第三高等学校2年
4月12日
甘い自己批判のなかにあるかぎり、人間は堕落する。虚偽の権威を尊敬することにより、人間はspoilされる。
いまAristoteles"Ethica Nicomachea"(アリストテレス『二コマコス倫理学』)の第6巻第3章『学問』を読んでいる。真面目に学問すること、それは喜びである。その喜びを感じ得ないことは、真に学ばざるがゆえである。
我々は、自己を最善のものにつくりあげてゆかねばならぬ。このために、我々は現在、最善の努力をせねばならない。人を讃美するなど、簡単なことではない。
ジャック・チボー、その精神は、現在のぼくを支配する。独立した人格とは、烈しい苦しみにより結晶する。麻痺した自己批判、それは醜い背徳者である。酷烈に自身を裁け、第一歩はここにはじまる。
ugly(醜悪)なもの、我々は常に、これに打ち勝たねばならない。我々の行為の第一のつまずきは、じつにここにある。(以下略)
4月30日
人間は、社会的には共同体の一員であるとともに、意識的には個々分立の状態にある。そして共生の意識も、けっして孤立から脱却したものではない。人間としての自分を知ること、いまは真にその時期である。
自分が生きてゆくことを認識し、その生を高めるべき精進することが、わが生を生きる態度である。友人とは、その生の大きな力であり、美しき精力の源である。
だが結局、ぼくは独りである。ただ可能なことは、至高の友人を予想しつつ、生を高めることである。その人に対し、常に誠実であり、偽らぬことである。そうして生きることが、わが生である。
勉強とは「何をいかに学ぶか」という二点に力点がおかれる。自己の自覚も同様である。ぼくにとって学問とは、より広く深く、自己を認識することである。(以下略)
6月22日
独、ソビエトに宣戦布告。ああ・・・・日本はどうなる。
休みが近づく。身体やや元気を取り戻す。今度の夏休みこそ、まさに勉強すべきときである。文学、倫理、宗教を本格的に勉強せねばならぬ。ああ、自分自身で学を楽しむ境地に達し得るのはいつのことか。真に自己の精神を養い、こやさねばならない。
6月27日
高校生活、すでにその半ばを終わろうとしている。旧態依然たるものあり、すべてわが責任・・・。
わが歩みは鈍く、日々無知を思い知らされ、わが愚かさを味う。しかも友との交わりのなんと薄く、はかなきことか。我のみにあらず、わが周囲の友の交わりもまたしかり。そしてぼく自体も友からみれば同然であろう。我も他もひとしく心貧しき世界の一員というべきか。
自分の精神世界を持つこと、自身の雰囲気を確立すること、唯我独尊の確信の境に入り得ること、これが我々をして豊かなる平和を支えしむるものである。
もしこれを欠くならば、ただいたずらに力あまって空転するだけであろう。まさに「人間いずくんぞ一処にあくせくせんや」であり、「人生いたる処に青山あり」でなければならない。(以下略)
6月28日
(略)
死は、不道徳である。生きることは絶対に道徳的である。人は生き、何らかの仕事をしなければ、その存在を意義づけるわけにはゆかぬ。考えるまでもなく・・・この沈滞はどこからくるのか。条件か、本性か、それとも、惰性か。はたまた不真面目のなせることか。・・・ああ、これさえなければ、問題はないのだ。
6月29日
身体を強健にすること、これが現在のすべてである。ぼくは今まで、活きた眼で読書していなかった人間である。本の選び方、本の読み方を知らなかった。つまり真の人生の生き方を知らなかった。
判らぬ本なぞ読んでも無駄である。この短い人生で、判らぬことに、いたずらにあくせくしているようでは、わが生の基本的立脚点を見失う。無意味だ。
ぼくはもともと、認識論的哲学論とは、性があわぬ人間だ。もっとそれ以上の世界に、自分を推し進めることが大事なのだ。
学期試験なぞ、本気でやらずともよい。点が悪かろうと、形式的なものなぞかまわぬ。それよりも平常、学校にはきちんと出席して、講義だけはしっかり聞いておかねばならぬ。嫌なものの正体を知るために。また嫌なもののなかから、思いがけぬ良きものを発見するために。さらに、より良きものを精選するために。そうして自分の人間をつくるために。
いったいぼくは、なにになるのか。さらにぼくはなにになりたいと思っているのか。
まず、なんでもよいから、いつ、いかなる場合にも、力一杯あばれるような生活でなければならない。しかも文化を創造し、その価値を高める、そういう活動を可能にする生活でなければならない。
法・経科にたいして不満を感じるのは、それが真の学問へ到る途と思えないためである。ぼくが十分に生きうる型の生活と方法ではないからである。ぼくをもっとも引きつけるのは、モラリストである。その研究が、わが道を開くであろう。
7月11日
「兄、召集」の電報あり。
戦争が、ついにわが前に逆巻いた。人間とは分割された存在である。
9月5日
好悪の気持は尊重せねばならない。
死んだ気で、軍事教練をやるか。
日本よ、ぼくはなぜ、この国に敬愛の念を持ちえないのか。日本の実体は、いったいどこにあるというのか。ぼく自身、実証的な性格だ。
9月30日
(略)
