白状すると、私は天皇崇拝者ではない。天皇なんて、国民に愛される無形文化資産程度の認識でしかない。でも、不要だとは考えていない。
世界史に関心が深かった私にとって、なぜに天皇家は生き残ったのか。それが不思議でならなかった。本来、実力ある権勢者により、とっくの昔に滅ぼされて然るべきものだと思う。少なくても世界の歴史の大半では、実権を奪われたかつての支配者は、ほとんど滅ぼされている。
ところが天皇家は生き残った。なにか、とり立てて優れた才幹があった訳でもなく、大富豪であったわけでもなく、なぜか生き残った。これを不思議だと思わないのは、歴史的センスに欠けると思う。
私なりに考える理由は、天皇が敢えて王でもなく、帝王でもなく、天皇という独自の呼称を選んだからだ。
歴史の世界では、単一民族の首長を王と称し、複数の民族の支配者を帝王として区別する。そして日本の大和王朝は後者に属する。単一民族の首長にも思えるが、やはりアイヌの民をはじめ他の大和民族以外の民を征服、支配した帝王と呼ばれるべき存在が、日本の天皇だった。
氷河時代が終わりを告げた当初、日本列島の住人はいわゆる縄文の民であったと思われる。この人たちは遠くユーラシア大陸の中央部からやってきて、一部はベーリング海峡を渡りインディアン(ネイティブアメリカン)やインディオと呼ばれるようになった。
日本列島だとアイヌ民族がこの一派に属すると考えら得る。おそらく東北地方にも相当の生息域をもっていたと思われる。はっきりと証明されたわけでもないが、日本への移動ルートは、オホーツク海を渡海してきたと考えられる。
一方、温暖化がひと段落した頃から、今度は黒潮に乗って大陸南部から渡ってきた人たちがいる。推測だが、今も中国南部で生活している苗(ミャオ)族の一派と推測される。
この人たちがいわゆる弥生時代の住人だ。米の栽培技術を持ち、日本民族の原型を作った人たちではないかと私は考えている。弥生という優雅な名称とは異なり、弥生時代は戦乱の時代であったことが、最近の発掘調査により明らかになっている。
当然だろう。狩猟と採取を生活の基盤としていた縄文の民と、農耕を主体とする弥生の民が争うのは必然でもある。後に日本を支配することとなる大和王朝は、当然にこの弥生の民の後継だと思われる。最終的には、北海道を除いて縄文の民は滅ぼされ、混血として生き残った。もしかしたら東北の藤原氏は、その系統かもしれない。
ここまでは、割と一般的に知られたものだ。そして、この先は私の独断と偏見によることをご承知いただきたい。一般的には、この後に朝鮮半島からの人口移動があり、今日の日本民族の原型が完成したとされる。
だが、私の考えは少し異なる。寒流と暖流のぶつかり合う日本列島は、台風と大雨といった自然災害にも悩まされる地であるが、農業生産力の豊かな恵まれた地でもある。
この豊かな農業生産力を生かした日本列島の住民たちは、進んだ文化を持つとされた朝鮮半島に侵略していったのだと私は考える。そして半島南部にいくつかの支配地をもつようになった。
だが、最終的にはシナの支援を受けた朝鮮半島の原住民との争いに破れ、日本列島に戻った。その際に、シナの優れた技術が帰還者と共に日本に入ってきた。
なお、半島経由で騎馬民族が渡ってきて日本を支配したとの説が唱えられたこともあるが、現在は否定されている。当然である。もし大陸からの渡来者が日本を支配していたのならば、彼等の言葉(シナ語かコリア語かはともかく)が支配階級の言葉となり、日本列島で広く使われるようになったはずだ。
古代コリア語の影響を私は否定しないが、やはり日本語とは異なる言語だと思うし、苗(ミャオ)族の文化の影響の強さなどを勘案すると、やはり天皇家は半島出身者の王族ではないと思う。ただし、相当に半島出身者の血は混じっているとも思う。当時の文明の最先端はシナであり、その優れた伝承者であるコリアの民は、相応に敬意を払われていたはずなので、日本の支配階級との混血は不思議ではない。
シナの文明の強い影響を受けながらも、日本の支配者たちはシナの支配体制の下に置かれることを断固拒否した。だからこそ、敢えて独自の用語としての天皇という言葉を使った。
天皇は皇帝にあらずして王でもない。あくまで日本独自の制度だとつっぱった。単なる虚勢ではない。当時、東アジアの覇権国であるシナに飲み込まれないための必死の宣言であったと思う。
王ではなく天皇であり、皇帝ではなくとも皇族はある。いじましいと卑下したくもなるが、相当な覚悟と決意が、その言葉に秘められていると思う。なお、この天皇という言葉が定着するには、相当の時間がかかり王とか大王(おおきみ)とか異なる名称が複数使われていた期間もあった。しかし、最後には天皇が定着した。
強大なシナに対抗するといった覚悟と決意が「天皇」という言葉にある。それゆえ、天皇家は支配者としての実力を失っても、その存在は残された。
鎌倉幕府以降、天皇家が政治の実権を取り戻すことは、ほとんどなく形式的な存在に落ちぶれた。だが、どれほどの実力がある支配者も、天皇家を滅ぼすことはしなかった。
日本がシナの支配下にあるのではなく、独立した存在であることを示す信念の体現者であるがゆえに、その存在が保存されたのではないか。私はそう考えている。
その覚悟と決意が再び活かされたのが、幕末の大政奉還であった。相手はシナではなく欧米であり、この新たな脅威に対抗するため、再び天皇というシステムが表に立つことになった。
実権を握っていたのは、あくまで薩長の実力者たちであり、明治天皇はそのことを深く理解し、「君臨すれども統治せず」を体現することにより、あの動乱期を乗り切った。
最近、NHKという公共放送が番組で天皇という用語を使わず、王家という言葉を使っているらしい。どうも、この日本の公共放送を担う組織には、反日自虐の信念を持つ輩が製作者として潜り込んでいるらしい。
なぜ皇帝ではなく天皇だったのか。なぜ王家ではなく天皇家であったのか。その覚悟と決意を分らぬ輩であろう。まあ朝鮮半島の原住民たちは、早々にシナの支配下にあることに安住してしまったから、彼等が理解できぬのは分らないでもないのですがね。
困ったことに、日本には天皇を否定することが戦争の反省につながると盲信している反戦平和原理主義者が少なくない。大方、彼等の策謀であろうと思う。たいへん不愉快なのでとりあえず、私はNHKの受信料支払を拒否してやるつもりだ。
まァあの狂信者たちは、反省なんぞするわけなく、組織防衛の論理にしがみ付いて正当化を強行するでしょうがね。そしてNHKはますます視聴者から乖離することになる。

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