私は自分の「ものさし」を確かにするために、本を読まなければならないタイプの人間なので、生まれつき確かな「ものさし」が備わっていて、本を読まずにそれを持ち続けることの出来る人にあこがれています。
今までに、身近なところで、何人かのこういう人たちに出会いました。
子どもの頃、極度の怖がりだったので、テレビで見ていた『ゲゲゲの鬼太郎』は、妖怪だけではなくて、普通の人もなんとなく怖くて、隣に座っている妹に嫌がられながら(笑)ピタッとはりついて見ていました。大人になって、子どもたちと見た『ゲゲゲの鬼太郎』は、絵が今風になって、怖さが薄らいでいました。子どもたちは『悪魔くん』も大好きでした。
水木しげるさんの本は、この自伝しか読んだことがないのですが、水木さんは、私のあこがれているタイプの方のような気がします。本を読んでおられないわけではないのですが、それがないと自分のものさしを持てないという方ではないようです。
「戦争がせまってくる」から、少しだけご紹介させてください。
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<戦争がせまってくる>
洋画研究所では、デッサンばかりやらされた。絵は好きなのだから、それに不満があったわけではない。しかし、エライ絵描きになるには、上野の美術学校を出ないといけないと思いこんでいたので、とにかく、その入学資格になる学歴がほしく、またもや適当な学校を物色しはじめた。
僕は、子供の頃から、学校というものはねむたい所だと思ってきたが、新聞を見ていると、日本大学付属大阪中学の夜間部が生徒募集をしている。夜間中学なら、僕の目がパッチリさめている時に授業になるのだから好都合である。その上、途中でやめた工業学校の続きということで2年に編入できるようだ。
そうすると、兵役直前というときに美術学校へすべりこめる(当時、美術学校は、そんなにむつかしくなかった)。
これはいいアイデアだ。試験も簡単で、すんなりと入れた。
入ってみると、たっぷりと朝寝坊してから行けばいいので、とても楽だ。僕は、うれしくてしかたなかった。
だが、ここにも、軍国主義の波が押し寄せてきていた。
校長先生は、やたらと「非常時」を口にした。僕は、しばしば学帽をかぶるのを忘れて学校に行った。わざとやったわけではないが、結果的に、帽子が頭の上になかった。こんなことが重なると、生徒が集まっている中で、僕は、高い壇上に立たされ、校長自ら訓示を垂れた。
「この非常時に、実にだらけた生徒がいる。この生徒の頭を見たまえ。制帽をかぶらず学校に来て、しかも、反省の色も見えん」
たかが帽子のことで、稀代のぐうたら生徒ということにされてしまった。僕は、夜間中学に入れたのですっかり安心していたのだが、日本は、ちょうど日本軍が仏印(フランス領インドシナ)に進駐した頃だったから、全国民が緊張と胸さわぎを感じている時だったのである。
数学の答案用紙に、答えが書けない(即ち、わからない)ので、「アーメン」と書いて提出した。アーメンというのは「かくの如し」という意味だから、文字通り、アーメン(かくのごとし)なのだが、校長室に呼ばれて、「ふざけすぎだ」と叱られた。僕は、ただ白紙で出すのも愛嬌がないと思って、ユーモアを示したつもりだったが、世の中は、どんどんギスギスした感じが強くなってきた。
昭和16年12月8日の朝。
ラジオがばかにやかましく軍艦マーチを流す。ねむい目をこすりながら母に聞くと、戦争が始まったという。
「あっ」
と思ったが、僕が開戦を決めるわけではないから、どうにもなるものではない。
この時から、僕の灰色の人生が始まることになる。しかし、しばらくは、そういうことはわからなかった。
町の中は、祭りのようなコーフン状態になり、ラジオは、やたら勇ましい放送ばかりしていた。
学校では、校長先生が先頭に立って、日の丸のハチマキをしめて建国体操とか称するものを始める。祭日には、天皇陛下に尽した忠臣の話ばかり。教練の元少尉は、やたらはりきりだし、僕が夜間中学じゃ教練はないだろうと安心していたのに、校庭に電灯をつけて軍事教練をやりだす。元騎兵大尉だった漢文の先生は、授業そっちのけで、武勇伝を話しだす。
自由な発言というほどのものでもないが、僕が、
「先生、戦争も満州まででエエんじゃないですか」
などと言ったら、教室から引きずり出された。町内会あたりでも、何かというと、“非国民”ということにされた。
僕は、子供の時、軍人にあこがれていた。それは、勇ましいからだったが、勇ましいというのは、他人がやっているのを観賞している時の気分で、自分が参加すると、勇ましいより恐いものなのだ。自分が、いやでも参加させられる年齢が近づき、しかも、もはや絵描きになるつもりになってしまうと、軍人や戦争や、ましてや戦死なんかは、うとましいばかりだった。
ところが、新聞や雑誌では、文化人や有名人といった連中が、若者は国のために戦争で死ぬのが当り前で、天皇陛下のために死ぬのは名誉なことだ、というようなことを言って、自分に都合のいい万葉集の歌なんかを引用して力んでいた。
駅頭の人ごみでは、千人針といって、千人の女の人の手によって縫われた腹巻を作り、それでタマヨケになるという不思議な運動をやっていた。そのすぐ後では、歓呼の声に送られて汽車に乗る出征兵士の姿が見られた。
そうこうしているうちに、僕の好きな菓子が菓子屋から消え、砂糖が配給制になりだした。
僕は、それまで、胃腸も丈夫なズイボで、寝ることも好きで、動きまわったり絵を描いたりして楽しく生きてきた。だから、ここへ来て、死が迫っていることを考えるのは、非常につらいことだった。
哲学なんていうものも無縁に生きてきたわけだが、どうしても、書物らしい書物も読むようななりゆきになる。哲学史の概説書のようなものを読んで、どんな考えを持っている人がいるかをざっと調べ、面白そうな人の本を買うことにした。
ニーチェだとかショーペンハウエルだとかがよさそうなので読んでみたが、もっともだと共感することもあるのだけれど、読後少したつと、どうもしっくりしてこない気がした。聖書も読んでみたが、どうも僕には向いていないようだ。ただ、語調がよかったので(当時のは、美しい文語調だった)新約聖書は何度か読んで、暗記した文章もある。
そのうち、年齢も20歳に近づき、戦争もきびしくなってきた。いつ召集になるかもしれない。そんな時、河合栄治郎編「学生と読書」という本に、エッケルマンの「ゲエテとの対話」という本が必読書としてあげられているのを知った。岩波文庫のこの本を買って読んでみると、はなはだ親しみやすく、人間とはこういうものであろうという感じがする。これで、ゲエテに関心をもち、「ファウスト」や「ウィルヘルム・マイステル」や「イタリー紀行」を読んだが、「ファウスト」は何回くりかえしてみてもわからなかった。
僕には、むしろ、ゲエテ本人が面白く、だから「ゲエテとの対話」が好きなのだ。この本では、いろいろな人がゲエテ家に出入りし、それについてのゲエテの感想や生活ぶりがまるで劇でも見るようにうかがわれて楽しかった。後に軍隊に入る時も、岩波文庫で上中下3冊を雑嚢に入れて南方まで持っていった。(後略)
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『ねぼけ人生』 水木しげる (ちくま文庫)

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