2年前の今日、自衛隊のイラク派遣が閣議決定されました。それまでは、12月9日は特別な日ではなく、平和のことを考えるのは12月8日だったのですが、あれ以来、12月9日が特別な日になりました。
私のようにのんびりした生活を送っていると、季節の移り変わりの中であれこれ思うことも多いのですが、とりわけ師走は、1年の締めくくりという思いが強く、師走の声を聞いたとたんに、ああ今年も終ったなあという気がして、カードや年賀状を書き始め、(別にクリスチャンではないのですが)クリスマスの前にはなんとなくうきうきして、クリスマスが終われば、大掃除をしてお正月のしたくをします。穏やかな年も波風の年も、大晦日には1年の終わりという感慨があり、元日を迎える朝は特別な気持ちがします。
でも、2年前の年の瀬は、そうした心の平穏を持つことができず、世界がガラガラと音を立てて崩れていくような不安でいっぱいでした。あのときは、先の予想がつきませんでした。とにかくお先真っ暗な感じで、恐ろしいことになると思いました。
あれから2年が過ぎて、昨日政府はイラク派遣の1年延長を閣議決定しました。
あのときよりずっと戦争の足音は近づいていますが、あのときよりずっと世間は静かです。戦争が正体を隠して忍び寄ってくるというのは、こういうことなんだと実感しています。国民が毎日の生活に追われているうちにいろんな制度や法律を次々とつくり、危険に気づいて反対の声をあげようとしたときには逮捕されることになる。そのときのために、今政府は着々と準備しているんですね。
内申書制度は、子どもたちを戦争に行かせるために作られたわけではありません。でも、結果としては、上に立つ人の意向に沿わないとこの社会で生きていくのは難しいと教えるために役立っていると思います。言葉でどんなに個性や人権の尊重を説かれても、実際に自分の個性が尊重され、人権が尊重されていると実感できなければ、それは「たてまえ」としてしか理解されません。ロボットのように掛け声にしたがって整列し、一糸乱れぬ統制の取れた集団として子どもたちを訓練することが「良い教師の仕事」だと思っている先生が集まった学校では、上の人が言うことには、たとえいやでも従わなければならないし、どうしてこんなことをしなければならないのかわからなくても、命令ならしなければならないこともある、と子どもたちは学んでいるのではないでしょうか。
中学で、子どもたちがもの言わぬ集団としての訓練をさせられているのを目の当たりにしていたときに、東京から、先生の弾圧や教科書の問題が聞こえてきて、教育基本法の改悪がもくろまれていることを知りました。
私が目にしていた学校の問題は、子どもたちを戦争に行かせるために起きたことではありません。理不尽な命令を繰り返して生徒を高圧的に管理する先生を「教育基本法に反している」と告発することはできるはずです。現実には、そうすると、内申書制度によって子どもが被害に遭うことになりますが、理論的には可能なはずです。でも、もしも教育基本法が改悪されてしまったら、告発の論拠を失うことになります。生徒の個性を尊重せず、集団の統率を最優先に考える先生は、教育基本法が改悪されても、痛くもかゆくもないでしょう。今は「生徒指導」の名目で守られているご自身の方法に、法律という後ろ盾ができて、ますます自信を深められるでしょう。逆に、こういうやり方に疑問を持つ良心的な先生は、ますます隅に追いやられることになるでしょう。そして、子どもたちはますます苦しむことになります。
だから、どうしても教育基本法を守らなければならないと思いました。今もその思いは変わりません。
戦争を防ぐには、誰もが、いやなことはいやと言える社会を作らなければならないのではないでしょうか。たとえ上の人の命令でも、納得できないことはしない。単に気分や無責任から「いや」というのでなく、自分として、どうしても正しくないと思われることはできないと言う権利が、誰にでもあると思います。それがきちんと尊重される社会をつくらなければ、あらゆるところで「長いものには巻かれろ」となり、異なる意見は排除されていきます。私たちの社会には、こういう面が強くあると思いますが、今はもう、権力や、多くの人たちの無言の圧力によって排除されるだけでなく、「逮捕」されるという事態まで起きています。
これから、警察の権限を強める法律ができれば、ますます危険が大きくなります。昨日、TVキャスターの方たちが、事件の被害者の実名を報道するか否かを警察が決めるという法案について、反対の記者会見を開いたそうです。加賀乙彦さんの『スケーターワルツ』を読んでから、犯人逮捕の報道を聞くと、まず疑ってみるようになりました。警察官や検事が人間である以上、冤罪の可能性は常にあるからです。私にも冤罪で逮捕される可能性はあり、そうなった場合、無実を晴らすのがいかに難しいかということも想像できます。警察の権限が強まれば、冤罪で逮捕される危険も大きくなります。
2年前の今日からずっと失っていた心の平穏が、最近やっと戻ってきました。私の心に平和がなくて、どうして平和を訴えることができるのかと思いながら、ずっと失くしたままでしたが、ようやく戻ってきました。状況は悪くなる一方ですが、どうしても平和を守りたいので、生活の中で、自分にできることをつづけていきたいと思います。これからも、よろしくお願いいたします。