夜は頭がはたらかないので、昨日録画で『ふたりのさっちゃん』を見ました。わずか30分の番組でしたが、思っていたよりずっと重くて、得るものも、考えさせられることも多かったです。私は本当に知らないことばかりだと改めて思いました。ほかにもあれこれ思うことはありますが、何よりもまず、2人のさっちゃんの身に起きたことをお伝えしなければと思いますので、番組の内容をおおよそご報告します。(ごらんになられた方、重複ご容赦ください。)
ひとり目の「さっちゃん」こと高田幸美さん(32才)は、身体に障害のある方々の介護の仕事をしながら、ライブで音楽活動をしておられます。北海道で美術を学んだ後、全国を旅していたときに、音楽仲間に誘われ、東京都立川市に落ち着かれたそうです。
立川市は、東京都心から快速電車で40分ほどのベッドタウンで、駅前から10分もかからない場所に基地があります。戦前は日本陸軍が使い、戦後はアメリカ軍が使い、今は自衛隊が使っています。
チューニングの音をかき消す轟音で飛行機が飛び立つこの街で、高田さんは、テント村の人々と出会いました。立川自衛隊監視テント村は、1972年、自衛隊が立川にくることをきっかけに生まれた市民団体で、基地の撤去を求め、国に抗議し、反戦と平和を訴えているそうです。30年以上変わらぬ思いで平和を訴える方たちが、平日の昼間、プラカードを持って街を歩いておられます。さっちゃんをのぞけば、平均年齢69才という方々です。
2004年1月、イラクへの自衛隊派遣が迫る中、テント村の人たちは、自衛隊の宿舎(防衛庁立川宿舎)に、「自衛隊・ご家族の皆さんへ 自衛隊のイラク派遣反対!いっしょに考え、反対の声をあげよう!」というビラを入れました。そのビラが映りましたが、A4くらいの白い紙に黒字で印刷されたごく普通の手書きのビラです。字もまるっこくて穏やかで、高田さんが言われた「ただ一緒に考えたかっただけ」というお気持ちが伝わってくるものでした。宿舎はごく普通の団地という感じで、広い敷地に数棟の建物が建っています。(新しい宿舎ができたので、住民の方々はもうここには住んでおられません。)
その横を歩きながら、高田さんは、「同じ町に住んでいて、買い物してたりすると顔を合わせるような人たちなのだから、特殊な人たちだと思いたくない、ただ一緒に考えたかっただけ」と言っていました。冒頭のナレーションで流れた「反自衛隊だけれど、反自衛隊員ではない」というのは、こういう気持ちのことなのだと思います。
それからしばらく後、2月27日の早朝、すごい勢いでドアをノックする音に驚き、のぞき穴からのぞいてみると、「立川署の者だ!」という人たちがいたそうです。彼らは「ここ開けろ!開けなきゃ壊して入るぞ!」とドアをガンガンたたき続けた挙句、ドアのチェーンを切り、「住居侵入罪」という家宅捜索の令状をかざして部屋に入ってきました。高田さんは、住居侵入なんてしてないし、嫌がらせか何かで、これが終わったら出て行ってくれるのかなと思いながら呆然と押収作業を見ていたそうですが、突然、逮捕令状を突きつけられます。「いやもうびっくりしましたよ。ひえーって言っちゃったもん」(高田さんがおっしゃったとおりです。)それから「もうここから先の捜査は強制だ」と言われ、服を下着まで全部脱がされて調べられました。
逮捕されたのは、高田さんを含めて3人です。翌朝産経新聞の片隅に小さく載った記事には、「防衛庁宿舎侵入 3容疑者を逮捕」と出ています。
その後起訴までの20日間、高田さんは留置所で連日苛酷な取調べを受けました。罵詈雑言を浴びせられている間中、刑事のネクタイをじっと見つめて耐えたけれど、あまりの苦しさに髪が抜け落ちて禿げてしまった。「今もそのハゲが残ってるんですよ」と長い黒髪をかき分けておられました。
拘留は実に75日にも及び、その間にアムネスティは、高田さんたち3人を、表現の自由を奪われとらわれた『良心の囚人』と認定しました。高田さんを支えたのは、塀の外から聞こえてくる仲間たちの歌声でした。
一審の東京地裁は、ビラ入れを「憲法に保障された表現の自由の行使」と認め、高田さんたちは無罪になりましたが、検察はそれを不服として控訴しました。昨年12月9日の東京高裁では一転、有罪になりました。「住居侵入 有罪で罰金刑」だそうです。
高田さんは判決後、裁判所の前で、「(逮捕後被ってきた)今までの思いを、これから日本中のいろんな人のところに広げられるのかと思うと、絶対に許しません!」とマイクを持って声を上げておられました。それから同じ日の午後アパートで静かにこう語っておられます。「よっぽど反戦とかいう人が恐ろしいんでしょうかね。あれだけムキになって有罪にするっていうのは。・・・何も知らない人から見たら、国家権力にあいつら悪いやつだっていうお墨付きを与えられたってことですものね。・・・」
もうひとりのさっちゃん、1915年生まれの石川さだのさんは、高田さんの事件をご自分の痛みと重ね合わせておられました。
