6月14日(木)に東京地裁で行われた東京小中学校「君が代」訴訟原告団初公判での意見陳述を
自由の風MNより転載させて頂きます。
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意見陳述(東京地裁) 2007年6月14日
東京小中学校「君が代」訴訟原告団 K
私の受けた三回の処分は、どれもが不当ですが、特に一回目の「戒告」処分、二回目の「減給10分の1、一ヶ月」処分は、常識の枠を超えています。ある日突然、村の出入り口に悪代官の帽子が現れて、それに挨拶をしなかったので罰せられたという、まるで中世のおとぎ話のようです。おとぎ話なら本を閉じることもできましょう。しかし現実に起きた私への処分は、いつまで経っても、心も身体も、ほっと休まることがないのです。
2003年当時は、西東京市立H小学校に勤務していました。日常の学校生活が過ぎていく中で、『10・23通達』が立ちはだかりました。職員会議での話し合いは反古にされ、音楽教員の私には、「君が代」ピアノ伴奏の、他の教員には、起立斉唱の職務命令が出されました。私が伴奏を断り続けていると、「学校名を公表する。」の文書が来て、校長は、「伴奏は学級担任にやってもらうから、起立斉唱をするように。」と職務命令の内容を変更するのでした。『10・23通達』と校長の職務命令、これが始まりです。
始まりは、後になって、振り返って判るものです。それまでと全く断絶した、予想もしなかった出来事が、連続して起こりました。職員会議で発言をすれば、議題に賛成であろうとなかろうと、『「君が代」を弾かない音楽教員が、何を言うのか。』と非難の声が上がります。一部の教員の、その非難の声に、他の教員たちは、徐々に発言を控えるようになりました。校長の権限が強くなるのに反比例して、『「君が代」は音楽教員だけの問題ではない。』と考えている教員が、意見を言うことも少なくなっていきました。入学式、卒業式だけではありません。職員会議は、今や会議としての機能がなくなりつつあります。職員会議が終わってから呟かれる本音が、会議の中では聞こえなくなりました。
この裁判は、2004年度の私への処分に対してですが、『「君が代」に反対するのは許さない』風潮が、年々酷くなってきているように感じています。「君が代」の強制は、学校生活全般に蔓延してきました。教員の本務であるはずの、授業や子どもとの関わりと全く関係ない別の場面での反応に、なぜ、こんなにも長く多く、悩まなくてはならないのでしょうか。
私は2004年4月、十年目の必異動で、西東京市立H小学校から、板橋区立M小学校に異動しました。内示の面接の時に、「君が代」を弾くようにとS校長は言いました。私や特別区教職員組合からの手紙、働きかけで、入学式当日は、「着任したばかりなので、他の教員に弾いてもらうことにした。その代わりに起立して斉唱するように。」との職務命令が出ました。私は、「君が代」を弾くことも、立つことも、斉唱することもできないので、会場から出ようと、ピアノの横のドアを押しました。入ってみて、そこが舞台の袖であることを知りました。反対側の袖に、板橋区教育委員会の指導主事が隠れて見ていただなんて、誰が思いつくでしょうか。
それからの、事情聴取という犯罪者扱いの言葉、事情聴取の場所で立っていた、居丈高だが無表情な東京都教育委員会職員たちの姿。うろたえる私には、弁護士の同席も認められず、釈明の機会さえ与えられませんでした。
私の処分は、「君が代」強制に反対しているからではなく、校長の職務命令に従わなかったからだと分かったのは、ごく最近です。「君が代」は天皇制賛美のウタだから、公立学校行事に持ち込むのはおかしいと、黙って従わなかったことが処分されているのです。まるで宗教のようです。ガリラヤの湖で漁師をしていたシモンとアンデレは、イエスに、「私について来なさい。」と声をかけられ、網を捨てて従いました。しかし校長は絶対的な存在ではありません。宗教とは無縁のところから出る、他に選択の余地のない命令は、強制といいます。強制的な命令を、あたかも絶対的な命令のように扱い、従わなかったのは職務命令違反と処分を受けるなら、「君が代」に謳われる天皇は、今もなお「現人神」ということなのでしょうか。
「戒告」処分を受けたあとに、「服務事故再発防止研修」の通知がきました。天皇制賛美のウタを、私のこの手で弾くことはできない、私の伴奏で、子どもたちをウタわせることはできない、と迷い悩んだ末の行動を、「事故」と言い表し、「再発」を「防止」する「研修」です。私は自分の気持ちを、正直に手紙に書き送りました。素朴な疑問を、板橋区教育委員会に質問しました。二通の手紙は無視され、直接話しに行けば、責任の所在は東京都教育委員会にあると言われました。教えられた宛先に三通目の手紙を出すと、返事の代わりに、「研修を受講しなかった」と「減給10分の1、1ヶ月」の処分になりました。
「研修を受講しなければ処分」と問答無用の強制に、私は追い詰められて2004年12月、「服務事故再発防止研修」に臨みました。授業に穴を開けるから、職場の同僚に気兼ねもしました。「えっ、音楽ないの!」とがっかりする子どもたちにも事実を告げられず、とても気が重かったです。
