ドイツには、若い人たちに向けて書かれた戦争記録文学がたくさんあるようです。日本語に翻訳されて、私が読んだ作品だけでも色々あります。
『隣の家の出来事』(ヴィリー・フェアマン著・野村ひろし訳・岩波書店)のあとがきによれば、こうした作品があらわれはじめたのは、1960年代からだそうです。それまでは、こうした問題を子どもの本のテーマにすることがタブー視されていたのですが、子どもたちがヒトラーのしたことについて何も知らない傾向がだんだん見えてきて、「やはり子どもに真実を伝えなくてはいけない、という考えが子どもの本の世界にも徐々にしみ通って」いったのだそうです。
『あのころはフリードリヒがいた』(H・P・リヒター著・上田真而子訳・岩波少年文庫)が1961年に出版されたあと、次々にこうした作品が出て、『隣の家の出来事』は1968年に出たそうです。戦争を扱っているといっても、それぞれに切り口が違うのですが、共通するのは、戦争当時子どもで、いやおうなく戦争に巻き込まれた人たちがつらい経験を語り、ファシズムがどんなふうに生活の隅々に浸透してくるかを示すことによって、どうしたらファシズムに打ち勝てるのかを読者に問いかけている点ではないかと思います。
『二度とそのことは言うな?』も同じ目的で書かれたものです。日本での出版は1989年です。あとがきによれば、作者のゲールツさんは、4つの大学で文学、美術史、哲学を学び、文学博士号をとった後、ジャーナリストとして活躍し、知的障害のある子どもたちの学校で働いているそうです。1973年から75年まで仕事と平行して教育学を学んでいて、ある若い学生の平和への意識の低さに愕然としてこの作品を書いたのだそうです。子ども時代の経験がそのままつづられています。
作品ももちろんですが、翻訳者の酒寄進一さんによるあとがきが、とりわけ今の状況に合致しているように思われますので、ご紹介させてください。
ゲールツさんも酒寄さんも若い人たちに向けて書いておられます。私にも同じ思いがあります。私の場合は、『凝り固まって真実に目を開こうとしない大人』には希望が持てない。若い人たちに望みを託したいという勝手な思いですが。。。でも、日本では、私の知っている中学のことなど思いますと、あまり若いときに自分の信念を貫こうとすると、偏狭な大人たちによってたかってつぶされてしまう危険があるとも感じています。(これを変えなければなりません。個人の資質以前に、システムがこれを助けていますから。)
何よりも願うことは、若い方たちに、まず、大人になってほしいということです。戦える力が身につくまでは、まず何よりも自分を大切にして、自分の可能性を伸ばせる人生をはじめられる地点に立つことを優先していただきたいと願っています。私は、酒寄さんのあとがきを、大人の自分に向けられたものとして読みました。多くの大人の方々に読んでいただけることを願っています。特に今の状況を打開するには、絶望的に思えても、大人に話しかける努力を続けなければならないのだと自分に言い聞かせています。
もしも若い方が読んでくださいましたら、大人になるまで、胸の中にだいじにしまっておいていただけたら、とても嬉しいです。
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・・・・(略)・・・・・
ナチスは、また1933年にドイツ国民の圧倒的な支持をえて政権をとるまで、『秩序』をスローガンにさまざまな組織をつくり、ナチスに参加することがドイツ民族にとってなによりも正しく、すばらしいことだという幻想を国民の心にうえつけていきました。
この物語にもでてくる「ヒトラー・ユーゲント」と「ドイツ少女連盟」は、精神的に自立するまえの少年少女にナチスの思想(ナチズム)をうえつけるための青年団でしたし、ハンネスが行かなければならなかった「勤労奉仕」は、ドイツ民族のためにつくすという崇高な気持ちをやしなうために18歳以上の男女全員に義務付けられた6ヶ月の強制労働でした。そこにかかげられた理想はいかにもりっぱそうですが、その実態はハンネスの手紙に書かれているように、まったく非人間的なものでした。また「ナチス親衛隊」はユダヤ人大虐殺に直接手をくだしたことで悪名高いだけでなく、下部組織である秘密警察(ゲシュタポ)をつかってナチスの考え方に疑問をいだく人々をむりやり強制収容所に送り込むおそろしい組織でもありました。
組織というのはもちろんそれに参加する人たちが賛成してつくられるわけですが、ときとして、その組織がそれをささえている人々の考えた希望を無視して、暴走することがあります。いったんこうなると組織にたてつく人の批判や意見はもみけされ、ひどいときには命まで危険にさらされることになります。みんなが納得してつくったはずの組織にも、こういう落とし穴があることをわすれてはならないでしょう。
ナチスは、個人をのみこんでいく組織のメカニズムのもっとも悲劇的な例だったといえます。そしてそういうメカニズムが組織のなかにある以上、歴史はふたたびくりかえす危険があります。じっさい小規模ながらナチスとおなじようなことが、米国カリフォルニア州のとある高校で起きたことがあります。それも戦後24年をへた1969年のことです。それは『ザ・ウェーブ』という運動で、そもそも、ある歴史の教師がナチスの組織暴力のおそろしさをおしえるために実験授業ではじめたものでした。ところが生徒も教師もしだいにのめりこみ、運動はひとり歩きをはじめて、ついに運動員たちは『ザ・ウェーブ』に参加しない生徒たちに暴力をくわえてもかまわないと思いこむまでになります。(M・ルー『ザ・ウェーブ』新樹社)
