今日は、「第13章 新憲法に現われた民主主義」からです。初めて読んでくださる方は、
こちらをご参照ください。
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<国民の基本的権利>より
それでは、民主主義を実現するためにどうしても欠くことのできない自由には、どんなものがあるであろうか。ルーズベルト大統領は1941年の年頭の議会教書の中で四つの基本的な自由として言論の自由、信教の自由、恐怖からの自由および欠乏からの自由を掲げた。このうち、恐怖からの自由と欠乏からの自由の二つは、同年8月に発表された有名な「大西洋憲章」の中にもおごそかに宣言されている。われわれの新憲法は、はたしてこれらの自由を保障しているかどうか。それを検討してみよう。
まず、第一の言論の自由については、新憲法の第19条に、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」という規定がある。日本では、太平洋戦争の始まるずっと前から、国民の思想ばかりでなく、その良心までも、権力の手で強制されてきた。しかし、国民自身が正しいと考えることを信じ、それを自由に発表することが許されないならば、政治がどんなに脱線しても、それを正しい軌道の上に引きもどすことはできない。
過去の日本では、言論の圧迫がはなはだしく、国民は政府によって統制された宣伝を無批判に受け取るようにしいられていた。だから、民主主義の行われるための根本の前提は、思想と良心の自由である。したがって、それを発表する言論の自由でなければならない。
次に、第二の信教の自由について考えてみると、新憲法第20条は、「信教の自由は何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と規定して、その精神を明らかにしている。宗教が人間の精神を動かし、その行動の上に影響を与える力は大きい。したがって、もしも宗教が国家の権力者によって利用されるならば、──ちょうど、戦争中にわが国の為政者たちが国民の心に極端な国家主義の神国思想を植えつけた場合のように、──その結果はおそるべき破局をふたたびもたらすであろう。(略)
それでは、第三の恐怖からの自由とはどんなものであろうか。それを理解するには、独裁主義や軍国主義の時代に国民の生活がどんなに恐怖にさらされていたかを思い浮かべればよい。
昔、封建政治が行われていた時代には、武士が些細なことから町人を殺しても、それが「切り捨て御免」としてとおり、町人はそれを訴え出る余地もなかった。どんな非道な裁判や拷問が行われても、国民は「泣き寝入り」をするよりほかはなかった。しかし、それはけっして単なる昔だけの話ではない。今日の時代においても、まだ世界の国々は戦争の恐怖から除かれているとはいえないし、国内政治においても、政治を批判した者をむやみに捕縛したり、罪のないところに罪を作ったりするようなことが、行われないとはかぎらない。
恐怖からの自由とは、このように脅かされない平和な世界、そのような無法な人権じゅうりんの行われる危険のない政治を意味するのである。新憲法が第9条で戦争の放棄を誓い、第17条で、公務員の不法行為によって損害を受けた場合には、だれもがその賠償を求めることができるといい、第18条で、なんびともけっして奴隷的な拘束を受けることはないと保障し、第36条で、公務員による拷問や残虐な刑罰は絶対にこれを禁ずると宣言し、その他の数多い規定を設けて、人身の自由を保障しているのは、この趣旨を徹底させるためにほかならない。
第四番目に掲げられるものは、欠乏からの自由である。経済上の民主主義では、適度の自由競争は経済発達の条件として重んぜられる。しかし、自由競争の結果として、国民の間にはなはだしい貧富のへだたりが生ずることは、極力避けられなければならない。
どんなに経済的に不利な立場に陥った人々といえども、人間として人間らしい生活を維持することができるようにするのは、民主主義のたいせつな目標である。新憲法の第25条が、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」といい、国家が社会福祉の増進のために努力すべきことを示しているのは、そのためである。しかも、国民の生活を欠乏から守るためには、一方では、国民のすべてが勤労に従事しなければならないし、他方では、勤労しうるのに勤労する場所がないようなことが起らないようにしなければならない。
そこで、第27条は、「すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。」と規定する。そうして、更に、第28条をもって、労働者の立場を保護するために、勤労者の団結権と団体交渉権とを保障している。新憲法は、これらの規定によって経済民主主義の平和な実現を期し、欠乏からの自由という目標への基礎を築いていこうとしているのである。
これら四つの自由は、「国民のための政治」が行われるための根本を形作っているのであるが、新憲法は、これらの自由を確保すると同時に、更にそれから導きだされるいろいろな自由を保障し、国民の基本的人権が永久に侵すべからざるものであることを明らかにしている(第11条)。しかも、このような基本的な自由と権利とは、手をこまねいている国民の前にしぜんに与えられるものではなくて、国民の不断の努力によってのみ保持されることができる。
それは、自由ではあるが、濫用されてよいものではなく、権利ではあるが、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を伴っている(第12条)。このようにして、「国民のための政治」を、国民自らの意志により、国民のたゆまぬ努力と責任とを通じて一歩一歩と実現していこうとしているところにこそ、新憲法を一貫する民主主義の高い理想があるといわなければならない。
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『民主主義』 文部省著作教科書 (径書房)

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