山梨県甲府市出身のさだのさんは、自活の道を求めて東京に出て、20歳の頃、東京市営バスの車掌になりました。労働組合を通じて初めて心を許しあえる友人たちに出会い、「本当に安心していられる場所だな」と感じたそうです。「表情や目の輝きなんかが全然違う。男の人も女の人も区別しないし、私のような何にもわからないものだって同じように扱ってくれる」かけがえのない仲間たちは、「今になって考えると、みんな(共産)党員」でした。
東京から故郷に戻り、甲府市役所の事務員をしていたさだのさんを、1942年6月、突然3人の憲兵が訪ねてきました。長剣をぶらさげた3人は大きな名詞のようなものを出して、「『治安維持法違反 石川静夫』この者を知っているか」と聞きました。「知ってますよ。同じ職場で働いていたから」と答えると、さだのさんは逮捕されてしまいました。
さだのさんの同僚だった石川静夫さんは、衛生兵として働いていた陸軍病院で目の前で死んで行く兵士たちの姿に耐え切れず、ある日「こんな戦争には反対だ」とつぶやきました。それを憲兵に密告されて、治安維持法違反で逮捕されていたのです。
その石川静夫さんの元同僚で、若い頃共産党員とつきあっていたというだけで、さだのさんは逮捕され、1年近く拘留されました。軍法会議による判決は、「治安維持法違反 執行猶予付き懲役3年」というものでした。
実家に戻ると、甲府市からは、解雇通告が届いていました。
「私は悪いことをした覚えは何もない。でも、端から見たらそうはいかない。おまけに『非国民』なんて一番悪いことになるんだもの・・・」
敗戦の2ヵ月後、1945年10月にGHQの指令により、さだのさんを裁いた治安維持法は廃止され、特高警察は解体されます。さだのさんは、「もうすっかり解放された気が」したそうです。
けれど、時代が移り、防衛費の拡大、有事法制の論議、自衛隊の海外派遣を見ているうちに不安が募り、2005年5月、名誉回復のための訴訟を起こす決意をします。甲府市に、治安維持法違反による解雇は無効だと認めさせるのです。
「私の戦後はまだきりがついてない。非国民のままになってる。」
90歳になるさだのさんがこの決意をしたのは、こういう思いからでした。
「とにかくまあ世の中がおかしくなっていくのが怖かった。だんだん昔に戻るんじゃないかと思って。」
提訴は昨年12月中に予定されていましたが、さだのさんは提訴の直前、12月21日に永眠されました。翌22日、高田さんのもとには、さだのさんのビデオと若い頃の写真が届けられました。番組スタッフからさだのさんの話を聞いて会いたいと言っておられたそうですが、願いはかないませんでした。
この番組にはもうひとり、戦時中に特高警察におられた井形正寿さん(84才)が登場します。井形さんは今も、語り部として子どもたちに戦争について語り、平和を訴えておられます。
特高警察が捜査に使った資料として、戦時中に書かれた反戦の投書の複写写真がたくさん残っているのだそうです。たとえば、こんな手紙です。「我々はもう戦争にはあきあきしました。・・・(略)・・・このお葉書を受け取った方はこのとおり書いてあなたの知人2人にお出しください。早く平和の日が来ます」(「引っ張られれば死を覚悟」しなければならない時代に、なんという勇気でしょう!)
井形さんに、「あきあきした」という言葉がひっかかるのかと聞くと、「戦争がいや」ということがすなわち「非国民」「国賊」だったのだと言っておられました。
井形さんが、小学校を訪ねて、子どもたちに一番よく言われるのは、「おじさんら戦争はいかんいかん言うとって、なんで反対しなかったんですか?」ということだそうです。
「命を失うかもわからんということになれば、言いたいことも言えない。・・・」
立川の事件を受けて、井形さんは、「明日はわが身」と断言しておられます。「もう今は当たり前でしょう。(戦争はいやという)この一言によって、私も非国民、国賊になって、世の中から葬り去られるかもわかりませんな。」
番組の最後に、さだのさんの生前の言葉が流れました。「あきらめちゃいないよ。だって、みんないいことはいいとわかるんだもんね。・・・どれくらいかかるんだろうねぇ。・・・大変なことだけど・・・希望を持って死んでいく」と、笑顔で語っておられました。
もうひとりのさっちゃんが、街で仲間たちとビラ配りをしている姿が映し出されて、番組はおわりました。
一度見て、すぐには書けないと思って、もう一度見ました。もう本当に「戦前」なのだ、がんばらなくちゃと思う一方で、沈みこむような思いもあって、高田さんのHPを拝見しました。どんなに苦しい思いでいらっしゃるかと思っていたのですが、逆にとっても励まされて、今はパワー全開です。非戦を誓う憲法を持つ国で、反戦を訴える人が罪に問われるのは間違っています。(高田さんが「住居侵入」していないのは明らかです。侵入したのは刑事の方です。)9条をなんとしても守らなければ!これからもがんばります!
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