15日は多くの方々がきちんとした記事を載せておられて、首相の靖国参拝について、とてもわかりやすく解説してくださったTBも頂いています。私はみなさんの記事を拝見して、勉強させていただく方なので、この件について何か特別なことが書けるわけではないのですが、あの日考えたことを残しておくという意味で、記事にしなければと思っていました。いつもそうなのですが、感情が強すぎると言葉になりません。それで、今頃になりましたが、一応掲載させていただきます。ご一読頂けましたら幸いです。
14日の夜はよく眠れませんでした。NHKで子どもたちが戦争体験者の方々を訪ねて平和について考えるという番組を見たからです。5歳のときに広島で被爆された張本勲さん(お姉さんは11歳で亡くなられたそうです)と、一人だけ親戚宅に疎開中に東京大空襲で家族6人を一度に失くされた
海老名香葉子さんと、敗戦を中国東北部で迎えられたちばてつやさんに、子どもたちがお話を聞いていました。ちばてつやさんのお話は、自分の身を危険にさらして、ちばさん一家をかくまってくれた父親の友人の中国人の方についてのものだったので、重苦しい番組の中で、唯一明るさを感じられましたが、張本さんと海老名さんのお話は、当然ですが、心をしめつけられる苦しさでした。張本さんにお話を聞いた男の子は原爆資料館を訪ねて、たった一人で、爆心地から近距離で絶命した13歳の男の子の着ていた制服や、もっと小さい女の子の着ていた服などと向き合って、「頭がかーっと熱くなって頭から汗が出てとまらなくなってしまった」そうです。本当に流れる汗が映っていました。番組には、イラク戦争で足に深刻な傷を負った8歳の
ムスタファくんと、高校卒業後自分で学費を稼ぐために海軍に入り、イラクへ行って帰ってきてから23歳で自らの命を絶ったアメリカの青年のことも出てきました。
ムスタファ君は、家の前で爆弾が炸裂して、その破片が足に突き刺さり、大変な重傷を負ったのです。(そのときいっしょにいたおじさんは亡くなりました。)でも、イラクの病院には薬も設備もなく、充分な治療を受けられないまま、自宅でお母さんに毎日消毒をしてもらうだけでした。何ヶ月も経ってから日本の支援団体の援助によってヨルダンで手術を受けることができ、今は、自分で歩く訓練ができるまでに回復したそうですが、ヨルダンで診断を受けた後、予想以上に深刻な状態になってしまっていて、すぐに手術をすることになったとき、お父さんに抱きついて「手術はいやだ」と泣き叫んでいました。これまでに、8回も、こういう手術を受けてきたのだそうです。ムスタファ君を手術室に送り出した後、1人病院の玄関で泣いているお父さんの姿に涙が止まりませんでした。
イラクへ従軍した後自殺したアメリカの青年のお父さんは、今、イラク戦争の悲惨さを伝える活動をしているそうです。息子さんが戦争から帰り、まるで人が変わったようになり、家に閉じこもって酒を浴びるように飲んで苦しむ姿を眼にするまで、イラク戦争をやむをえないものと考えていたそうです。息子さんは、それから1年以上そうして過ごしたのですが、遺書にはご両親へのお礼とお詫びがあり、「これ以上生き延びることに耐えられない」と書いてありました。お父さんは、「私たちは多くのことを学ぶが、戦争については、自分が巻き込まれるまでわからない。それを息子が教えてくれた」とおっしゃっていました。
海老名さんと張本さんのお話はつらすぎて書けません。その後、NHKで学者の討論を見て、ニュース23では姜 尚中さんや上坂冬子さんたちの討論を見ました。
この日までにNHKでは何度も戦争についての番組をやっていたので、何度か見ていましたが、首相の靖国参拝がニュースをにぎわせる中で見たこの日の番組は、とりわけずっしり残りました。戦争は、その中で生きる無数の一人一人になんという苦しみを一生涯背負わせることかと思い、胸が重くて眠れませんでした。
戦争によって刻まれた傷は消えることがないのに、生活は待ってくれません。あの戦争で犠牲になられた方々はもちろんのこと、残されたご遺族の方々、筆舌に尽しがたい被害に遭われ、心と体に深い傷を負いながら長い年月を生きてこられた方々、そういうすべての方々のことを思うなか、あまりにも身勝手な首相の靖国参拝が強行され、怒りと悲しみを言葉にすることができませんでした。
私は参拝の映像を少ししか見ていませんが、夕方のインタビューは見ました。「8月15日を避けてもいっつも批判、反発。そしてこの問題を大きく取り上げようとする勢力。いつ行っても同じですね」と言っていました。これが私たちの国の首相の言葉なのです。戦争に否応なく巻き込まれて犠牲になられた多くの方々やご遺族の方々、静かに故人をしのび、2度と同じ過ちを繰り返さないようにと願う無数の方々のお気持ちをまったく考えていない言葉です。あまりにも軽い、無責任な、心無い言葉です。首相は次から次に、
これ以上酷い言葉はないだろうと思うことを言います。でも、この日のインタビューは今までに聞いた彼の全ての言葉の中で、本当にいちばん酷い言葉だと思いました。こういうことを平気で言う人が5年も首相を務めた国に私は生きています。
この日はもう1つ、忘れられない言葉を聞きました。夜のニュースで、戦没者慰霊祭が取り上げられていて、息子さんを亡くされて北海道から参加されたという101歳の女性がおられました。車椅子で会場から出てこられたこの方に、若い女性記者が「息子さんが戻ってこなくて寂しかったんじゃないですか」と言ったのです。この人は、「国の命令で戦地に行かされて死ぬ」ことがどんなことか、考えてみたことがあるのでしょうか?後に残された母親の気持ちを考えてみたことがあるのでしょうか?・・・お母さんは、淡々と「そりゃ、息子ですからね」と答えられました。
去年の今頃も、権力のおぞましさにぞっとして、もっとがんばらなければと思いました。今年はさらにひどい状況になりましたが、来年こそこれ以上ひどくなることがないように、できることを続けていこうと思います。
いつも訪ねてくださるみなさん、本当にありがとうございます。このところどうしても書けなくて、ご心配おかけしてしまってごめんなさい。何日もかかった日記がようやく書き終われましたので、これからまたぼちぼちやっていこうと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。