『太平洋戦争』(2005/2/26)と
『検定不合格日本史』(2005/2/24)から少しずつ再掲させていただきます。
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「戦争の見方はどのように変ってきたか」から
1946年の文部省の『新教育指針』には
「満州事変以来の日本は、うちに民主主義に反する政治や経済を行つたと同時に、外に国際民主主義の原則に反する行動をとつた。(中略)かうした態度がやがて太平洋戦争の原因ともなつたのであつて、われわれは今後再びこのやうなあやまちをおかさないやうにしなければならない」、
同年の戦後最初の国定日本史教科書『くにのあゆみ』には
「国民は長い間の戦争で大へんな苦しみをしました。軍部が国民をおさへて、無理な戦争をしたことが、このふしあはせをおこしたのであります」、
47年の文部省著作『あたらしい憲法のはなし』には
、「こんな戦争をして、日本の国はどんな利益があったでしょうか、何もありません。ただ、おそろしい、かなしいことがたくさんおこっただけではありませんか。戦争は人間をほろぼすことです、世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戦争をしかけた国には、大きな責任があるといわなければなりません」、
49年の文部省著作『民主主義』には
「世界人類に大きななやみと、苦痛と、衝撃とを与えた第二次大戦については、ドイツとならんで日本が最も大きな責任を負わなければならない」、「軍閥は『広義国防』などということばをふりまわして、政治の実権をその手に握り、国民の権利を踏みにじって、無謀な戦争を計画するようになった」、「日本を取り返しのつかない太平洋戦争の暴挙にまでかりたてた」などとそれぞれ明記されていた。
これらの教科書類は、全体として批判の余地の少なくないものであったにもかかわらず、こと戦争に関するかぎり、その「無謀」と「責任」とを断言する点できわめて明白な見解を示すことを少しもためらっていなかったのである。
ところが、1953年池田ロバートソン会談において、日本人に軍国主義意識を培養する必要のあることが日米両政府の合意事項として確認されて以来、戦争に対する文部省の公式見解は180度の転換をとげた。
63年に家永三郎著作の高等学校日本史教科書が検定で不合格となり、不合格理由の口頭告知において、文部省教科書調査官は、「本土空襲」「原子爆弾とそのために焼野原となった広島」「戦争の惨禍」(白衣の傷痍軍人の街頭募金のすがたの写真)などの一連の図版を指し、「全体として暗すぎる」と述べた。また、この不合格処分の違法を主張する訴訟において提出された国側の準備書面では、当該教科書の「戦争は『聖戦』として美化され」「日本軍の残虐行為」「無謀な戦争」等の字句に関し、これらは「第二次世界大戦におけるわが国の立場や行為を一方的に批判するものであって、戦争の渦中にあったわが国の立場や行為を生徒に適切に理解させるものとは認められない」から、教科書検定基準に反する、と主張されている。
このような文部省の戦争観が、右の一例に示されるとおりの教科書検定や、全国学力テスト、勤務評定等の教育行政作用を通して高・中・小各学校の歴史教育における戦争の教え方を権力的に統制するにいたり、その効果はようやく顕著となった。かつては、生徒・児童の大多数が戦争に対し、否定的評価をとっていたのに、その後は次第に戦争を肯定的に評価するものが増加してきた。
『太平洋戦争』 家永三郎 (岩波書店)
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この教科書が不合格になった理由は次のような「欠陥」のためだそうです。
「第一に、事実の取捨選択に妥当を欠いているところが少なくない。(中略)
第2に、記述が往々評論に流れ表現や語調に教科書として適当でないところが認められる。
第3に、過去の史実により反省を求めようとする熱意のあまり、学習活動を通じて祖先の努力を認識し、日本人としての自覚を高め、民族に対する豊かな愛情を育てるという日本史の教育目標から遠ざかっている感が深い。」
ほぼ50年後の今これを読みますと、殊に「第3の欠陥」は、『新しい歴史教科書をつくる会』の主張に通じる部分が大きいように感じられます。この理由を受けて、家永さんはこう述べておられます。
「教科書訴訟において、被告国または文部大臣は、教科書検定はけっして思想審査・思想統制のためにやっているのではないとくり返し弁解しているが、上記の不合格理由は、検定が思想審査・思想統制以外の何ものでもないことを明白に示している。不合格理由として、誤記・誤植が多く不正確であるということが一言も記されていない点に注意して頂きたい。」
『検定不合格日本史』 家永三郎 (三一書房)

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