「道ありき」(2005/3/1)から一部再掲させていただきます。
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生徒たちは、黙々とわたしの言葉に従って、墨をぬっている。誰も、何も言わない。修身の本が終わると、国語の本を出させる。墨をぬる子供たちの姿をながめながら、わたしの心は定まっていた。
(わたしはもう教壇に立つ資格はない。近い将来に一日も早く、教師をやめよう)
わたしは、生徒より一段高い教壇の上にいることが苦痛であった。こうして、墨をぬらさなければならないというのは、一体どんなことなのかとわたしは思った。
(今までの日本が間違っていたのだろうか。それとも、日本が決して間違っていないとすれば、アメリカが間違っているのだろうか)
わたしは、どちらかが正しければ、どちらかが間違っていると思った。
(一体、どちらが正しいのだろう)
敗戦になったばかりで、日本の国は文字通り、上を下への大さわぎであった。わたしの勤めている学校にも、駐屯していた陸軍中隊があったが、敗戦と同時に、絶対服従の軍律はまるで嘘のように破れ、上官を罵る者や、なぐる者さえ出た。
昨日までは、上官の前では、直立不動でものを言っていた兵隊が、歩き方まで、いかにも横柄であった。
(昨日までの軍隊の姿が正しいのか。それとも今の乱れたように見える姿が正しいのか。一体どちらが正しいのであろうか)
わたしにとって、切実に大切なことは、
「一体どちらが正しいのか」
ということであった。
なぜなら、わたしは教師である。墨でぬりつぶした教科書が正しいのか、それとも、もとのままの教科書が正しいのかを知る責任があった。
誰に聞いても、確たる返事は返ってこない。みんな、あいまいな答えか、つまらぬことを聞くなというような、おとなぶった表情だけである。
「これが時代というものだよ」
誰かがそう言った。時代とは一体何なのか。今まで正しいとされて来たことが、間違ったことになるのが時代というものなのか。
(わたしは7年間、一体何に真剣に打ちこんできたのだろう。あんなに一生懸命に教えてきたことが過ちなら、わたしは7年をただ無駄に過ごしただけなのだろうか。いや、過ちを犯したことは無駄とは全くちがう。過ちとは手をついて謝らなければならないものなのだ。いや、場合によっては、敗戦後割腹自殺した軍人たちのように、わたしたち教師も、生徒の前に死んで詫びなければならないのではないだろうか)
そんなことを考えているうちに、わたしは、わたしの7年の年月よりも、わたしに教えられた生徒たちの年月を思った。その当時、受け持っていた生徒は4年間教えてきた生徒たちであった。人の一生のうちの4年間というのは、決して短い年月ではない。彼らにとって、それは、もはや取り返すことのできない貴重な4年間なのだ。その年月を、わたしは教壇の上から、大きな顔をして、間違ったことを教えてきたのではないか。
(もし、正しかったとすれば、これから教えることが間違いになる)
どちらかわからぬことを教えるより、潔く退職して、誰かのお嫁さんにでもなってしまおうか。
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実の話、わたしは本気になって、乞食でもしようかと思っていた。乞食の言葉は、決して人々にそれほど大きな影響を与えることはない。誰も乞食の言葉を信用することはないからだ。けれども、一段高いところに上った教師の言葉を、純真な子供たちは、疑いもなく信じこんでしまう。信じられるということの責任を、敗戦によってわたしは文字どおり痛感したのである。乞食になって、誰にも何をも語らず、ひっそりと生きて行くならば、少なくともこの世に害毒を流す恐れはないと思っていた。そして、それが生徒たちへの、教師としての自分の詫びであるとも思っていた。
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わたしはその時はじめて、切実に平和という問題を考えた。ほんとうに世界中には、何百万組の若い恋人たちがいることだろう。彼らはただふたりの恋を語っていればそれでいいのだ。それが、
「いつまた戦争が起きるのかしら、戦争が起きたら、あなたは戦場に行ってしまうのね」
そういう会話をしなければならないとしたら、それは何という悲しいことであろうと、わたしは思った。
「ほんとうにねえ、わたしたちが欲しいのは、自家用車でもなければ、大きな邸宅でもないわ。たったひと間でもいいから、家族が戦争のことなど一度も心配せずに生きていくことなんだわ」
