鞆軽便鉄道(29)
前回の半坂駅の写真は宮迫会館(広島県福山市水呑町=みのみちょう)に掲げてあった元写真を許可を得て撮影させてい貰いました。初めはオートで撮ったらフラッシュがガラス面に反射して真ん中が白く抜けました。2枚目はミュージアムモードでフラッシュなしにしたらシャッター速度が遅くて手振れを起こしていたようです。その場ではモニター画面が小さくて問題はないと思っていたのですが、家に帰って確認するとぶれていて使い物にならない。そこで已む無くピントは合っているが、反射で白く抜けてる部分にピンボケを適当に上下に分けて色調調整して填め込みました。輪郭に沿って範囲を細かく分ければもっと自然な感じになるのでしょうが、ガラス面の反射と手振れという初歩的などじにちょっとへこんで執着心に欠けておりました。
この作業中に現在の風景に昔の鉄道写真を合成してみたら面白いかなと思って昔の写真と同じ背景角度を撮影して來ました。問題は勝手に合成して著作権に触れないかという心配があったので、とりあえず問題が起こらないように元写真の持ち主に直接会って了承を得ておくことにしました。
著作権については基本的に
「昭和31年(1956年)12月31日迄に製作された写真は、
著作権が失効して います。
→(既に著作権が失効している)写真を複製して使用する場合、著作者の許諾を必要としません。」(「
写真の著作権について」より)
鞆軽便鉄道は昭和29年(1954年)2月28日に営業終了。1か月後の3月28日にお別れ列車の記念運行をして廃線になっています。列車の走行写真はすべて著作権はきれていることになります。デジタル化することで新たに著作権が復活するという説もありますが、本人でなければ、ただ新しいカメラで撮っただけでは創作性がないので多くの判例では主張が通らないようです。ただ、この(さとう誠雅園さんの)写真は福山が空襲で古い地図や写真がことごとく失われた中で疎開先に奇跡的に残された宝物のような資料です。感動すると共に感謝の気持ちで直接お目にかからないわけにはいきません。(オリジナル制作後50年未満であれば保護範囲、50年経過して初めて著作権切れになる一般的な著作物でも)法的には問題なくても、人の世の人情として使うときはちょっと挨拶くらいは必要な気がします。たくさん収集されたコレクションを片っ端から再使用することには問題はあるでしょうから、可能な限り自分で同じ場面は撮影したいと思っております。已む無く使用する場合も必要最小限に止めますので、そのままのニュアンスまでは表現できません。是非元の写真の方も参考にご覧になってください。
ということで出そうかどうか躊躇していた半坂駅の部分写真です。
鞆軽便鉄道-半坂駅

元の写真のさとう誠雅園さんの福山市水呑町-1お別れ列車-19半坂駅は
さとう誠雅園営業案内・史跡めぐり→福山市水呑町トップページ→福山市水呑町-1→鞆鉄道(ラッキョ汽車)→
お別れ列車19半坂駅でご覧になれます。
さとう誠雅園さんのホームページはこちら
乗降口が左側にしかないのでプラットホームは上り下り位置をずらして設けてあります。(ただし、一時期同じ軌道の左右にずらしてホームを作ってあったもののここですれ違いは出来ません。)半坂駅は芦田川の洪水(大正8年)で鉄橋も流され、河川改修が行われてから、新たに付け替えられた鉄橋に伴って新設されました。元はもっと下流の洗谷橋付近に鉄橋があったそうです。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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