昭和5年の地図で見ると、深津村、手城村、木之庄村は深安郡になっている。草戸村は沼隈郡。昭和8年1月1日に 川口・木之庄・手城・奈良津・深津・本庄・吉津各村が福山市に編入された。敗戦直後の様子を記した福山空襲被災地域図(広島県)では、奈良津の大峠(おおたお)を越えた所から深安郡の郡境が引いてある。
米軍が空爆予告をしたのは福山市街地だが、周辺も点々と被災していた。特に、福山市域と隣接郡境はところどころ目印として爆撃された。紙の地図にマーカーで印を入れるように、人の住んでいる上に夜間に目視できるよう、焼夷弾で炎のマーキングをしたのだ。引野村の長浜、梶島山、春日の宇山、それに千田村藪路の大峠。いずれも郡境ギリギリの福山市域外の場所だ。引野村が2か所広範囲に爆撃されているのは、海から皿山の航空基地を襲撃して北上する時、国鉄山陽本線の空爆と旋回して市内に入る目印を兼ねていたからと考えられる。
ともあれ、昭和10年に廃線になった両備鉄道跡は線路を撤去されても、すぐに人馬が通行できる道路ではない。
福山市域から外れていることと、主要な道路ではなかったことから空爆を受けなかった。古い形がそのまま残っている可能性はある。航空写真で見れば旧來の鉄道跡の痕跡が分かるのではないか。
大峠のトンネルを抜けて横尾駅に向かっていたことは間違いない。その途中で一箇所鉄橋の橋脚が残っている場所がある。横尾駅とその橋脚の向きを直線で結んだ先に、今はない軽便鉄道の軌道を再現できるのではないか。
橋脚傍のKさんの話では、この鉄橋と、トンネルの出口を真っ直ぐに結んで赱っていたかもしれないとのことだった。
地図で見ると、トンネルの出口は、清水丘第1緑地、緑陽第2緑地の切れる辺りだったと思われる。空襲を受けていない地域なので、鉄道跡地が払い下げられた後でも、何らかの痕跡が残っているはずなのだ。ところが、横尾駅からトンネル出口にまっすぐ線を引くと、途中には、にごり池もあるし、鉄道跡らしい地権者の境ラインが見当たらない。山陽自動車道の高架を過ぎた辺りからやっとそれらしいラインになる。
千田町三軒家のIさん宅、Мさん宅、喫茶店フェニックス、N山さん宅が橋脚と国道313のライン上に並ぶ。橋脚から更に先(横尾駅側)はKさん、千田川を渡って、居酒屋、向かいのS電気商会(この角が線路に沿って斜めに欠けている)。更に、道路を挟んで、K酒店、K島さん、K村さん、から現在の福塩線の横尾駅引込み線に繋がっていたのではないかと予想される。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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