選挙の結果が恐ろしいものになったので、11日の夜は家中静まり返ってしまいました。テレビを見ながら、これからどうしたらよいのだろうと途方にくれていたら、中2の男の子の言葉にはっとさせられました。
「9条をなくさないで!僕らに戦争させる気?」
僕たちの未来がかかっているのに、大人は何をしているの?という声が聞こえてくるようでした。
10日の日記でも少しご紹介しましたが、『ファシズムの中の1930年代』にも同じような文章があります。
冒頭に、1930年代についての説明があり、その中で久野さんはこんなふうに書いておられます。
「われわれ当時の若ものたち自身の身近な、等身大の立場や思想からいえば、われわれ自身がほとんど責任を負っていないファシズムと戦争に確実、かつ急速に引きずりこまれていく時代であった。
われわれのあるものたちは、ふんばって抵抗しようと試み、あるものたちはファシズムと戦争にそれぞれ自分なりの意味をあたえて、その旗手になろうとし、大部分は運命的にファシズムと戦争に引きずりこまれ、やがてファシズムと戦争にそれぞれ協力する結果を招きよせた。」
「この闘いに責任のありそうに見えた大人たちは、共産主義系から自由主義系まですでに大量に国権主義への転向をはじめていた。」
久野さんは、1934年に京大の哲学科を卒業しておられますが、本当はその年に、ライプチヒ大学との交換留学生制度の第2回留学生として、ドイツに渡る予定だったのだそうです。しかし、前年3月のヒトラーの政権獲得によって留学を断念し、大学を卒業され、その後は、松浦良太郎というペンネームで雑誌に投稿し、「微温的反ファシズム」の言論活動を続けられました。
ところが、治安維持法により、「言論活動だけによって捕えられ、2年間の未決在獄ののち、1939年、懲役2年、執行猶予5年の刑を受け、それ以後、戦争下、すべての対外的活動を禁圧され」てしまいます。
これに続けて、あとがきには、こんなふうに書いてあります。
「言論活動にしてはあまりに重い懲罰であるから、これでは反ファシズム言論でさえグループとしてつづける人々がいなくなるのも当然である。
日本の刑法が政治犯や思想犯──思想が犯罪になるというまことに奇怪な用語である──に与えた刑罰が、なぜこれほど過酷であったかの理由は、警察官僚、検察官僚、司法官僚が特定法律によって特定犯罪を絶滅させるどころか、予防まで果させようとするラジカルきわまりない公的態度を採用したからであった。
ところが法律で犯罪を予防するという態度決定は、軍備で戦争を予防する態度決定が不可能な方法であるのと同様、全く不可能である。われわれは、青春時代、”刑罰からの犯人の解放は、犯罪からの人間の解放でなければならぬ”(ベッカリア)という思想を京大滝川教授から学んでいたから、予防法律は、やがて法律の濫用を生み出し、犯罪の温床や種になると官僚に思いこまれた行動や思想をまえもって法律の網にかける恐怖の干渉法になることを疑わなかった。その意味で読者諸君が、なぜこんな報告や翻訳が犯罪になったのか、法律の拡大解釈や濫用がどこまでゆき過ぎるものかのささやかな実例としてこれらの文章を読んでくださることを希望する。それはまた、”国家機密法”の再提案に対する態度決定にも参考として役立つであろう。」
共謀罪のことを初めて聞いたとき、やはり歴史は繰り返すのかと思いました。私は今、この国で、70年近く前と同じことが起きつつあるのだと感じています。
けれど、一つだけ違うことは、私たちは(メディアからでなくても)情報を得ることができ、意思表示の権利を持っているということです。私は、今度の選挙結果に果たしたメディアの役割はとても大きいと思っています。もうずっと前から肝心なことが伝えられていません。
でも、だからといって、今回の選挙の結果について、「私たちは何も知らなかったのだ、メディアのせいで選択を誤った」などと言い訳することはできないと思います。私は与党に投票しませんでしたが、衆議院の3分の2を与党に与えたのは、まぎれもなく、私たち国民です。
正面きってメディアが批判しなくても、毎回伝えられる国会の質疑応答を見ていれば、同じ言葉を繰り返して、きちんと説明しない首相の不誠実な答弁はおのずとわかります。肝心な問題に関して、首相が「適切に判断します」と答えるのを、何度聞いたことでしょう。
私たちは、首相が「どうするか」を知りたいのです。どんな問題に関しても、「適切に判断する」のは、政治家として当然の責務であり、言葉にするまでもないことです。首相には、適切な判断の中身は何か、どう行動するのかを明らかにする責任があるはずです。『適切に判断する』という便利な言葉で、首相がこの責任から逃げているのを何年も見てきて、なお首相を支持する方たちが恐ろしいほど多かったことは、私たちの国の民主主義の成熟度をはっきりと示しています。
私は、この国に住む大人の1人ですから、この先自分の身に何がふりかかっても、自分たちの選択の結果として引き受けなくてはなりません。けれど、今回の大人たちの選択のつけが、いつの日か、子どもたちのうえにふりかかり、彼らの命を犠牲にするようなことになるのだけは、なんとしても防がなければならないと思っています。
この先のことを考えると、不安です。でも、どうしても、教育基本法と憲法を守らなくてはなりません。
何ができるのかわかりませんが、少しのことしかできなくても、何かしなければならないと思っています。
頂いた情報はできる限りお伝えしますので、どうかお力を貸してください。これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

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