府中町(現広島県福山市城見町一丁目4-**)に財団法人義倉(ぎそう)がある。現在もある。義倉は藩の後押しで作られた飢饉・非常時用の米蔵管理組織だ。義倉田(小作田)を持っていて、その上がりや備蓄の古米を安価に放出したりして、管理運営されていた。民間のものを社倉(しゃそう)と呼ぶ。明治政府の管轄になって、多くは接収された。現在まで残っている組織は珍しい。
元女学校 財団法人福山義倉

義倉田石碑
備陽六郡志碑
「備陽六郡志」にも文化元年(1804)からの飢饉救民活動のことが書かれている。
救民活動は一種、不満の緩衝システムでもある。一例を挙げると、芳井(岡山県芳井町)の大庄屋山成家は飢饉の際、蔵の米を放出して救民活動を行い、百姓一揆の標的にされることから難を免れている。そのお蔭で硝石鉱山開発、酒、醤油、両替、等々あらゆる利権を独占できていた。一方、松永の河本本陣家は百姓一揆の際、暴徒の焼き討ちに遭い、全財産を失っている。
こうした不測の事態は資産家当家にも多大な損害をもたらすので、有志を募り、平時から不満の息抜き装置として、慈善活動は必要不可欠な事業であった。
今の企業経営は投資家の利益優先で、社会還元が極端にやりづらくなっている。これではいつか収拾のつかない爆発が起こる。その直前に儲けるだけ儲けて逃げ出せばいいという発想がさもしく、情けない。お金持ちはちゃんとまじめに税金を払え。お侍(お役人)が安心して暮らせるように先祖伝來のお年貢なんだぞ。お役人が楽して大金を手にすることをちっとも妬(ねた)んだりしておらん。ワシらはそのお零(こぼ)れでちょっと福祉充実に与(あずか)りたいだけだ。そんなに大それた望みは抱いておらん。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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