3月7日のニュース23で、「『寛容の国』オランダの行方」という特集をやっていました。2004年11月にオランダのドキュメンタリー映画監督デオ・ファン・ゴッホ氏がイスラム過激派の青年に殺害されてから、オランダ社会が変わってきたのだそうです。イスラム教のモスクへの焼き討ちや学校の襲撃など、過激派とは関係ないイスラム系住民への報復が相次ぎ、移民政策の見直しも始まっているとのことでした。
番組の中でインタビューを受けていたオランダの世論調査会社の人は、「今のオランダは80年前のワイマール共和国時代のドイツに似ていて、人々は何も信じられなくなっている。
ヒトラーのような人間が出てきやすい状況だ」と話していました。
番組を見ているうちに、オランダが「寛容の国」であることを教えてくれた本のことを思い出しました。『思い出のアンネ・フランク』は、アンネたちの隠れ家での生活を2年以上にわたり、物心両面で支え続けたオランダ女性ミープ・ヒースさんが、40年後に当時のことを詳細に語った本です。(正確には、アメリカのジャーナリスト、アスリン・レスリー・ゴールドさんが1年4ヶ月にわたり、ヒース夫妻から聞き出したことをまとめるという形で本にしています。)
『アンネの日記』を読んだのは、中学に入ってまもない頃でした。時期をはっきり覚えているのは、中学・高校時代が、これまでの人生のうち最も読書から遠ざかった期間だからです。私の通っていた中学は、古い造りのマンモス校でした。教室から図書室までが遠かったので、昼休みに出かけて少し本棚を眺めていると、もう予鈴が鳴ってしまいます。授業後は部活で忙しかったので、1冊の本を借りるために何日も図書室通いをしなければならず、次第に足が遠のいてしまいました。明るく開放的だった小学校の図書室に慣れていたので、暗く陰気な中学の図書室になじめなかったせいもあるかもしれません。『アンネの日記』は、中学の図書室で借りたわずか数冊の中で唯一記憶に残っている本です。
私には、生来ちょっとひねくれたところがあり、昔から世間に名を知られているものはなるべく避けて通りたいと思っていました。本を選ぶときも、聞いたことのないような作者を選ぶのが常でした。(6年の頃にシェークスピアを読んだのは、彼の名前など聞いたこともなかったからです。同じ理由で、ケストナー、リンドグレーン、プロイスラー、クリアリーなどはよく読みましたが、アンデルセンやグリムをきちんと読もうと思ったのは、大人になってからのことです。)
『アンネの日記』は、中学1年の私でも知っている有名な本だったのですが、そのときは珍しく読んでみようかという気になりました。「戦争で隠れ家生活を強いられたかわいそうな女の子」の話だから読まなければならないという気持ちもどこかにあったように思います。けれども、読み始めてすぐ引き込まれたこの日記には、「かわいそうな女の子」の姿はかけらもなく、アンネは、揺れ動く心のうちを密かにノートに書き綴る大切な同年代の友として、私の前に現れました。彼女の周りのさまざまな人たちが織り成すドラマもおもしろく、自分と同じ年頃で、これほどの読み物を書く才能に尊敬の念を覚えました。
深い共感をもって一気に読み終わったのですが、本を閉じるとやりきれない思いにとらわれました。なぜ彼女は強制収容所で死ななければならなかったのか。生きている時代や住んでいる場所やあふれる文才は違ったとしても、本質的には私と何の違いもない思春期の少女だったのに。あと少しで戦争は終わったのに。どうしてあと少しというところまでがんばったのに病気になってしまったんだろう。もしも密告がもう少し遅れていたら、病気になったとしても生きていられたんじゃないか。・・・いまさら何をどうしても、彼女が死んでしまったという事実は変わりません。それでも、頭の中に限りなく「もしも」「もしも」の堂々巡りが続きました。
