15日(日)の『世界遺産』はチェコのトシェビーチ
http://www.tbs.co.jp/heritage/archive/20050515/slide.htmlでした。チェコはクンデラのふるさとなので、いつか行ってみたいところですが、トシェビーチという街の名前は聞いたことがありませんでした。(サルトルとクンデラは長い間私のお守りでした。恋人(笑)のことはなかなか書けませんが。。。)
トシェビーチには、ヨーロッパで最も良く保存されたゲットーがあり、それがプロコピウス聖堂とともに世界遺産に指定されているのだそうです。
低く垂れ込めた灰色の厚い雲に覆われたこの街の景色は、それだけでもう十分に物悲しいモノトーンの色調でしたが、小さな家がひしめくように軒を連ねたゲットーに14世紀から暮らし、(他の国でユダヤ人があらゆる職業から締め出されていた当時としては)寛容な領主のもと、さまざまな職業に才能を発揮して確かな暮らしを築いていたユダヤ人たちは、第2次世界大戦中、根こそぎ強制収容所へ送られてしまったのだそうです。
ホロコーストを生きのびてこの街に帰ってこられたのはわずか数人だけでした。ヨーロッパの他の国々でこうしたユダヤ人居住区が次々姿を消してしまったのに、この街に昔のままの姿で残っているのは、再開発に反対し、悲しい記憶と向き合い続けることを選んだこの街の市民の意志の力によるのだそうです。
住む人を失い、一度は命の灯が消えてしまった家々に、今は新しい住人が生活の音を響かせています。古い外観をそのままに残して室内はリフォームされ、いくつもの小さな部屋をぶち抜いて広いスペースを作ったオフィスには、時代を感じさせる黒ずんだ柱がところどころに残り、どっしりした木のテーブルがいくつか置かれ、何人かがパソコンで仕事をしていました。すっかり現代風の仕事場に様変わりしたようでしたが、地下室をのぞくと、部屋の真ん中に井戸があり、はるか昔、狭い土地を有効に使うためになされたという工夫の跡をとどめていました。
12000人が眠るユダヤ人墓地を1人で管理する男性は、カトリック教徒でした。もう若くはないその人は、訪れる人もなく荒れる一方の墓石から墓碑銘を読み取り、家族に知らせることができないかと数年前からヘブライ語を学んでいるのだそうです。
街角の小さなパブでは人々が談笑し、ほとんどの信者を失ったシナゴーグでは数人の若者が音楽を奏でていました。なにげない日常の風景でしたが、この街に暮らす人たちの静かな勇気は、書物の中で出会った幾人かのチェコ人の面影を思い出させてくれました。
ミレナやチャペック、そしてもちろんクンデラとも通じるものでした。チャペックのエッセイ集『いろいろな人たち』から、大好きな文章を少しご紹介させてください。1926年に書かれています。(段落が長いので、ところどころ区切ります。)
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「アメリカニズムについて」──『ニューヨーク・サンデー・タイムズ』紙発行者への手紙
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スピード、速さ!それは大西洋の向こう側からいつもわれわれに呼びかけている、新しい福音です。金持ちになりたかったら、自分のスピードと生産額を高めなさい!余計なおしゃべりと休息を棄てて、自分の仕事を速めなさい!人間の価値は、その生産を示す数字以外では測れないのだ!──アメリカが実際にこのモットーの鞭の下で生きているかどうか、わたしは知りません。だがこのモットーは、ヨーロッパの進歩と再建のプログラムとしてのヨーロッパ人のアメリカ化を、われわれに与えるものです。
しかしながら、速度と量が本当に活動の唯一の尺度かどうかは問題です。仕事を一定の単位として測るのには、非常に困難なものがあります──まさにこの古いヨーロッパにはそういうものが今日でも豊富にあります。哲学者の思想は、一時間でどれだけ達成するかでは測れません。彫像や詩を作るのに必要な時間で芸術は計算されません。それどころか、人間がそのようなものを作りはじめるためには、非常にゆっくりやることが必要です。ヨーロッパはその各地の大聖堂やその哲学体系を作り上げるまで、非常にゆっくりと仕事を進めてきました。なにかを考え出そうとする人間は、時計を手にして急ぐのではなく、のらくらして時間つぶしをしている人に似ています。・・・・(略)・・・・
古いヨーロッパをさまよい歩くと、あらゆる分野で大きな足跡を残した人たちが、いかに急ぐことが少なかったかに驚きます。革命を起こしていた男たちも、自分の時間をそれだけに使いはたしはしませんでした。人間の精神の最大の活動も、時間の気づかれぬ浪費の後でのみ発展してきたのです。ヨーロッパは何千年も時間を無駄にしました。そこにヨーロッパの無限の豊かさと生産性があります。
