午前中、中国電力福山変電所に車で行ってみた。最近は道路の封鎖と軍事施設のことばかりが頭にあって、正直なところ、60年前と近代設備の変電所とが結びつかなかった。最近でこそ、技術革新の目覚しさから、昔と今では雲泥の差のように思いがちだが、当時も一般家庭に電燈はあったんだし、当然変電所は普通にある。
福山変電所

近所のお店で奈良津のどの辺りが焼けたのか尋ねてみた。その当時のことを知っているおばさんが午後から来るとのことだった。
今度は自転車で出直した。薄い被災地図一枚と、カメラにペッボトルのお茶だけだから自転車で充分・・・と思った。しかし、やっぱり寒かった。できるだけ陽の当たる方を赱って、雲に覆われて翳ったら、自転車を押して歩いた。
行きがけに石州分かれの道標の写真も撮った。(この道標については次回ご紹介する)
「この辺りが焼失したようですが、変電所のあったところには昔何があったのですか?」
「あそこは昔から変電所ですよ。今よりも大きかったんですよ。変電所を爆撃しに來たんですから。(空襲は)ここら辺が早かったんですよ。周辺が先にやられて、それから街中(まちなか)です。水路伝いに布団を被って逃げるんです。水を吸うて重とうなるでしょうが、いろいろあるんですよ。」そこから先はなかなか話してくれなかった。
「山際を目印に焼いた云うてじゃけえど、目印もなんも、あそこから山じゃいうこたぁ、皆分かりますョ。今ぐりゃあ(日差しのある午後2時)本当に明るかったんじゃけェ。人が逃ぎょうるんも分かるしね。そりょぉ狙うて來るんじゃけぇ。」〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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