昨日
『安倍晋三の本性』が届いたので、早速読みました。様々な議連の説明や、安倍氏や閣僚がどういう議連に属しているか、どんな役職に就いているか、安倍氏やブレーンの系譜など、この内閣が極右政権である所以が詳細に記されていて、背筋が凍るほど恐ろしいです。ぜひご一読いただきたいと思いますが、安倍氏がモデルにしている「イギリスの教育改革」についても詳しく出ていますので、少し転載させて頂きます。教育基本法「改正」情報センターの
論説「教基法「改正」をイギリスの教育改革から正当化することはできない―サッチャー教育改革は日本の教育改革のお手本になりうるか―」に出ていない点を転載させて頂きます。
(この論説には、イギリスのもともとの教育がどんなものかが詳しく出ていて、日本との違いがよくわかります。競争主義を奨励した「改革」の弊害に、10年で気づいて今見直しをしようとしているイギリスはえらいと思いました。日本は40年も競争主義を続けてきて、もうどうしようもないほど問題が深刻になってしまっています。しわ寄せが全部子どもたちにのしかかっていて、そこらじゅうから「耐え切れない」と悲鳴が聞こえてくるのに、与党は「もっと競争を強めよう」と必死なのです。子どもたちの苦しみのかけらもわかろうとしない。想像さえできない無神経さなのです。さきほどから岩国議員がずっといい質問をしておられますが、いじめについて問われて伊吹文科相は「苦しいときに泣言を言わずにがんばることもだいじ」と言っています。)
-----------------------------------------------
第4章安倍内閣の教育政策と教基法「改正」の問題点より(p100〜p106)
日本の教育基本法「改正」はイギリスがモデル
(前略)
安倍氏らの主張の「お師匠役」を務めたと推測されるのが椛島であり、日本会議が04年4月に発行した『教育基本法改正から始まったイギリスの教育改革』という本である。著者の椛島は日本会議事務総長で、安倍のブレーンの伊東哲夫や高橋史朗埼玉県教育委員、郵政民営化に反対して05年落選した安倍の同志・衛藤晟一前衆議院議員などと学生時代から右翼運動をしてきた人物である。椛島は前述の「英国教育」調査団に「指南役」として同行している。ここではこの本に則して、サッチャーの教育改革法以降、イギリスの教育や教科書がどうなったか、を紹介しよう(以下、断りのない場合の引用は前述書から)。
イギリスでは1944年に制定された教育法が40年以上「改正」されないできていたが、サッチャー政権によって88年に「改正」された。正しくは44年の教育法はそのまま残し、教育改革法を制定した。椛島は「改正」の中心を次のように紹介している。
「(1944年の)教育法の原則、つまり教育内容は教師の自主性に委ねるという考え方を改め」「国家が教育内容を決定する。そして、その内容は伝統的価値観の継承を基本とする」「公費維持学校(公立学校および政府から財政援助を受けている私立学校)への教育権は教育大臣にある」「この基本原則を打ち出すことで、偏向教育の問題を解決しようと考えた」
イギリスの教科書はどう変わったか
椛島は1988年の教育法によってイギリスの学校教育は「劇的に改善された」「最も劇的な変化は、歴史教科書に見ることができる」と述べている。植民地支配や奴隷貿易を批判・反省する内容から、それらを正当化する内容に変わり、歴史教科書は「イギリス暗黒史からイギリス繁栄史へ」変わり、「自虐史観から解放」されたと主張している。
(略)
イギリスの教科書は、日本の検定・採択制度とは本質的に異なり、自由発行で教師が自由に教科書を選べるシステムである。また、教科書の使用義務もない。そこで、1988年教育改革法は「国定カリキュラム」をきめ、「義務教育の7歳、11歳、14歳、16歳の4回、全国共通試験を実施し・・・学力達成目標に到達しない児童・生徒を受け持つ教師及び学校は、その責任を追及される仕組みを設定した」。この「国定カリキュラム」にもとづく教科書がつくられ、「全国共通試験」の結果で「教師の責任が追及される」ので、「教科書を採用する教師たちが、国定カリキュラムの趣旨に基づいた教科書を求めるようになった」。その結果、偏向した教科書をつくっても売れないので、教科書会社も「必然的に国定カリキュラムに沿った内容の教科書を作らざるを得なくなった」と、椛島は主張する。