わたしはそう彼に言った。平和を願う彼は、次のような歌をいくつか作った。
平和をば唯祈るより術なきか組織なく気力なきクリスチャン我等
若きらが萌す不安におびえつつ教授等の入党を伝へ来りぬ
今度こそは迎合クリスチャンでゐたくなし外電は原子戦争の悲惨を伝ふ
平和とは永劫の希望かと思ふ時風見矢が方向を転じたり
戦争を鼓吹せざり消極を今となり孤高者と自誇するグループ
そしてある時、わたしに新聞の読み方を教えてくれたことがあった。
「綾ちゃん。見出しの大きい記事が重要とは限りませんよ。新聞の片隅に小さく書かれている2,3行が、ほんとうは重要だということがあるのですからね。しっかりと目をあけて、これは今の世にとってどんなことなのかということを、聡明に読みとらなければいけませんよ」
それを裏書するような事実に、わたしはその後いくつかぶつかった。彼自身の歌にも、
外電の短き記事に怖れつつ或る結論を抽き出さむとす
というのがある。彼はその時31歳だったが、北大にまだ籍のある療養学生だった。だから次のような歌ができたのも当然だったろう。
中国に拡がりてゆく革命か心沁む大学生の加はることも
徴兵反対の掲示囲める学生等サフランの鉢をかばひ持つ一人あり
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この「きけわだつみのこえ」には、若い学徒たちの遺書や日記やノートが載っていた。大方の若い魂は、戦争を一応は批判し、一応は否定していた。しかし彼ら学生は、その否定する戦争に赴いてしまった。徹底的に戦争を批判させるもの、そして否定させるものは、ここにはなかった。体を張ってでも戦争を拒否すると言う、一筋通った強いものではなかったのだ。わたしはその時、究極においては学問さえもはなはだ力弱いものであることを感じて、心もとない淋しさを覚えた。
無論、それ故にこの本はいっそう悲痛であり、読む者の胸を打った。いかにもそれは、押し流されて没した若い魂の無念さを思わせたからだ。
わたしはこの本を読んで、単なる平和論では、ほんとうの平和が来ないのを感じた。ほんとうに人間の命を尊いものと知るなら、一人一人の胸の中に、残虐な人間性を否定させる決定的な何かが必要だと、わたしは思った。それをわたしは、やはり神と呼ぶより仕方がなかった。しかし、そのときのわたしには、キリスト教を肯定することができなかった。アメリカやイギリスにも、フランスにもドイツにもキリスト教があったはずではないか。だがそのキリストの神は、戦争を押しとどめる力にはならなかったではないか。それならば、宗教もまた学問と同様に、何の力もなかったことになるではないかと、わたしは絶望を感じた。
日本だけが神のない国ではなかった。世界が真の神を失っているとわたしは思い、そのことに気づいていないような教会に対して、不満を感じた。
いかに涙して、この「きけわだつみのこえ」を読んだとしても、戦争はまたくり返されることだろう。この本を読むまでもなく、日本人の多くが、戦争のために肉親や友人を失い、家も焼け、自分自身の運命も大きく変ってしまったはずである。国民の多くが、多かれ少なかれ戦争の犠牲者であった。わたしたち結核患者も、戦争中の食糧不足が祟って、発病しなくてもいい者までが発病し、長く臥ているではないか。
しかしわたしたちは、つきつめて、戦争を起こした者は誰か、再び戦争はすまいなどと考えてはいないのだ。なんと人間はお人好しで、鈍感なのだろう。これがもし、個人に殺されたり、個人に家を焼かれたりしたなら、決して相手を許そうとしないことだろう。だが、わたしたちは、
「戦争はごめんだ。ひどい目にあった」
などと、口では言っていても、心の底からの激しい憤りを持ってはいない。
わたしは、この自分の中にある鈍感さと、いい加減さに気づいて恐ろしくなった。平和という問題は、まず一人一人の胸の中に、平和への真の願いが燃えなければ、どうにもしようのない問題であることを感じた。「きけわだつみのこえ」の学生たちが、若く清潔であればあるほど、わたしは戦争否定のために、どうしても必要な、神のことを考えずにはいられなかった。ともあれ、この本を読んだことは、わたしの信仰への生活に、大きな刺激となったことは確かである。
『道ありき』<青春編> 三浦綾子 (新潮文庫)

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