この物語は、これまでに読んだすべての児童文学作品の中で、最も鋭いものの1つです。
「正義」が集団の暴力と結びつきやすく、そうなったとたん「悪」に変わってしまうことを鮮明に描き出しています。
夏休みに担任の先生とキャンプに出かけた中学生の少年たちが、「どろぼう」をつかまえようと奮戦するという筋立てですが、無邪気に探偵小説を読み進んでいるつもりが、突然抜き差しならない事態に直面させられます。
「正義」はいかなる方法をもってしても実現を許されるものなのか。「正義」を旗印に「悪」を為してしまうとはどういうことか。また、「正義」と信じていたことが「正義」でなかったとき、どういう償いの方法があるのか。・・・
イラクで起きていることは、まさしくこの作品が突きつけているテーマそのものですが、昨今のメディアやネットの言論状況についても、私はこの問題を感じずにはいられません。言葉の世界でもやはり、「正義」は常に集団の暴力に結びつきやすいものだと思っています。人は誰でも、自分が「正義」の側に立っていると感じていたいものではないでしょうか。そして、疑いなくそう感じられる位置に身を置くことは、とても心地よいものです。
国家の不正を糾弾するより、何らかの事件の加害者である特定の個人を糾弾するほうが、はるかにたやすく、自分が「正義」を実現しているという満足感を味わえます。今、私たちの社会には、こういう充足感を安易に得たい人たちが大勢いるのではないでしょうか。
自分が正しいことをしていると思いたいという願望は、もちろん私の中にも常にあります。でも、自分が「正しい」と思っていることが本当に正しいのか、あるいは、自分が行っていると思っている「正しいこと」を、本当に実行しているのか、ただそう思い込んでいるだけではないのか、ということについて、できるだけ点検を怠らないようにしなければと自戒しています。
「正義」という言葉には、人を酔わせる力があります。知らないうちに「酔って」しまうと、いつ足をすくわれるかわかりません。
「正義」と信じて集団暴行に身をゆだねてしまった主人公は、キャンプから戻った後、自責の念にかられてガールフレンドのカーリンに一部始終を告白します。その告白が作品になっています。
「あのとき」自分に何が起きたのか、何度も自問しています。鋭い問いかけを含む部分を2ヶ所、ご紹介させてください。この問いかけは、けっして私に無縁ではないと思っています。
シュトラーサーは担任の先生、ジルヴィオはイタリア系スイス人で(「どろぼう」と目されたのはイタリア人でした)、唯一暴行に加わらなかった友人です。
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ぼくは格別、はげしくたたいていたわけではない。何人かが力まかせに打ちかかっているのが見えたけど、ぼくはそうじゃなかった。ぼくらがどのくらいの間、そうやって彼を袋だたきにしていたのか、ぼくは覚えていない。ひょっとしたらほんの1分か、2分の間だったのかもしれない。でも1分間だって、かなりの長さに思える。
それからシュトラーサーの声が耳に入った。
『頭はよせ。頭は打つんじゃない。危険すぎる』」
「あんたも彼を打ったの?」とカーリンがたずねる。
「そう言ったじゃないか。ぼくもだ。」
「地面に横たわって、抵抗するすべもない人をなぐるなんて」
「君が何を考えてるか、わかるよ。でも、みんながそうしたんだ」
「じゃあみんな臆病者だわ」
「ちがう、そうじゃない。彼が抵抗しなかったから、彼になぐりかかったわけじゃないんだ。彼がもはや抵抗できなかったことは、この際、何の関係もないんだ。ぼくはとっくり考えてみたんだ。あれは何かもっと別のものだった。ぼくらには彼の顔がみえなかった。それなんだ。もしも彼の顔がみえていたら、あるいは少なくとも、彼が悲鳴を上げたりしていたら、そしたらぼくらにだって、目の前に横たわっているのが人間なんだということが、意識にのぼったにちがいない。でもぼくらはそんなことは、夢にも考えなかった。少なくともぼくは考えなかった。でも頭の奥のどこかすみっこで、ぼくはなお意識していた。シュトラーサーがぼくらの後ろに立っていて、ながめており、彼が責任をとってくれるだろう。ぼくじゃない。ぼくらには責任はないのだ、って。だからこそシュトラーサーが、
『もう十分だ。さもないと君たち、彼を殺してしまうぞ』って呼びかけたとき、ぼくらは全員、ただちにやめたんだ」
(略)
「ひどい。あんたたち、彼を殺してしまうとこだったんだわ」
「わかっている。ぼくらは彼を殺してしまうとこだった。あのときはぼく、そんなこと考えなかった。ほかの者もきっとそうだ。だから言ってるだろ。あれはひどく簡単で、当然のことだったんだ。みんなが棍棒をふり上げ、打ち下ろすのが見えた。それでぼくも、同じことをやった」
「あたしには理解できないわ」とカーリンが言う。「あたしには、どうしたって理解できないわ」
