(つづき)
こんなふうにいつもはっきりわかってつかっているから、「日本を愛する」というときも、わかったような気がしてしまうのじゃないでしょうか。
でも、「日本を愛する」というときは、「日本」の意味が突然曖昧になるのです。おかしいさんが認めておられるとおり、「そんなものそれぞれが答えを出すべきでしょう」ということになってしまうのです。
そして、おかしいさんにとっての「日本」は、「父であり、母であり、幼少の頃遊んだ大きな木の風景であったり、お祭りだったりします。そして私の血に綿々と流れる歴史であり、自分自身である」のです。おかしいさんにとって「日本」は、ポジティブな言葉なのですね。
私はおかしいさんのように「心の中で」自分にとっての「日本」を考えたことがありません。普段この言葉を使うときは、いつも意味がはっきりしていて考える余地などないのです。誰もがはっきり意味のわかる言葉として使っています。
でも、おかしいさんのおっしゃるように、「日本を愛する心」という言葉の意味を説明しようとすると、「日本」は人によって違う意味を持つことになります。
曖昧なのです。ここが愛国心という言葉のトリックなのだと私は考えています。
今教育基本法「改正」を目指している政府は、改憲を望んでいます。改憲は、米軍再編のために不可欠ですから、これを許せば、いずれは米軍の戦争に巻き込まれて子どもたちが戦場に送られることになるでしょう。
こういう目論見を持つ政府が法律に書き込みたいと考えているのですから、政府の意図する「日本」とは、日本政府だと思います。つまり自分たちの意図するように子どもたちを動かすために、この言葉を書き込むのです。
でも、法律には「日本政府を愛する」と書くわけではないのですから、正体がばれません。おかしいさんのように、「父であり、母であり、幼少の頃遊んだ大きな木の風景であったり、お祭りだったりします。そして私の血に綿々と流れる歴史であり、自分自身である」と考えることもできますし、「改正」後の学校では「日本とはきみたちの暮らしている場所、家族、友だちのことだ。だから愛するのは当然だ」と教える先生も多いのではないでしょうか。(もう一度つづく)
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