「彼女はなぜ死ななければならなかったのか」という問いは、どこまでも重い、答えのない問いでした。「戦争だったから」と納得することはできませんでした。戦争だったから何も悪いことをしていない人間が隠れて暮らさなければならなくなり、密告されて強制収容所に連れて行かれてひもじい思いをして病気になって苦しんで死ななければならないなどということは、どうしても容認できませんでした。こんな理不尽なことがあってはならない。絶対にあってはならないのです。それなのに、アンネは「絶対にあってはならない」方法で命を奪われました。このことの重みは、私の中の深いところに残りました。
『道ありき』の中で、三浦さんは、戦争を防ぐには、「一人一人の胸の中に、残虐な非人間性を否定させる決定的な何かが必要だ」と書いていました。彼女にとってそれは「神」であったわけですが、私にとっては、「意志」です。戦争を防ぐのは、一人一人が、これを絶対に許してはいけないと考える意志の力なのだと思います。
『思い出のアンネ・フランク』は、「自由と寛容」への強靭な意志を失わずに狂気の時代を生き抜いた勇気ある人々の記録です。ご紹介したいところが山ほどある本ですが、少しだけ抜き出させてください。
まず、プロローグの一部からです。次に、1909年ウィーンに生まれた著者が、労働者の間の「援助計画」によってオランダに渡り、養父母に育てられる経緯を記した部分です。オランダが「寛容の国」であることを示すと同時に、勇敢な著者のルーツが偲ばれます。それから、アンネのためにプレゼントを考える箇所。暗い記録の中に、唯一光を灯してくれる場面です。次に、著者の夫ヘンクが抵抗運動について語る場面。最後に、第3部「暗黒の日々」の結びの言葉です。長くなりますが、ご一読頂けましたら幸いです。
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わたしはヒーローなどではない。たんに、あの暗い、おそろしい時代に、わたしとおなじようなことをした、あるいは、もっと多くの──はるかに多くの──ことをした良きオランダ人たちの、長い、長い列の端に連なっているにすぎない。あれ以来、すでに多くの歳月が過ぎたが、あの時代のことは、つねに、その生き証人であるわたしたちの胸のなかに、ついきのうのことのように生きつづけている。あのころ起きたことについて思い出さずに過ぎる日は、いまも一日たりとない。
およそ2万人以上のオランダ人が、あの時代に、ナチスの目をのがれねばならなかったユダヤ人およびその他の人びとを、かくまうことに尽力した。わたしもまた、すすんでできるだけのことをした。わたしの夫もおなじことをした。それでもじゅうぶんではなかった。
わたしはけっして特別な人間ではない。一度として、特別な注目を受けたいと思ったことはない。たんに、そのときわたしに要求されていること、そして必要と思われることを、すすんでしようとしてきたにすぎない。だが、ここで思い出を語るように説得されたとき、アンネ・フランクが歴史のなかで占めている位置、ならびに、彼女の物語が、それに感動した幾千万の人びとに、どんな意味を持つようになっているかを考えねばならなかった。(略)
わたしの共著者、アスリン・レスリー・ゴールドは言った──これらの悲しい出来事がいかに起きたか、わたしの側からの回想をしるすならば、必ずや読者のあいだに多くの共感を呼ぶだろうと。いまや、他の関係者はことごとく世を去り、わたしの夫とわたしが残るのみとなった。されば、それらの出来事を、思いだすままに書きつづろう。(略)
この本にしるされている出来事のうち、一部はすでに50年以上が経過し、その多くについて、細部はなかば忘れられている。文中の会話や出来事については、わたしの記憶にしたがって、なるべく詳しく再現したが、それらをこれほどまでにこまごまと記憶によみがえらせるのは、ある意味で苦痛でもあった。歳月がたっても、その苦痛はけっして軽くなりはしない。
わたしの物語は、異常な狂気の時代を生きた、ごく平凡な市民の物語である。このような時代が、二度とけっしてこないことを、わたしは衷心から希望する。それが二度とこないように心がけること、それこそがわたしたち世界中の平凡な市民たちの務めなのである。
ミープ・ヒース