わたしはヨーロッパでたくさん仕事をした、アメリカのある大物のことを聞きました。その人は列車の中で自分の秘書に手紙の口述筆記をさせました。自動車の中で大きな会議を準備したり、昼食をとりながら小さな会議をしました。われわれ原始的なヨーロッパ人は、昼食の時には普通に食事をし、音楽の時には普通に耳を傾けます。どちらもおそらく時間の浪費になるでしょうが、実際に自分の人生を浪費してはいません。
おおいなる精神の怠慢について、それがヨーロッパにその最高の価値のいくつかを達成させたと言うことができるでしょう。人生の完全な評価のためには、一定の怠慢が必要なのです。ひたすら急ぐ人間は、たしかに目標に到着するでしょうが、ただその代償として、その道筋を通り過ぎたあまたのものを見逃してしまうのです。
新しいアメリカがあわれなヨーロッパに提示する第二のモットーは、成功という大いなる言葉です。エレベーターボーイとして出発し、鉄鋼王か綿花王となれ!さらに前進することを毎日考えよ!成功は人生の目標であり意味なのだ!──このモットーがいかにヨーロッパを堕落させはじめているか、それは実際に危険です。世界のこの古い部分には、一種の英雄的伝統があります。
人々は、信仰のため、真理のため、その他の多少非理性的なことのために生き、そして死にましたが、成功のためにはけっしてそうしませんでした。シェイクスピアが成功せず、たとえば大船主にならなかったことはヨーロッパの優越性の一つです。またはベートーヴェンが成功せず、質の悪い綿花製品の最大の生産者にならなかったこともそうです。バルザックは金持ちになろうと試みましたが無駄でした。幸いなことに世間的には成功せず、けっして負債から抜け出せませんでした。
この愚かなヨーロッパは、成功以外の多くのことを心配してきました。それらのことがそのまま残っているその一方、歴史の中にあったすべての成功を悪魔がさらってしまったのです。いろいろなことを達成した人たちが成功のことを考えていたとしたら、どんなに多くのことが達成されなかったことでしょう!人びとをその成功によって判断するとしたら、百人中九十人は人生の中で成功するよりむしろ不運になるだろうし、千人の中1人でも本当に成功に出逢ったとは言い難いでしょう。
すでに紀元前6世紀のリディアの大金持ちクロイソス王の時代からこの経験をしているヨーロッパのモラルは、成功以外の人生のさまざまな価値について、この上なく古くからわれわれに保証しています。わたしが誤っていなければ、そのモラルはあらゆる成功の無益さについてあちこちで語っており、もっと高くもっと永続的な価値を探求するようにわれわれにうながしています。よろしい、今までのところ、それらを求める熱意はわれわれを去ってはいません。
われわれを脅かす第三のモットーは量であります。アメリカの人たちがわれわれに伝える奇妙で不思議な信仰は、最大とは偉大なことだ、ということです。ホテルを建てねばならぬとすれば、「世界最大のホテル」でなければなりません。なにかを見世物にしなければならぬとすれば、それはその分野で最大でなければなりません。世界の創造主は、この大きさマニアとは関係なかったように思われます。なぜなら、この世界、地球をすべての天体の中で最大のものとして創造なさらなかったから。
ヨーロッパの創造者はヨーロッパを小さいものにし、さらにもっと小さな部分に分けて、われわれの心が大きさではなく多様性を楽しむようにしました。アメリカは、その大きさへの偏愛でわれわれを堕落させています。ヨーロッパは規模の大きさへの狂信を獲得するや否や、自分自身を失うことになるでしょう。その尺度は量ではなく、完全度です。それは美しいヴィーナスの像であって、自由の女神の大きな像ではけっしてありません。
しかし、もうこれくらいで十分です。われわれヨーロッパの原住民がアメリカ的と呼ぶ理想を、まだ1ダースも述べることができるでしょう。その12番目のものはドルと命名されるでしょう。しかしそれはもう異なる一章で、あなたがわたしに約束してくださったスペースはもう尽きています。わたしはここで、わたしより成熟しかつ政治性に富んだ人たちが始めるであろう所で、終わりにいたします。(1926年)
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『いろいろな人たち』カレル・チャペック 飯島周訳 (平凡社ライブラリー)
『カフカの恋人ミレナ』マルガレーテ ブーバー・ノイマン 田中昌子訳(平凡社ライブラリー)