『抵抗者たち』を初めて読んだのは、20年ほど前のことです。今にして思えば、日本の右傾化が大きく進んだ時期だったのですが、ノンポリの学生だった私は切実な危機感を抱くこともなく、遠い時代の出来事として読みました。それでも、あの恐ろしいナチスに対して、国内に抵抗運動があったことは大きな驚きでした。今、規模は違っても同種の危機の中に暮らしながら改めて読み返してみると、その数の多さに圧倒されます。もちろん大多数の人は抵抗をしなかったのですから、割合としてはごくわずかということになるのでしょうが、実数としては大変な数だと思います。しかも、この本に出ているのは、資料がきちんと残っている数だけですから、著者の指摘にもあるように、実際にはもっと多くの抵抗が行われていたのです。
本から少し抜き出します。
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あらゆる措置にもかかわらず、ナチス体制に対する抵抗はなくならなかった。1933年から1935年までの丸3年の間に、確認されているだけで5425件の政治的裁判、つまり反ナチ活動に対する裁判が行われ、20883人の被告に対して──しばしば好んで用いられる表現を使えば──延べ39792年に及ぶ懲役ないし禁固刑が言い渡された。1936年には11687人の共産党員と1374人の社会民主党員が逮捕され、37年には共産党員8068人、社会民主党員733人がゲシュタポに捕らえられた(ペーター・アルトマンほか『ドイツ反ファシズム抵抗──1933年-1945年』、1975)。
もちろん、逮捕にまで至らない抵抗活動も後を絶たなかった。1935年1年間だけで、ゲシュタポは非合法資料の配布場所5067ヵ所を確認したが、その中にはそれまで知られていなかった文書が612点も含まれていた(政治教育センター篇『政治教育情報』第160号「ドイツの抵抗──1933-1945」、1974)p34
こうしたすべての困難と危険性を自らに引き受けながら、それでもなお抵抗の試みは絶えることがなかった。大多数の人々の沈黙のなかで、試みは至る所で、あらゆる傾向の人間たちによって、繰り返し開始された──そして、繰り返し挫折に追い込まれた。すでに1930年代の末近くになっても、それはやまなかった。とりわけ、ナチス・ドイツがチェコスロヴァキアのズデーテン地方を「併合」した直後の1938年10月には、1ヶ月間だけで計1630人の抵抗者が逮捕されている。そのうち、683人が共産党員、83人が社会民主党員、19人が社会主義労働者党員、そして残りの845人は、これらの党派以外の反ファシストだった(クラウス・マンハッハ『ドイツ反ファシズム抵抗活動──1933-1939年』、1974)。p22
さまざまな問題についてさまざまな形でひそかに配布された反ファシズムの非合法文書は、第三帝国の全期間を通じて、最も重要な闘争手段の一つだった。ゲシュタポの統計は次のような数字を記録にとどめている。
1934年度の数字として報告された反ファシズム文書 1,238,202
1935年度 1,670,333
1936年度 1,643,000
うち偽装文書 222,000
それ以外の印刷文書 1,234,000
こんにゃく版刷り 187,000
1937年度に発見されたもの 927,430
うち偽装文書 84,000
それ以外の印刷文書 788,000
こんにゃく版刷り 55,430
もちろんこれは、非合法文書の配布者はその場で射殺すべし、というあのゲーリングの指令が生きている状況のなかでの数字である。(p80-81)
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ここには、先日ご紹介しましたヒューベナー少年や白バラグループの活動は含まれていません。彼らの活動は1940年代に入ってからです。1930年代に青少年による抵抗運動の痕跡があまり残されていない理由として、著者は、ナチスが「青少年教育の重要性については十分認識しており、〈ヒトラー青年団(ユーゲント)〉の組織の網を青少年の生活のあらゆる領域に張り巡らし、これによって彼らの全生活を完全に組織し掌握する施策を着々と進めて」いたこと(1935年10月には大学生の自治組織もすべて消滅し、あらゆる大学生が「ナチス学生同盟」に統合されていた)、1935年3月には国民は全て兵役を義務づけられることになったので、兵役に就くすべての青少年は統帥権を持つヒトラーへの忠誠を誓わせられていたことなどを挙げておられます。
本にはほかにも多くの青少年による抵抗が出ていますし、女性についてもたくさん出ています。学生や若い人たちだけでなく、年配の人たちもいました。既婚者も母親もいました。
この本に出てくる人たちのほとんどは殺されてしまったのですから、これは悲しい本ですが、私には希望の本でもあります。これほどに、人間の精神には可能性があるのだということを教えてくれるからです。
私は
ヴェルコールと出会ったことで、抵抗について考え始めたのですが、もしかしたら近い将来こういうときがくるかもしれないと意識した原点には、久野収さんの『ファシズムの中の1930年代』があります。1930年代に似てきた時代への警鐘として1986年に書かれた本です。(
こちらで少し触れています。)
1930年代を経験しておられる方々は、あの時代と今がよく似ているとおっしゃっておられます。久野さんはすでに20年前に同じ空気を感じておられたのですから、今はもう本当にがけっぶちなのだと思います。私は、日本の1930年代を知らないのですが、戦争について考える中でドイツの
児童文学を読むことが多かったので(文学は時代の雰囲気を伝えますから)、そうした記憶から今の日本との類似を感じています。
さらに、この数週間、この本を毎日開いていて、今私が生きている状況との類似を大変強く感じました。
教育基本法の改悪がもくろまれて学校教育が大きく変えられようとしていますし(ナチスは初等中等教育を掌握し、課外活動によって子どもたちの時間のほとんどを管理しました)、これはまだ一部の問題ではありますが「国旗」が非常に重要なものとされている点も同じです。
ヒューベナー少年の裁判で、少年法が適用されなかったのは、彼を「大人扱い」したからです。少年法というのは、子どもは未熟なものだから、大人と同じ基準で罰するのでなく、置かれた環境や受けてきた教育など、いろいろな問題を考慮して大人よりゆるい基準で判断して、もっと良い環境で育て直し、やり直しの機会を与えようという考えに基づくものだと思います。それを適用しないで、権力にとって都合の悪い子どもたちを「大人扱い」にするという考えは、今の少年法「改正」案にも通じると思います。子どもを子どもとして扱う年齢の上限を下げるということは、大人扱いする子どもを増やすということですから。そして、それは政府にとって都合の悪い子どもたちです。子どもたちの犯罪の増加(実際には増加していないのですが)は、教育基本法改悪の言い訳にもされています。
そしてまた自分たちに都合の良い若者を
利用しようとする姿勢も同じです。(紹介サイトの管理人さんは今も自民党を支持しておられます。ハト派の方です。訂正します。)