二月三十日の出来事を収集しています。「二月三十日」
軽便鉄道(廃線跡)を捜し歩いています。「両備軽便鉄道」「鞆軽便鉄道」
中古地図と古写真と石畳を頼りに城下町を隈なく歩きます。「鞆の石畳」
見えない線路、水路、道路、建物を訪ねて現代の風景の中に蘇らせる実物大パズルです。
(para1002n)・・・★★★彡・・・
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六本木高架下に光の川
地元商店街が照明設置
イメージ改善狙う
日本経済新聞 東京首都圏経済面 33頁 2009年3月27日(金)平成二十一年(旧暦二月三十日)付
六本木の夜を照らす天の川ーーー。六本木交差点の上を通る首都高速道路の高架下に26日(旧暦二月三十日)、アート照明が施された。地元商店街の六本木商店街振興組合(東京・港)が、都や区の助成を受けて約二千万円かけて設置した。首都高は薄暗い印象があった。照明の設置により、イメージの改善を狙う。
六本木交差点を中心にした約百五十bの区間に、白色発光ダイオード(LED)百十四個をライン状に配置した。照明のデザインは東京タワーのライトアップなどを手がける石井幹子氏が担当した。
首都高側面の外壁に取り付けてある「ROPPONGI」のロゴも交換。デザインを一新して光を放つ銘板に変えた。日没から午前二時まで毎日点灯する。
福山のクリスマスライトアップイベントは企業の支援が撤退して急に規模が小さくなった。廃棄物のペットボトルを飾りつけたイルミネーションだけではいかにも貧相だ。小学生の文化祭の発表会のような雰囲気で、関係者保護者以外には全く魅力がないし、吸引力もない。閑散とした催し物だった。
para1002n(ぱら仙人) 
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左は門前通りの突き当たり。写真の奥が南です。江戸時代の門前通りは突き当たりのT中さん宅の敷地内に延びていて、ひとつ東のA野音楽教室の三叉路の延長線上で西に曲がって、小屋組の緯度のところに突き当たっていたと考えられます。写真はその出口付近で、U野さんの南隣の倉庫辺りです。この裏に組小屋の六角形の井戸があります。
その付近の全景です。角の家がU野さん(散髪屋さん)です。門前道路の曲がった先は隣の倉庫(井戸の前)辺りに出ます。掘りも井戸の所で尽きています。古絵図では井戸の続きは町家になっています。ここは出入自由で無防備ではないかと心配したのですが、そうではなかったようです。写真の左端にM山住宅設備機器の建物があります。城山の裾はこんなに高くはなかったにしてもイメージとしてはこんな感じだったと思われます。堀の上の石垣はこの城山の山裾にぶつかっていて、こちらからの進入もできなかったと思われます。前には町家が並んで24時間人の動きを把握していますから山を越えて侵入することも出來なかったでしょう。
もう二軒ほど南に駐車場の入口があります。駐車場の奥に入ると城山の裾が削られ切り立った崖になっています。これより南側はずっとこんな切り立った崖になっています。その土砂は江の浦の埋め立てなどに使われたのだと思います。道路からちょっと入ったこの位置でこれだけの段差が作られていますから、こんな感じの山裾がもう少し組小屋の井戸側に延びていて、堀の上に築かれた石垣に遮られて要塞のように囲みが造られていたと考えられます。
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郷土史家I田さんから地蔵院の裏にお城の井戸が残っていると聞いていたので行ってみた。ここは鞆小学校下の月ぎめ駐車場です。駐車場の裏側が墓地ですが、こちら側からは入れません。
境内でお住職の姿を見かけたので、I田さんに聞いた鞆城の古い井戸が裏の方にありますかと訊ねると、その場所へ案内してくださった。このお城の井戸(地蔵院裏の井戸)は組小屋の井戸と普門寺下の六角井戸を結んだ線上に近い場所にあります。御屋敷の敷地の対角線上です。
地蔵院の境内を抜けなくても直接墓地に行く路地があります。四辻の石畳側にあるお遍路の路地が入口です。「へんろみち」の道標が立っています。
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六角井戸の近くに山から流れてくる小川があります。今は石畳のところから暗渠になっています。そのまま進むと城山の西に当たるので、山裾沿いに堀に流れていたものと思われます。
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