ずっとご紹介したかったのですが、なかなか書けず、ずいぶん遅くなってしまいました。
年明けに、外間喜明さんの『うちなー讃歌』を読ませて頂きました。外間さんが撮り溜めてこられた沖縄の美しい写真の上に、ご自作の詩を載せられています。
何度読んでも涙があふれてしまう詩が幾編もあり、転載のお許しを頂きました。この本に込められた思いを綴られた「序に代えて」とともにご紹介させて頂きます。巻末に6ページにわたる「ゼロ歳の僕の沖縄戦体験から(防空壕を追われて・カンポーヌクェーヌクサー・兄の死)」が付されています。ご自身とご家族の戦争体験を記された詳細な記録です。ここからも一部転載させて頂きます。
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序に代えて
六十の僕からのささやかなメッセージ
沖縄戦(いくさ)が終わって六十年目に
ふるさと うちなーに想いを馳せて
原稿用紙に向かい 僕は書く
祖先が生きた琉球を
みんなで力を合わせて築いた沖縄を
僕は僕の言葉で書きたい
認識することのできなかった
いくさゆーを
人生の真っ盛りに いくさで死んだ父を
いくさ直後に たった三歳で死んだ兄を
「戦争のない時代に生まれたかった」
この言葉を残して死んだ宮良英加(みやらえいか)さんに
代わって 僕たちが探せないか
この島々に日本に世界に 戦争のない世を
いくさでどん底の人生を味わわされた母に
親孝行というものが少しでもできるなら
たとえ拙い表現でも
僕は平和を書きたい
住み込み店員として十七歳で上京以来
四十三年もの間
片時も忘れなかったふるさと
うちなーを讃えるうたを書きたい
沖縄に生まれた若者たちよ
君のこの島々をもっとよく見渡して
そして 自信と誇りを胸に刻もう
わったー うちなーに
ヤマトゥのみなさん
僕もまだわからないのですが
「沖縄の心」というものを
一緒に考えてみませんか
日本国憲法第九条を変えて
軍備を持つ国にしようという動きに
いくさの時代はどうだったか
みんなと考えてみたいから
店員も土方も いろんな職業を経て
三十一年間を高校の社会科教師として
沖縄も憲法も 学んで考えて教えて
平和と人権を大事にしてきたから
幾多の苦難を乗り越えて
逞しく生き続ける島人(しまんちゅー)たちを
ふるさとうちなーが世界に誇る
自然や文化や芸術といったものを
たくさんの尊い生命(ぬち)がなくなって
六十年経ったこの年に
里帰りの度に撮りためた
ふるさとの写真と併せ
ささやかなメッセージとして
僕は発信したいのです
あなたへ
母の足
薪取りに野山を歩きまわった
少女のしなやかな足
京都の紡績工場で
十二時間も立ちっぱなしで働いた娘の足
帰京して結婚後は
肥やしを担いで畑に通った農婦の足
乳飲み児の僕を抱いて
いくさの中を逃げまわった
優しく逞しい お母さんの足
父の戦死後は 病の僕を負ぶって
病院通いに二十キロも歩く日々
更に優しく逞しくなった足
還暦を過ぎても
家政婦で働きづめだった母の足
骨折して人口骨が入り不自由になったが
母の二本の足には
懸命に生きてきた八十五年の人生が
たっぷり詰まっている
記念写真
那覇の写真館で撮影
昭和十七年二月
わが家に残る最も古い写真の
裏に記されたメモ
沖縄の片田舎の農家が
嫁いだ長女の家族も交えて
正装で街まで出かけ
奮発して撮った記念写真
かすりの着物が似合う母は
新婚間もない二十三歳
兄を宿して 穏やかな まなざし
やってくるいくさを
想像もしないで
父が着るコートは一張羅か
ポケットに万年筆を挿して
メモはそれで書いた父の筆跡
父の顔を知ることのできる
たった一枚の写真
戦死した父へ
〈防衛隊に入れ〉
お父さん
あなたに命令が来たのは
僕が生まれて間もない冬だった
日本軍守備隊第三十二軍
沖縄防衛隊召集
この命令にはあなたも逆らえなかった
「もう行かないで
この戦争はまもなく終わるはず」
面会に戻ったあなたに母は頼んだという
頭に弾を受けて
芋畑で息絶えた
二十八歳のおとうさん
帰ってきたあなたの遺骨に
母は泣き続けて
更にやせ衰えた
おとうさん
僕は還暦を過ぎて
あなたの人生の倍をゆうに越えた
あなたの分まで生きて
あなたを語り続けよう
戦場の子供たちへ
生まれた時から住む家もなく
お乳も途絶えがちだった君たち
暑さをさえぎる緑もなく
街では銃声が絶えず
いたるところに地雷が埋められ
狭い遊び場さえ奪われて
大人の勝手だけで
幼い命を奪われた君の友だち
頭上をミサイルが飛び交い
逃げまどうことも困難な
小さないのち
僕の兄は三歳で死んだ
おいしいお菓子も食べられず
きれいな水も飲めずに
たった三歳で
写真一枚残せずに
いくさに殺された
喜進兄さんの苦しみを
繰り返させてはならない
世界中で繰り返させてはならない
平和の像は
「一度は生徒を教えてみたかった
戦争は非情だ
どんなに勉強したくてもできない
戦争のない時代に生まれたかった」
沖縄師範健之の塔に祀られた
