも経験的には女性の心を深く傷つけます。将来的には無くなる展望なり技術的な可能性があれば良いのですが…

> だから私は、「人命は最大限(限界のある中での最大)尊重されるべきだ」という表現なら賛成します。

至高という表現に疑義を呈されていますが、これは現実に存在する「左翼」と「右翼」という対立軸の中では、誰でも重いと知っている人命よりも更に重い価値があるとウソぶくのが「右翼」であり、それに対抗するという意味で、あえて至高という表現を使い、たかが国家などの【道具】の為に、命の価値(人権)を超えて国家が尊重すべき存在は無いという事を簡潔に表す為に、この言葉を選びました。
文学的といえばそうかもしれませんが、私は文学こそ人の心を動かす事が出来る能力を持った、価値がある事だと考えていますので、場合(必要性)によっては利用します。
投稿者:ペリフェラル
伊賀さん、こんばんは。(今回は上からの流れです)

もう少しだけこの話題を続けます。

>まず「単なる打倒の対象」という言葉を私が本文で使ったのは、生きている「人間」に対してではなく、その「人間」が作った【道具】でありながら、疎外されて「人間」を抑圧する【凶器】と化した「国家」という組織に対してである事に留意して下さい。

はい、それは了解の上でのつもりです(苦笑)。
その組織も、当然ながらコンピューターによって運営されてるのではなく、人間が司っているわけです。その組織の存在そのものを否定するということは、組織に愛着あるいは執着している人間も「同時に」否定しているととられかねないということを懸念しています。自己を国家とか企業に一体化しているような人はいますからね(組織の中枢にいればいるほど)。友好関係を築かないのならそれでもいいのでしょうが。

異国同士での友好には3パターンあり、友好を進めるならどれも欠かせないと思っています。
1 政府と政府の間
2 民衆(民間)と民衆(民間)の間
3 政府と民衆(民間)の間

3は、例としてはあまりなさそうですがスマップの中国公演は2と3を兼ねたものでした。上海万博に日参した日本女性も同じような効果がありましたね。

>それなら、それでも結構ですが、これまで書いた理由により、私は自己の論述には、どこにも「矛盾」は感じてはいませんよ。(苦笑)

分りました。では、矛盾うんぬんは取り下げまして、もすこしシンプルに、伊賀さんとは信念対立の止揚の契機が得られなかったということといたしましょう。つまり、私は友好関係の維持・発展には「単なる打倒の対象」はやめたほうが良い、と考えますが、伊賀さんはそれには賛同されなかったということで、この件は終わりにするということでいかがでしょう?

話題を変えますね。
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