昨日書きましたらいてうさんの自伝からです。第4巻戦後編の「世界の婦人とともに」の中の「平和を守る政党を支持」の冒頭にあります。
ちょっと長いですが、写します。
1956年に行なわれた参議院議員選挙は、わたくしに選挙というものの重大さを、今まで以上の痛切さで身にしみて感じさせたのでした。前年の秋、アメリカと日本の財界が強く望んでいた保守合同が成立して自民党が生まれ、保守派は国会に過半数を得ました。これによって、今までのアメリカ依存の力の政策がさらに押しすすめられ、再軍備や軍事基地の強化、偏狭な国家主義的教育の復活などが、いよいよ強行されてゆくことになるのは明らかですし、そのための憲法改正も、かならず近い将来、時期をみてやるつもりであることは、この年の6月に、かねて岸信介氏らが国会に提出していた憲法調査会法案が、公布をみたことでもわかります。
毎日毎日のニュースから、片時も目が離せないおもいでいるこのころのわたくしにとって、6月13日に、スエズ運河地帯から、74年にわたって駐在した英国軍が撤退し、英国の支配が終わったというニュースは、明るいよろこびをもたらすものでした。エジプトのナセル首相は、ポートサイドの英海軍司令部の屋上に、みずからエジプト国旗を掲揚したといいます。
このようにスエズ運河基地の英軍駐留に、歴史的な終止符が打たれるとき、日本には、沖縄の軍用地を、一括買い上げようという、「プライス勧告」がもたらされました。
これはアメリカが、沖縄を永久占領しようということにほかなりません。この二つの領土をめぐる大きな事実の、あまりにもきわだった対照をおもい、わたくしはいまさらながら、サンフランシスコ条約を運命の岐路として歩みだした日本の容易ならぬ前途を、あやぶまずにはいられなかったのです。その意味からも7月に行なわれる、第4回参議院議員選挙は、いつの選挙の場合も同じことながら日本の将来を選ぶ重大な機会であることを、いよいよ深く思うのでした。
この選挙にあたって先の国会で、新教育委員会法案をめぐり大混乱となり、暴力沙汰、警官導入といういまわしい事態で終わったことが、選挙民に与えた影響は、無視できないものがありました。参議院選挙の各党の運動をみると、自民党は政策はまるでひっこめてしまって、暴力に対する世論の反対だけでのぞむというふうで、一方、社会党の方は、これをひどく気にして、弁解ばかりしているのでした。
わたくしに言わせれば、暴力が悪いことはいうまでもありませんが、ただ手足で働く暴力だけが、暴力とはかぎらないのです。軍隊や戦争、警察など、政治的な権力を背景にする暴力もありますし、多数の暴力ということも考えられます。国会で行なわれた暴力沙汰への反対のあまり、選挙に対するまじめな気持が失われたり、棄権したりすることのおそろしさをおもうにつけ、わたくしはとくにこのときの選挙が憲法改正を前にして、生活の安定か再軍備か、独立か従属かを、国民が選ぶ重大な機会であることを、談話や寄稿で積極的に述べたのでした。わたくしのおそれることは、国民の一部に、政治的無関心の層がふえてゆくことでした。国会で行なわれていることを見ると、あるいはバカバカしくもなるでしょうが、議会政治である以上は、選挙がすべてを決定するのですから、選挙をおろそかにすることは考えられないことです。
選挙に際して、どういう政党を選んで投票したらよいかといえば、それはいうまでもなく、平和のためにたたかってくれる政党、再軍備を絶対に拒否する政党、平和憲法を最後まで守りぬく政党でなければなりません。ところがおかしいことには、保守政党は、今までの再軍備の主張を、急にひっこめたり、いろいろカモフラージュしたりするのが例で、これは婦人や青年、働く人たちの再軍備反対の声をおそれてのことですが、このため、政党に対する知識をあまりもたない婦人は、うっかりしているとだまされかねないのでした。
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このとき、らいてうさんは70歳です。
この自伝を読んだのは、母親になって間もない頃でした。遠い時代の女性解放の先駆者の足跡にただただ驚嘆の思いでいっぱいだったので、戦後平和運動に熱心に取りくんでおられたことなどは、記憶に残っていませんでした。今改めて色々なご活躍を知って驚いています。
1962年3月17日の「軍縮のための日本婦人集会」のあいさつから少し引用します。
「戦争放棄と非武装を宣言した、いわゆる平和憲法をもつ世界に唯一の国である日本(そしてその日本は今、ご承知の通り東西の冷戦のため、この憲法をふみにじっています)。また核爆発の惨禍を体験した、これまた世界にただ一つの国である日本(そしてその日本にも、やがて核兵器が持ち込まれそうになっています)──その日本の婦人代表は、世界婦人の軍縮会議において、とくに重要なメンバーでなければならないのです。
わたくしは、軍縮のための世界婦人集会の呼びかけをうけたとき、日本こそは何としても代表を送り出さねばならないと強く思ったのでした。婦人であるということと、日本婦人であるということとの二重の意味で、わたくしは人類死活に関するこの問題に対して、使命的なものを感じているからです。
科学者のある国際会議での話でありますが、人間の頭のなかにある、核兵器を造る知識を消し去ることができない限り戦争はやってはならない。なぜなら、いくら核兵器を禁止しても戦争がはじまれば、禁止協定などは無視して、負けそうになった国は、核兵器を造るに相違ないというのです。それほど核兵器は比較的早く、安易につくれるのだそうです。
だから、人類の安全を守るには、もう完全軍縮で、いっさいの兵器をなくし、世界憲法をつくって、戦争そのものをなくす以外にないのです。」
この長い自伝は、1962年10月19日の新日本婦人の会結成大会への祝辞に続いて、こんな言葉で結ばれています。
「ともあれ、わたくしは、新日本婦人の会のみならず、新たに展開してきた日本の婦人運動の大きな動きのすべてを心から支持し、わたくし自身の願いや、望みや、期待のいっさいを、そこにかけずにはいられないということです。
すでに喜寿を目の前にしたわたくしは、自分の弱いからだに宿る、有限の生命について、心の準備だけはしているつもりです。
そうした心境の日々──わたくしは、婦人大衆の画期的前進の足音を、力づよく、たのもしく聴きながら、心ひそかに呟くのです。よしたとえそれが、坦々とひと筋につづく解放の道でなく、途中、どんな困難に試されることがあろうとも、
──わたくしは永遠に失望しないでしょう──と。」