「小学校(11歳)・中学校(16歳)の卒業試験「国語(英語)」「数学」「科学」の結果は『学校別全国成績一覧』として公表」され、「大手新聞各紙が親や生徒の学校選択の材料となる『学校順位番付』を全国に公表」。この全国共通試験はサッチャー改革で実施された学校選択の自由化とリンクしているので、「番付」が低い学校は「生徒を集めることができず、予算を減らされ、最終的には廃校処分を受ける学校も生まれた」。こうして、新自由主義的改革は、学校をすさまじい競争に投げ込んだということである。
競争させられるのは子どもや学校だけでなく、教員も激しい競争を要求されるようになった。生徒・学校の成績は教員の責任とされ、「教師への賞罰として、@優秀教師へ賞金や賞品を授与(1999年〜)、A優秀教師へナイトの爵位を授与(2000年〜)、B『不適格教師の扱いに関するガイダンス』を設定し、2ヶ月の審査で不適格とされた場合は解雇(2000年〜)、C昇進、能力給の導入(2001年〜)が、次々に行われている」ということである。これらは日本でもすでに、教育基本法改悪を先取りして東京都をはじめ京都市(賞金の授与)や各地で実施されている。
さらに、親に対して97年にブレア労働党政権によって教育改革法に基づく「子育て命令」法が制定されたということである。
「この法律は、子供を非行や犯罪から守るのは国家でも社会でも学校でもなく、まず何よりも親であるという家族観に立脚して、子供に対する親の義務と責任を次のように示したのです。
@罪を犯した少年少女の保護者に対し、通学下校時の同行、夜間の自宅監視を命令する。
A命令違反は1000ポンド(約20万円)の罰金刑、罰金滞納の場合は禁固刑。
B親は、子供が再び罪を犯したりしないよう、また学校へ毎日登校するようになるまで、(3ヶ月から)最長12ヶ月間、(週1回の)カウンセリングやガイダンスへの参加を義務付ける」
この「子育て命令」法は不登校にも適用される。2000年5月、「不登校(3ヶ月で6日しか授業を受けなかった)になった15歳の娘の親に対して裁判所が『親が娘を学校に行かせるように努力しておらず親の責任を果たしていない』と判断し、46歳の父親に250ポンド(4万5000円)母親に150ポンド(2万7000円)の罰金を科した。イギリスでは、不登校の子供を学校に行かせるように賢明に努力する義務が親に課せられている」ということである。
(略)
やはり安倍のブレーンである八木秀次は、自民党機関紙『月間自由民主』(2004年12月号)で、教育勅語の「一旦緩急アレハ 義勇公に奉シ」について、「この部分の本来の趣旨は、『国民皆兵』を原則とする近代国民国家の国民としての国防の義務、国家への忠誠義務を述べたもの」といって、教育勅語とその口語文訳を全文掲載して次のように主張している。
「英米両国は1980年代に大胆な教育改革を行い、国民の質的向上を図った。今日の両国の隆盛振りはその頃の教育改革が背景にある。イギリスのサッチャー政権が築こうとした国家の在り方を後の学者が『品質保証国家』と評している・・・我が国にも国民の品質を保証すべく、教育の基本理念の見直し、すなわち教育基本法の大胆な改正がもとめられる」
八木がいいたいのは、米英は教育改革を大胆にすすめたので、国際的な批判にもかかわらず、国際法も国連も無視してイラク侵略戦争を遂行できる「強い国家」になった、日本もこれに学んで、教育基本法を「改正」して、「強い国家」「戦争をする国」の国民を育成する必要がある、ということにほかならない。(後略)

0