宮良英加さんという
学徒兵が残した言葉
万年筆に代えて
銃を持たされ
鉄血勤皇師範隊に動員された
沖縄師範学校の学生たち
平和 友情 師弟愛
彼らの死を悼んで建てられた
平和の像は
亜熱帯の植物が繁る
摩文仁に立って
無言で語りかける
どう築いていくか
「戦争のない時代」
国籍
「国籍は?」
小さな出版社の入社試験で
面接の試験官は開口一番に聞いた
早稲田の先輩と言った男は
真顔で僕に問いかけてきたのだ
日本に潜在主権というのがあって
たとえアメリカの支配下にあろうが
僕たちうちなーんちゅーの国籍は日本
東風平(こちんだ)中学で
担任の憲仁先生にも
社会科の常延先生にも
国語の仲座康子先生にも
何度も何度も教わった国籍
そう
僕たちは日本人だ
そのように思い続けて
ヤマトゥの暮らしにも慣れ
十年経とうとする頃に言われた
冷たく
無理解な言葉
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防空壕を追われて ゼロ歳の僕の沖縄戦体験から
空襲も日増しに激しくなって、敵軍の沖縄上陸も近いと肌で直感した一家。小高い丘のような八重瀬嶽の中腹に掘った防空壕に、わずかな食料と衣類を持って移動した。防衛隊にとられた父が欠けた外間家は6人。潜んでいたそこにやってきた日本軍の兵隊3人。
「ここは陸戦隊が作戦上使う必要な壕だから、すぐ出て行くように!」
「これは軍命令だ。みんなも命令に従って出ている」と、厳しい口調が次々に。
「自分たちの壕なのに、なんで出なければいけないねー」最初こう言ったものの、
「貴様らは軍命令に逆らうのか!」と一喝されてしまった。
祖父が、一家を守る為にすがって頼んで、哀願を繰り返したが、とても聞き入れてもらえなかった。
「わたしたちは年寄りと女子供です。外に出されると、弾に当たって殺されてしまいます。どうか一緒に置いて助けてください。どんな協力でもします」
「ならん!軍命令だ!」「軍命令に従わなかったら、すぐ斬って捨てる」
3人の兵士からは更に厳しい口調。仕方なく、爆撃のない頃をみて、自分たちの壕を後にした。このむちゃくちゃな「壕提供」が沖縄の各地で展開されている。家族の身を守る為に、これを拒否して切り殺された人もいる。
隠れ場所を追われた一家は、玉城村堀川にたどり着いた。しかし、当てにしていた親戚は避難した後で、家も焼かれて隠れる場所はない。新たに防空壕を掘る余裕もない。思案した揚げ句、親戚の墓に行って、墓石を開けた。(中略)
墓の中は安全だが衛生状態は極めて悪い。当時の沖縄は土葬だった。一家が入った墓には、2年前に入れた遺体が腐乱しきって異臭が充満していた。遂に1週間で我慢の限界に。生後半年も経たない僕は、墓の中でも壕同様にいつも泣いていたらしい。3歳の兄もよく外に出ていたので、敵に発見されて一家全滅になるよりはと、移動することにした。
爆撃の合間に一家が向かったのは、チャンバカーモウにもう1つ掘ってあった自分たちの防空壕だった。着いてみると、数家族がぎっしり。「お互い様ですから」と譲り合い、狭いところに入れてもらった。しかし、またもや日本軍の兵隊がやってきた。今度は太刀(軍刀のことを母はこう表現した)を振り払い、問答無用の追い払われ方だった。急ぎそこを出るしかなかった。
「真栄平に行こう。そこの親戚に出会えば何とかなるだろう」
祖父の言葉に、一家は南部の真栄平に向かうことになるが、揃って出る余裕はなく、まず母が僕を背負って出た。
「先に行っているからね。をじぃをばぁとすぐ来てね」
これが、生きている兄に対する母の最後の言葉になった。
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兄の死 ゼロ歳の僕の沖縄戦体験から
(前略)
兄の死について僕なりに考えてみた。病院とは名ばかりの何もない所で、母の着く前夜に、「水が飲みたい」と訴えた兄。叔母が桶から手探りで汲んで飲ませた。電気もない、遠くにランプのほのかな灯があるだけだ。明けて、息絶えた兄。桶の中には血や泥の水。何とか砲弾の中は生き延びたものの、きれいな水も飲めず、おいしいものも口にできずに、わずか3歳で逝った兄。戦争がもたらした悲劇、子を失った若い母の嘆き、いつまでも続く悲しみ。六十年経っても嗚咽なしには語れない母。その母を僕は直視できない。
沖縄戦での戦死者は、23万人を越えている。統計の上では、兄は戦闘協力者にも入る。日本軍への壕提供という理由からだ。充分な思考力のない3歳の子供が、その意志もないのに「戦闘協力」とは。あまりにも悲しすぎる、庶民にとっての沖縄戦。
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『うちなー讃歌』外間喜明(ほかまきめい)
*ご注文は外間さんに(メールアドレス:yamatojinsei@ybb.ne.jp)直接お願いいたします。(価格 本体1500円+税)