両備軽便鉄道(旧福塩線)の廃線跡を歩いている。奈良津町一丁目旭通り(広島県福山市)のどこを横切っていたのか、その位置を特定するのに随分日数がかかった。国道313号線の下に、トンネル跡の石垣が残っている場所がある。初めて現場に行った時は、トンネルというのだから、列車がそのトンネルを通っていたのかと勘違いしていた。どうしても鉄道が赱っている方向のイメージが合わない。そこで上に上がって、国道脇の歩道からそのトンネル跡を眺めて納得した。鉄道は上を赱っていたのだ。トンネル跡の石垣は鉄道の橋脚のように2つ並んで進行方向に向かっていた。地元の人は昔からガード下といわずにここをトンネルと呼んでいたのだ。
その時、五反田地蔵の前で出会った地の方が軽便鉄道の軌道位置を親切に案内してくれた。達者な足取り(自転車)で北消防署の角まで連れて行ってくれた。周囲の様子は随分変わっている。急に昔の風景と重ねるのが難しい。しばらく辺りを見回しながら側溝の溝蓋の一枚を棒切れで叩いた。この辺りです。盛り土があって、鉄道が通っていた。I井さんの方に向かって鉄道がありました。もし間違っていても、そんなに離れてはいない。だいたいこの辺りですよ。その位置は最初に私が想定した場所より大分東だった。
翌日、その場所を確認に行った時似たような溝蓋では覚えにくいので、特徴のあるブロックの車止めのようなものを勝手に目印にしてしまった。案内してくれたその方に悪気はない。叩いた溝蓋の位置は違っていたのかもしれないが、この辺りとおっしゃったとき棒の先にばかりに気を取られていて、見回した目線の先はもっと西の方を見ていたのに私が気づかなかったのかもしれない。
航空写真でその辺りを見ると佐藤穀商とI井さんの間に明らかに滑らかなカーブを描いて鉄道跡を思わせる痕跡がある。使っていた住宅地図が古くて、消防署の角にはI井商店が描いてあって、佐藤穀商との間は地続きの空き地になっている。I井商店は現在はなく、2区画に渡って大きなお宅が建っている。出会う人毎に鉄道跡は佐藤穀商さんの所を通っていたのですか、と訊ねるのだが、誰もそうだとは言わない。佐藤穀商も屋号だけが残っていて、中国テレフォンという別の看板が掛かっている。
と云う訳で、だんだん実際よりも東に横断位置を想定して図を描くものだから、証言する人も思い出しにくくなって、まあ大体この辺りかなと曖昧な返事になってしまった。
旭通りを横断する軽便鉄道跡 ↓
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終いには、折角、N久さんがうちのここを通っていましたと仰っているのに、元々線路の上に家はないのだから、他人から聞いてそう思っておられるのかなと私自身の思い込みを訂正し切れずにいたりもした。
今日全てが解決した。W辺さん宅は広くて玄関まで距離があるので、気後れしてなかなか訊ねて行けなかった。今日、本当にW辺さん宅なのか表札を確かめに玄関先まで行った。そのまま黙って出るわけにもいかないので、インターフォーンを押して挨拶だけして帰ろうと思った。
遅い昼食をされていたようだったが、迷惑そうにもされず、外まで出て、あのブロック塀の所(
2008/8/27「両備軽便鉄道-奈良津町一丁目」
の3番目の写真 ←
クリックでジャンプします)が鉄道用地でしたよ。元々この辺はK田さんの畑だった所で、ここを買って來た時は鉄道用地の譲渡手続きができていなくて、復建調査設計で一括手続きをしてもらったんです。登記書もありますと教えていただいた。やっぱり鉄道跡の真上に住んでいる人の証言は確かだ。N久さん疑ってごめんなさい。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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