日本の戦争による苦しみ、それはけっして本来的に、現在の為政者だけの責任ではない。もっと根深いものがあるのだ。この意味において、この戦争は日本、ならびに世界の現代の矛盾にもとづく、国家悪としての歴史的必然であるがゆえに、我等が頭上に宿命的なものとして迫る。
個人の批判と抵抗を排除して襲いかかってくる。この意味において、歴史はやはり必然の世界であるまいかと、ぼくは思う。(以下略)
10月3日
(略)
現代の貧しさ。しかもこれがわが国の必然と考えられるがゆえに、ますます強く感じられる。まさしく世界史的転換の生みの悩みであり、内外の矛盾が苛烈な衝突を営みつつあるがゆえに、その後のきたるべき世界史の変貌を予測せんとすることから生ずる苦痛である。
我々のごとく、近代の産物たる自由主義の理念が深く浸みこんだ青年にとって、これを捨つることはほとんど不可能である。これは現代に生きる我々にとって、第二の本性であるまいか。
今日の、政治における権力支配の拡充強化は、けっして喜ばしい現象でないと思う。ただ非常時を乗り切る術策として、国民に困難の甘受を強制することはできよう。しかしながら、権力政治家が国民指導の教師になり、服従せざる者を弾圧するならば、かかる国家の末路は火を見るより明らかである。
ぼくといえども国家と民族のためには銃を把る。しかし、人間には本来的に、どうにもならぬ領域がある。すなわち人間の自由精神は、絶対的に他の力で没せられぬ要素である。これを前提として承認し、その責務を果す責任が国家にある。人間に自由を与えよ。おのおのがその分を尊重せよ。非常時はあくまでも一時的現象たらしむべきものである。人間は、国家そのもの、戦争そのもののためにのみ、生きるものではない。まさに人間は自己のために生きているのである。これあればこそ、国家のため、民族のために、死をもいとわぬものなのである。自由精神の理想、失うべからず。みずから生くることが、まず中心の課題でなければならぬ。(以下略)
10月12日
国家、それは強力な支配権力の実体である。それを無視し、この点から遊離して論じてはならない。ぼくは、もはや日本を讃美すること、それすらできないのだ。むしろ無用にして有害な感傷として排除したい。
戦争は、国体擁護のためではない。そうではなくして、日本の基本的性格と、そのあり方が、日本という国家に、戦争を不可欠な要素たらしめているのだ。現実に、日本が戦争を要求している事実こそ、戦争への道なのだ。
ぼくらは、この戦争に耐えねばならぬ。そして根本的に日本の国家をよくしよう。それは、日本の人間そのものをよくし、発展させるために、もっとも効果的な方法なのだ。
だが、ぼくは、この戦争で死ぬことが、我ら世代の宿命として受けとらねばならぬような気がする。根本的な問題について、ぼくらは発言し、批判し、是非を論じ、そして決然たる態度で行動する、そういう自主性と実践性を剥奪されたままの状況で戦場にでねばならぬためである。だから宿命というのだ。
戦争で死ぬことを、国家の、かかる要求のなかで死ぬことを、讃えたいとは露ほども思わぬ。その、あまりにもひどい悲劇のゆえに。
ああ、すべては宿命だ。その宿命を世代としてにないながら、努力しながら、しかもこれに抵抗しなければならぬ矛盾のなかに、われら、人の子の悲しき定めがあるのだ。
感情は恐ろしい。だが、理性に従わねばならぬのだ。精神が歪んではならない。
我が心の生きるまで、友人を真実こめて愛しよう。
第二部
<まえがき>
1943年9月23日(昭和18年)、学徒徴兵猶予令が停止され、全国の大学、専門学校在学中の学徒のうち約30万人が臨時徴兵された。このうち海軍徴収の人員は約1万7千名である。これが世に言う学徒出陣である。
林尹夫は同年12月9日、横須賀第二海兵団(武山)に入団(約6300名)、海軍二等水兵、ついで翌44年2月1日(昭和19年)土浦海軍航空隊に入隊、海軍飛行予備学生となった。さらに5月25日卒業、偵察専修学生として大井航空隊に転じ、6月より9月まで通信・航法・射撃・爆撃の地上訓練および座学を受け、10月より機上訓練を受けた。少尉任官は同年12月25日である。
1945年4月上旬(昭和20年)、木更津海軍航空隊(攻撃709空)に転じ夜間天測航法を習得、4月29日に鳥取県西伯郡の美保海軍航空隊801空(錦部隊)に転勤した。ついで同年7月下旬、801空は新設の大和基地(奈良)に進出、林少尉は先陣として着任、7月27日22時、ただ一機で夜間策敵哨戒飛行に発進、翌28日午前2時米海軍第38機動部隊の空母群を発見、これと接触中に敵夜間戦闘機の迎撃を受け交戦、午前2時20分ごろの通信を最後として四国沖東南140浬の空に散華した。
第14期予備学生が徴収された時期を展望するに、当時の日本海軍はガダルカナル周辺の戦闘に敗退し、戦力の消耗も大で、ついにマリアナ海域を中心とする守勢配備に切り替えた時期である。陸軍はほとんど全滅になったインパール作戦の準備にかかっていたが勝機は日本になかった。
ヨーロッパ戦局はイタリーが降伏し、ドイツは東西二面作戦の苦境に陥ち主動的立場をまったく失っていた。かくして日独伊枢軸の命運つきんとする前夜、我より戦争に放火した日本の悲劇と直面しつつ、この矛盾の苦痛に耐えつつ記録したのが第二部である。