会場は都立研究所の教室でした。S校長と私は同方向に並び、正面に講師、側面に私の一挙一動を記録する職員が3名座っていました。職員は、私がトイレに行く時もついて来ました。常に見張られているという感覚は、自分がとんでもない悪事をしでかしたような錯覚に陥ります。私は仲間から離されて、ひとりでした。講師は繰り返し「校長の命令に従うように」と責め立て、課題の書き直しを幾度も迫ります。思考回路がマヒしそうです。マヒしたのかもしれません。ひとそれぞれ考えが違って、どうしていけないのか。私という人間の存在すら否定されたようで、 空しさでいっぱいになりました。そして何でもいいから、とにかく部屋から出たかった。
私は音楽の教員です。音楽は楽しい表現ですが、だからといって浮世離れをした花鳥風月の音楽を展開しているのではありません。音楽は生きていく力にもなりますが、社会に翻弄され、利用されることもあるのです。即効性が見えないからと、音楽という教科は時間数を減らされたけれど、しかし音楽の影響力を知っているから、「君が代」を国家への忠誠心の物差しに使うのではありませんか。
私が「君が代」のピアノ伴奏はできない、と断ると、「簡単な楽譜だからチョイチョイと弾けばいい。」とか、「そんなに嫌なら泣きながら弾けばいい。」、そして「職務なのだから我慢しなさい。」と言われました。目に見えない心情を無視し、目に見える、弾いたか弾かなかったか、立ったか立たなかったかで、勝手に私の内面を判断されました。
腹の中では何を考えていても、表面さえ繕えばいいという教育に、私は加担したくありません。教員の仕事は、表面に出た僅かな翳りから、子どもの内面を解きほぐす実践の毎日でもあります。「いかにも何々だから」と予断をするのは戒めるべきです。一方的な思い込みで判断される辛さは、「君が代」強制に反対する教員だから、と管理職から叩かれる私自身が、よく知っています。
この三年間で身に沁みたもうひとつは、「Kの代わりは、いくらでもいる。」「Kでなくても構わない。」という、自分の存在を否定される感覚です。校長の人事構想に合わなければ、着任後たった一年でも異動をさせられるのです。私の場合、S校長の人事構想というのが、「君が代」を弾くこと、鼓笛隊の指導をすること、の二点だけでした。音楽の授業や、子どもたちとの音楽活動に関しては、人事委員会での証人尋問でも、「Kは良くやってくれた。」と証言をしていましたが、とにかく、「君が代」ピアノ伴奏と鼓笛隊の指導をしないのは論外という姿勢でした。処分につながる報告書を上げた板橋区教育委員会も、「処分された教員は区外の学校で活躍してほしい。」と、異動の作業を進めてしまいました。
板橋区立M小学校への往復は、電車通勤だと三時間二十分もかかりました。しかし私は通勤時間の長さで、教職員組合に不服申し立てはしませんでした。異動した時はいつもそうですけれど、むしろ与えられた職場で、音楽室で、関係を創っていく期待にあふれていました。自転車通勤で往復二時間の方法を見つけてからは、晴れの日も雨の日も、どんな天候の日でも自転車をこぎ続けました。子どもたちと信頼関係を築くというのは、明日でなく今日を大切にしていく積み重ねです。一日たりと同じ日はありません。
考えつく限りの働きかけも叶わず、着任後一年での異動が決まってしまいました。S校長は、「M小の子どもだけが子どもではない。子どもはどこにでもいる。」と言いました。私は、「M小の子どもと私の代わりは、いない。」と心の中で叫びながら、楽譜や教材をダンボール箱に詰めていきました。その光景は、二年経った今でも、思い出す度に胸が塞がります。
納得できない理不尽な理由で、子どもたちと離れなくてはならなかった辛さが、次に予想される「停職」処分を避けたいと願う基です。子どもたちと音楽室にいない生活は、想像しただけで心が張り裂けそうです。実際に「停職」処分は避けることができ、現在は「減給10分の1 六ヶ月」で止まっています。
処分を受けた後の「服務事故再発防止研修」も、処分を避けたい強い基です。私はこれまで三回、5日間の「研修」を受けました。その度に、もう二度と正気に戻れないかもしれないと思いました。楽しい計画を立てられなくなっている自分に、慄然としました。「服務事故再発防止研修」は、研修ではありません。全人格を否定される拷問です。
私は処分を免れているけれど、子どもたちを「君が代」の流れる中に残している現状は、絶えず私を責め立てます。「君が代」を弾くことはできない。立ってウタうこともできない。けれど「停職」処分は困る。自分さえ良ければ、子どもたちを「君が代」の中にさらしていいのか・・・・と、いつでも堂々巡りです。
どういう言葉を使えば、私の気持ちを表すことができるのか。どの言葉も、合っているようであり、違っているようであり。混沌が延々と、どこまで続くのか。
周りから次々と降りかかる、その火の粉は、『10・23通達』以降の「君が代」です。
音楽は、言葉では置き換えられないものの表現です。言葉で表現できないから、音楽で表現するのです。「君が代」は音楽ではありません。音楽であるなら、言葉に訳せない表現を処分するという、乱暴なことができるはずがありません。
学校は子どもを育てるところです。子どもが育つところです。ひととの違いを認め合うことを学ぶところです。少数意見を排除するのは、あってはならないことです。「君が代」を弾き、子どもたちにウタわせていれば、音楽教員としての実践は良しとされる傾向は、間違っています。私は定年まで数年、自分も子どもも、まずはその存在が尊重される日々を暮らしていきたいのです。

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