つい先日読んだばかりの本です。
なんとしても教育基本法を守らなければと思っていますが、日ごとに厳しくなる国内の状況と、イラクとレバノンで続いている破壊と殺戮に打ちのめされてしまいそうです。この時期に、この本との出会いが与えられたことに心から感謝します。
ペトル・ギンズ少年は、1928年、プラハでチェコ系ユダヤ人の家庭に生まれました。ニュルンベルク法により、チェコ人の母とユダヤ人の父をもつ子どもは、14歳になるとナチスの役所に登録され、テレジーンの強制収容所に輸送されました。そこで2年を過ごした後、彼は1944年9月にアウシュヴィッツに移送され、ガス室で殺害されました。16歳でした。
本書は、1941年9月から1942年の夏にかけて書かれた彼の日記と、強制収容所輸送後に監視の目を逃れて同室の少年たちと編集した雑誌「VEDUM(ヴェデュム:ぼくらが導く)」に掲載されたエッセイ・小説、彼が描いたスケッチ・水彩画・リノリウム版画などから成っています。
帯に「もう1つの『アンネの日記』」と出ていますが、「アンネの日記」とはかなり趣が違います。彼の日記は当時の「普通の」ユダヤ人の日常を淡々と記録したもので、ほとんど感情がさしはさまれていません。しかし、この記録が鋭い視点に支えられていることは1942年1月1日の日記に表れています。一部抜粋します。
「午前中、宿題をやった。特に変わったことはなし。だけど本当は変わっていることはたくさんあるのに、見えていないだけだ。今の時代にまったく当り前の出来事は、普通の時代だったら大問題になるはずだ。たとえばユダヤ人は、果物、ガチョウや家禽類、チーズ、たまねぎ、にんにく、その他たくさんのものが禁じられている。受刑者、頭のおかしい人、ユダヤ人には煙草が配給されない。市電、バス、トロリーバスの一両目には乗ったらいけない。ブルタヴァ河畔を散歩したらいけない、などなど。」
(今ブログに転載しているニュースのほとんどは、「普通の時代だったら大問題になるはず」のことです。それが当たり前のように浸透していく道筋が「戦争のできる国」につながっていくのだと感じています。そして、いったん「戦争のできる国」になってしまうと、もう歯止めがきかないことを世界中の人々とともに目の当たりにしています。)
並外れた才能に恵まれているとはいえ、彼は強制収容所に送られたとき、わずか14歳の少年でした。輸送の時期が近づくにつれ、日記の記述は減り、妹さんの解説によれば、筆致が乱れているそうです。しかし、このような恐怖と戦いながら、彼は一言も弱音を吐かず、理不尽に送り込まれた強制収容所で、勇敢にもこう書き記しています。
「僕らは勉強(仕事)、喜び、文化というぼくらの青春につながる糧の土壌から不正に引き離された。こうすることによって、彼らは唯一の目的、ぼくらを肉体的にではなく、精神的、道徳的に破壊することを果たそうとしているのだ。彼らの思い通りになるだろうか?断固、なるものか!文化の源が奪われたならば、新たに創りあげよう。喜びの根源から引き離されたならば、新たな喜びにあふれた人生を築きあげようではないか!」
そして、仲間たちと雑誌を編集するのです。
彼の大切な日記がふしぎなめぐりあわせによって、60年後に発見されて本になり、世界各国で読まれ、今、私の手元にあるのは、訳者あとがきにもあるとおり「必然」だと感じています。あとがきはこう続きます。
「なぜなら歴史は、必要なものを隠したり、消し去ったりはしないからです。ペトル君が必死に生き、守り、考え、残したものの尊さは、残るべくして私たちの手元に帰ってきたように思われるのです。」
絶望的な状況にあってもけっしてあきらめず、希望を失わずに美しい作品を創りつづけた彼の強さに深く励まされ、教えられます。この本に収録されているエッセイや短編は全部好きですが、大人の責任──今私が何をしなければならないかを教えてくれる作品を1つだけ、転載させて頂きます。イラクとレバノンで殺されたすべての子どもたちの言葉として、心にとどめなければならないと思っています。
この世界から戦争をなくすために、どうしても9条を守らなければ、そのために教育基本法を守らなければと思います。
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水仙泥棒
ペトル・ギンズ
花の栽培にとても熱心な庭師がいた。とくに心を込めて育てていたのは水仙だった。とりわけ、ある畝に植えた水仙には愛情を注ぎ、塩素酸カリウムの肥料をやり、水をやり、大切に育てた。ほかの畝にも水仙は植えていたが、あまり気を配らなかった。それどころか、そこの水仙は、ほったらかしにされ、自然や鳥たちにさらされたままだったので、枯れはじめ、花の大きさも美しさも失われ、花は重たげに垂れ、水仙の華麗な姿は見る影もなく、気味の悪い姿をさらけ出していた。それにひきかえ、大切に育てられた水仙は美しく成長を続け、庭師はいつまでも見あきることがなかった。
「これが売れたら」庭師はひとりごちた。「死ぬまで左団扇で暮らせるぞ。こんなに美しい水仙はこの世のどこにもないからな」毎週火曜日になると、町から花を仕入れに人々がやってきた。庭師は彼らが来るのが待ち遠しかったが、一方でこの美しい花を手放すのがとても惜しくもあった。
月曜の夜、突然、庭師は、庭の砂を踏む小さな足音を耳にした。
「こんな遅くに花を買いに?」
庭師は不審に思って窓から外を眺めた。なんと!ぼろ服をまとった少年が、カゴを手に庭の美しい水仙に、足早に近づいてくるではないか!少年は誰も見ていないかあたりと見渡すと、身を屈めて素早く、手ごたえのある美しい花を引き抜きはじめた。
さて、庭師の小屋の中で、カゴも持たず、花も持たずに泣きながら立っている少年を前にして、庭師は口を開いた。「なぜ水仙を盗もうとしたんだね。花がかわいそうだとは思わないのか」少年は頑固なまでに黙っている。石油ランプの光に浮かび上がる少年の顔はあまりに青白く、打ちひしがれていた。まるで袖はあの放っておかれた水仙の葉、やせぎすの体はしおれた水仙の茎のようだ!そして少年の沈黙!まるですべては私に“そのこと”を気づかせるためであるかのようだ!
庭師は気づいた。少年は、堕落した醜い世界がもたらしたものであると同時に、庭師の怠慢が生み出した気味の悪い水仙だということを。だからといって少年を罰するべきか?これはまるで、醜いからといって、放っておかれた水仙を罰するのと同じことではないか。
いつの間にか少年は逃げてしまった。
「確かに、水仙は元は同じなのに環境の違いで一方は美しく、一方は醜く育ってしまった。そうだ。人にあてはめて言えば、性格と言えるだろう。この性格は環境によって善ともなれば悪にもなる。世界中の庭師の役目は、自分にゆだねられた花壇を美しく育て、水をやることなのだ」
こうして庭師は真夜中まで座り込んで考えながら、いつしか頭を垂れて眠りに落ちた。庭師よ、眠れ。美しい白い水仙が咲き乱れる花壇の夢を見ながら。
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『プラハ日記』ハヴァ・プレスブルゲル 平野清美・林幸子訳 (平凡社)