「ぼくにもだ。今となっては。みんなにだって。ぼくはみんなにたずねた。あれは何だったんだ。あのとき、突然生じたものは。ぼくらは前後の考えもなく、ただ打ちかかっていった。まるでそれが自分たちの職業ででもあるかのように。シュトラーサーの声が聞こえるまでは、打ち続けていた。あれは何だったんだ?ぼくはたずねた。みんなにもわからなかった。何人かが言った。
『あれは、そんなにひどいことじゃなかったよ。むろんあんなこと、しない方が利口だったけど。でもヤツはナイフを持ってたし、ぼくたちをおどしてたんだ。それに何てったって、もう過ぎたことさ。何だって今だに、そんなこと考え続けるんだよ?』
そうだ、もう過ぎ去ったことだ。でもぼくにとっては、過ぎ去っていない。ぼくは自分に何が起こったのか、理解できないんだ。何がぼくの内部をつらぬいたのか、だれにもたずねることができないんだ。おふくろにだって、こんなことはきけない。『それはたしかにバカげたことだったけど、でも、もう終わったのよ。もうそんなこと考えるのよしなさい』そんな答えをおふくろがするんじゃないかと思うと。でも、まだ終わってないんだ。あのイタリア人にとっては、もしかすると終わったのかもしれない、もう痛みなんか感じてないかもしれないし。でも、ぼくにとっては、まだ終わってないんだ。
ハインツは言う。
『あれは催眠状態だったんだ。そういうことって、起こるんだよ』
でもあれは、そんなものじゃなかった。たとえそれが催眠であって、ぼくらが荒あらしい陶酔状態にあったというのなら、ぼくらは彼を、なぶり殺してしまっていたはずだ。でもほとんどのものは、とくに強くなぐっていたわけではなく、どちらかというと、ちょうど人が必要な任務をはたしているときのように、ちょうど人が、歩くときに、一方の足をもう一方の足の前に出す動作を、何の考えもなしにやっているように、そんなふうにやったんだ」
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『ここには「でも」という言葉はないんだ。15名が棍棒を手にして、地面にたおれ、身を守るすべもないたった一人の人に、打ちかかっていたとすれば、もはや弁解の余地はない。ここには、「でも」という言葉はないんだ。教えてくれ、ほんとに君も、いっしょになってやったのか?』
ぼくはいたたまれないほど、つらかった。ノーということはできなかった。かといって、イエスという勇気もぼくにはなかった。少なくともジルヴィオが質問したその瞬間には。
けれどようやく、ぼくはそれを認めた。
『みんななぐっていたんだ』とぼくは言った。『ぼくは何にも考えなしにやったんだ。どうしてそんなことになったのか、わからないけど。でもぼくは、とにかく何にも考えることができなかったんだ。ぼくはみんなをみた。そうして、みんながやっているのをみたとおりに、自分も同じことをやったんだ』
『彼がイタリア人だったからだ』とジルヴィオがふたたび言った。『君たちとは別の人間だったからだ』
『ちがう。それはほんとじゃない。そんな理由じゃなかった』
『もしも、その地面にたおれていたのが、シュトラーサーだったとしても、君たちは同じことをやっただろうか?』
ぼくは答えなかった。
(ジルヴィオの言うとおりだ)と自分でも認めざるをえなかった。(シュトラーサーに対してはできない。ほかの仲間のだれに対しても、できない)しばらくしてぼくは答える。
『それとこれとは、ちがうよ。相手が知っている人なら、そんなことはできない』
『でも知らない人に対してなら、簡単にできる。ちがうかい?爆撃機のパイロットだって、爆撃装置のレバーを引くとき、同じことを考えるんだ。自分は彼らを知らない。下にいる連中なんか、自分には何の関係もない。──君たちもカネヴァリを知らない。それで十分だ。彼はおまけに、別の言葉をしゃべる。そうなると君たちにとって、彼はどのみちゴミ屑みたいなものなんだろう。あるいは別の皮膚をしている者たち、黒人とか。あるいは、ただ単に、ほかの人より少しばかり太っている、というだけでもいい。さらには、何でもいいから、とにかく君たちの標準に属していないというだけで、十分な理由になる。言っておくが、君だって、彼らに属してはいないんだ。彼らは君と言葉をかわす、なぜなら、勉強のとき君を利用することができるからなんだ。しかし彼らは、決して君を自分たちの仲間の1人とは考えていない。あのイタリア人が横たわっていた場所に、たとえば君が横たわっていたかもしれないんだ。彼らは君にだって、同じことをしただろう。あるいはぼくにだって、実際、彼らはほとんどそれに近いことを、ぼくにはしたんだ』
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『泥棒をつかまえろ!』 オットー・シュタイガー作 高柳英子訳
(佑学社 1988年)