この事件はナチスのような組織の暴力がいかにたやすく生まれ、個人の自由を平気でふみにじるかをよく物語っています。ナチズムはけっして過去のできごとではありません。日本だって、そういうことがおこらないともかぎりません。いやすでにおこったことがあるというべきでしょうか。太平洋戦争を目前にした軍国主義一色の日本で戦争のために国民が総動員されたとき、ヒトラー・ユーゲントのような団体を結成し、組織のいいなりになって戦争に協力する青少年をつくろうという動きがあったのです。
ことのおこりは1938年に日本の青少年派遣団が同盟国ドイツに送られたことにあります。このとき、派遣団はニュールンベルクのナチス党大会に参加し、ヒトラーの謁見を受けました。同じ1938年、ヒトラー・ユーゲントも日本を訪問し、一糸乱れぬ行進など徹底した規律をみせつけ、日本の青少年運動の指導者に強い印象をあたえました。そして1941年1月、日本でもヒトラー・ユーゲントに似せた「大日本青少年団」が結成されます。それは、時の文部大臣を団長とする全国的な組織で、小学校3年生以上の少年少女から満25歳までの男女勤労青少年を団員にしていました。学校単位で加盟したので、その学校にかよう3年生以上の生徒たちは事実上強制的に入団させられたのです。そして団員は集団登校のさい、班ごとにきまった場所に集合して、学校から指名された班長から軍隊さながらの服装検査、衛星検査、所持品検査などを受けたといいます(山中恒『少国民はどう作られたか』筑摩書房)。
・・・(中略)・・・
ハンナの物語は、戦争のさなかの1940年から1943年のベルリンを主な舞台としている、いわゆる戦争文学ということになるわけですが、
人と人とが殺しあう戦争のみにくさや無意味さをうったえた作品とはかなりおもむきがちがいます。東部戦線で戦死したエリクですら、どういう最期だったのか書かれていません。たたかわずして餓死したとか、凍死したということも冬が厳しい東部戦線では大いにありうることでした。死刑になったお父さんにしても、とうとう罪状があかされませんでした。反ナチ組織にかかわっていたことはたしかですが、それ以上のことはわかりません(ハンナのお父さんが処刑された1943年、ドイツ国内でナチスによる大掛かりな粛清がおこなわれました。逮捕された人数は1年間でのべ3338人にたっし、そのうち約半分の1662人が死刑。無罪になったのは、わずか181人でした)。
戦争では、敵は相手国にきまっているとだれでも考えるでしょうが、この作品でハンナを苦しめるのは、イギリス、ソ連といった敵国ではなく、祖国ナチスを牛耳るナチスという組織です。ここにえがかれた戦争は国同士の戦いではなく、ひとりひとりの人間と組織の戦いなのです。この戦いは、たくさんの兵器をつかってたたかう国同士の戦争ほどあからさまなものではありませんが、個人の自由や幸福を直接おびやかすことにかけては、すこしもひけをとりません。むしろひとりひとりの判断力を麻痺させたナチスのような組織が戦争をおこし、戦争に反対する一部の人々をスパイ・非国民あつかいにすることを考えれば、戦争はじつは国同士がはじめるまえに、個人と組織の葛藤という形ですでにはじまっているといえるでしょう。
・・・・・(略)・・・・
いったん国同士が戦争をはじめれば、いくら戦争がいやでも、わたしたちひとりひとりの力ではどうすることもできなくなります。問題は戦争をはじめるまえにあるのです。わたしたちは戦争などがおこるまえに、平和のすばらしさを知り、それを失わないように努力する必要があると思います。人間らしく生きるために、身近な生活のなかで個人の自由な意志を尊重し、たがいに理解しあおうとすること。あたりまえのようであって、なかなかできないこのことが、平和への第一歩になるのではないでしょうか。ハンナもソ連兵捕虜ワシリーと心をひらいて話し合ったとき、かなしい思い出でいっぱいだったはずのコルベルクでふたたびみじかい平和の時をすごすことができました。
この本の題名は”Nie weider ein Wort davon?"『二度とそのことはいうな?』といいます。これはハンナがお父さんの行動をあやしんで相談したとき、兄ハンネスがいった言葉です。ただし題名の最後についている「?」に注意してください。いったいだれに、なんのために問いかけているのでしょう?作者がこの話を書いた1975年には、もうお兄さんはこの世にいません。わたしには、この問いがわたしたち読者全員にむけられているような気がしてならないのです。
戦争のことを考えるというのはけっして楽しいことではありません。わたし自身、かつて戦争のことをきかされて、「ああ、またか」とうんざりした経験があります。あなたたちにはそういうことはありませんか?ドイツでも最近、ナチスの犯罪について、もう十分に過去の清算はしたじゃないか、そろそろ過去の負目をとりのぞいてもいいじゃないか、というような意見がふえているようです。「二度とそのことはいうな!」というわけです。
しかし、はたしてそれでいいのでしょうか?いやなもの、めんどうなものから目をそむけることは、「逃げる」ということです。それこそが組織の暴力、つまり戦争をゆるしてしまう、わたしたちの心の隙なのです。逃げていては本当の平和を追求することはできません。なにがわたしたちにとって大切なことなのかを知るためにも、いやなものから目をそむけてはならないと思います。
「二度とそのことはいうなといわれても、わたしはいう」そういう決意でゲールツは自分の悲しい過去をあかしました。それはなによりも、若いわたしたちに、いやなものから目をそむけるようなことをしてほしくなかったからです。ゲールツの願いが読者のみなさんの心にとどくことをねがってやみません。
酒寄進一
第二次世界大戦勃発50年をむかえる年、1989年に。
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『二度とそのことはいうな?』 バルバラ・ゲールツ著、酒寄進一訳(佑学社)