昨日ぱらぱらめくっていましたら、面白いところがありましたので、堀田善衛さんのエッセイ集から少しご紹介させてください。『好きな本』に入れましたが、この本が特別好きというわけではなくて、堀田さんの本はどれも好きです。特にエッセイは、視点に共感しつつ、教えてもらえることが多いので、気持ちが良くて落ち着きます。
『法王庁対イスラエル国の和解不可能性について』の最後の部分です。
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あるときにドイツで、私がある歴史家に次のような質問をしたことがあった。
──いったいドイツでは、ナチズムおよび第二次大戦時のドイツ国家及び軍の行動について、強制収容所関係のそれをも含めて、どうしてこんなにも豊富に文献が残っているのであるか、戦後の戦犯裁判に証拠文献として利用されることはわかっていただろうに、と。
これに対するこの歴史家の答えは、
──当時のナチス政府及び党、軍関係の公文書保存のための記録保管官たち(archivists)が、本当に必死でこれらの文書を守ったからだ。
というものであった。そうして重ねてもう一度の、
──何故か?
という私の問いに対しては、ただ一言、
──歴史のために。
と。
生命懸けで文書を守った、ナチの記録保管官たちの姿が眼に浮ぶ。それが戦犯裁判に使われようがなんだろうが、公文書は公文書として、”歴史のために”保管をしなければならぬ。
ときに図書館員や公文書館員は、死を賭さなければならぬことがある。
敗戦に際して、何日もかかって戦争関係の公文書を公然と燃やしつづけた日本政府の諸氏とは、歴史に関する考え方が大分違うようである。敗戦時に私は上海でそれを見た。東京の官庁街での、濛々たる黒煙を目撃した人も少くはないであろう。
国家が国家主導で、証拠湮滅罪を犯し、誰もそれをとがめぬ。
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『日々の過ぎ方』堀田善衛 (ちくま文庫)