町田市の「公正な教科書採択についての請願」は、これを考えた人たちの好みに叶う教科書を採択するのに有利な環境をつくるための請願なので、ここに「公正」という言葉が使われると、この言葉の本来の意味が損なわれてしまいます。
これは中学の先生たちの話を聞いていてもよく感じたことですが、言葉の本来の意味が消されたり、ゆがめられたりすることに、私は悲しみとともに怒りを覚えます。
もうずっとこんな思いを持ち続けていましたが、今回、町田市の請願の中に「負の遺産」という言葉を見つけて、体が震えるほどの激しい憤りに駆られました。この言葉が使われている部分を引用します。
「今こそ「戦後教育の負の遺産」を精算し、敗戦により断絶された日本の歴史、伝統、文化を正しく継承し直し発展させなければ日本の未来はない。」
「負の遺産」という言葉を聞いて、私がまっさきに思い浮かべるのは、
1985年5月8日、ドイツの敗戦40周年に際し、旧西ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー大統領が連邦議会で行った名高い演説です。
この演説を読んだとき、深く感銘を受けたのはもちろんですが、敗戦後40年でこういう大統領を生み出したドイツと、同じ年月を経ても尚、およそ言葉と呼べるものを持たない政治家が幅をきかせている日本との差に絶望的な気持ちになりました。
演説の中で、彼はこの言葉を直接使ってはいませんが、その内容はすべて「負の遺産」を受け継ぐ必要を説くことに費やされているといってもよいと思います。もちろん真の意味でです。
ご存知の方も多いことと思いますが、今日は、この演説の中から数箇所ご紹介させてください。
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「荒れ野の40年」
・・・・・・・(略)・・・
5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。
われわれは今日、戦いと暴力支配との中で斃れたすべての人々を哀しみのうちに思い浮かべております。
ことにドイツの強制収容所で命を奪われた600万のユダヤ人を思い浮かべます。
戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。
ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で、捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。
虐殺されたシィンティ、ロマ、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。
銃殺された人質を思い浮かべます。
ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。
ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス──これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。
積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心を曲げるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。
はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。
死者への悲嘆、
傷つき、障害を負った悲嘆、
非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、
空襲の夜の悲嘆、
故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、
捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、
迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆──こうした悲嘆の山並みです。
今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。
人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。
彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。
この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守り続けたのは彼女たちでした。
戦いが終るころから、確たる未来の見通しもないまま、先頭に立って石を一つ一つ積み上げていきだしたのは彼女たちでした。ベルリンはじめ全国の「瓦礫おんな」のことであります。
生きのびた夫たちが帰還してくると、彼女たちはまた往々にして後ろに引下らねばなりませんでした。戦争のため多くの女性が独身のままであり、生涯孤独でした。
しかし破壊や、荒廃、あるいは残忍で非人間的な行為のせいで諸民族が内面的に崩れてしまわず、戦いが終ったあとしだいに自分を取り戻したのは、まずもって女性たちのお陰なのであります。
・・・・・(略)・・・・・・
目を閉じず、耳をふさがずにいた人びと、調べる気のある人たちなら、(ユダヤ人を強制的に)移送する列車に気づかないはずはありませんでした。人びとの想像力は、ユダヤ人絶滅の方法と規模には思い及ばなかったかもしれません。しかし現実には、犯罪そのものに加えて、余りにも多くの人たちが実際に起こっていたことを知らないでおこうと努めていたのであります。当時まだ幼く、ことの計画・実施に加わっていなかった私の世代も例外ではありません。
良心を麻痺させ、それは自分の権限外だとし、目を背け、沈黙するには多くの形がありました。
戦いが終り、筆舌に尽くしがたいホロコースト(大虐殺)の全貌が明らかになったとき、一切何も知らなかった、気配も感じなかった、と言い張った人は余りにも多かったのであります。
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
人間の罪には、露見したものもあれば隠しおおせたものもあります。告白した罪もあれば否認し通した罪もあります。充分に自覚してあの時代を生きてきた方がた、その人たちは今日、一人びとり自分がどう関り合っていたかを静かに自問していただきたいのであります。
今日の人口の大部分はあの当時子供だったか、まだ生まれてもいませんでした。この人たちは自分が手を下してはいない行為に対して自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、彼らが悔い改めの時に着る荒布の質素な服を身にまとうのを期待することは、感情をもった人間にできることではありません。しかしながら先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。全員が過去からの帰結に関り合っており、過去に対する責任を負わされているのであります。
心に刻みつづけることがなぜかくも重要であるかを理解するため、老幼たがいに助け合わねばなりません。また助け合えるのであります。
問題は過去を克服することではありません。さようなことができるわけはありません。後になって過去を変えたり、起こらなかったことにするわけにはまいりません。しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります(拍手)。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。