十数年、山を登ってきたが、一番寒かったのは10月の谷川岳だった。
気温は摂氏で表されるが、人間が寒さを感じるのは体感温度による。気温が氷点下でも無風状態で、日差しがあれば半そでシャツでも我慢できる。ところが日差しがないと半袖では耐えられない。
そこに風が吹くと大変だ。大体、体感温度は風速1メートルにつき一度下がるとされる。摂氏0度でも風速10メートルならば、体感温度は氷点下マイナス10度に相当することとなる。さらにこれに水分が加わると、体感温度は8割増しで冷え込む。
たとえ雨が降っていなくとも、汗で身体が濡れている状態ならば、摂氏0度風速10メートルだと、体感温度は氷点下マイナス18度だと思って、まず間違いない。
紅葉を楽しみに、10月の上信越の山を目指したのは、大学1年の秋だ。麓は日差しが柔らかく、平標(たいらっぴょう)山への稜線を登るにつれ、汗で下着がビッショリ濡れたぐらいだ。紅葉には少し早かったと考えていたら、にわかに雲行きが怪しい。
稜線に突き上げると、ガスというより雲のなかに突入することとなった。どうやら日本海側からの強風に煽られて、予想より早く低気圧が近づいているようだ。雲のなかは強風と、みぞれが荒れ狂っている。標高があがるにつれ、気温は下がりだし、いつのまにやら氷点下近い。
汗で濡れた下着の上に綿のカッターシャツ一枚ではつらい。雨具を着ても、体温は奪われっぱなし。身震いが止まらないほど寒い。一応セーターを持参しているが、濡らしては拙いから、ここでは着るなとリーダーが命じる。
岩陰に入り、風を避けつつ昼食を作る。マッシュポテトでポテサラダを作るが、作るそばから凍っていく。口に入れると、シャーベットのような感触で、身体が芯から冷えるゾ!
この後数時間、一の倉の天場に着きテントに入るまでが地獄だった。寒くて死にそうな気分に陥ったのは初めてだった。寒さに震えて、関節が痛くなったのも初めての経験だった。確認しておくが、時節は10月だぞ。季節はずれの寒気であったのは確かだが、他にも原因はある。
一つは私が、夏用のメッシュの下着を身に着けていたことだ。暑い時は快適だが、寒い時に着るべきものじゃない。テントのなかで着替が、どれほど待ち遠しいことだったか。ホント泣きたくなったぞ。多分衣類をしっかり秋冬用にしておけば、我慢できたと思う。
もう一つは、私以外のメンバーが皆寒さに強い連中ばかりだったことだ。雪の上でエアマットなしに熟睡できるMは論外だが、冬に窓を全開にして勉強する性癖のあるKも寒さには強い。先輩も寒さには鈍感なのか、普段から薄着で過ごす変人だ。私一人が普通の感覚の持ち主であったため、寒さを訴えても誰も「このくらい我慢だ」と受け付けてくれない。
この寒さのなか、顔にうっすら汗が凍り付いているなかで、シャーベット状のポテトサラダを食べながら、「いや〜、思ったより寒いなぁ」とヘラヘラ笑われても困る。笑っている場合じゃねえだろう!本当に寒かったんだ。身体が芯から凍り付いて、動きが鈍くなったのは、後にも先にもこのときだけだ。
やはり谷川岳は、遭難死が日本で最も多い山なのだと、つくづく思い知らされました。あの冷風はつらい。以来谷川は夏場しか登っていません。やっぱり、私は寒いのが嫌いだ。
表題の作は、映画化されたせいか新田次郎の代表作とされている。ちょっと異論はあるが、厳冬期の山の寒さ、厳しさを巧く表現していると思う。映画では、美しい夏の光景と対比させていたのが実に効果的でした。いや、本当に身体が凍り付いてくると、幻覚浮かぶもんなんです。下手なオクスリよりも効きますぜ。お勧めはいたしませんがね。

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