鞆軽便鉄道(36)
鞆軽便鉄道(広島県福山市大正2年12月21日〜昭和28年3月1日)の妙見駅の正確な場所は偶然見つかった。古い写真に洗谷橋が写っていて、その付近に芦田川を渡る鉄橋(当時)があった。大正6年の洪水で洗谷の鉄橋は崩れた。その後、河川の改修が行われ650mほど上流に新しい草戸の鉄橋が架かったのは昭和6年。その間10年以上も不通だった訳はないので、大正2年の開業から昭和6年まで存在した幻の旧鞆軽便鉄道の痕跡を探した。
草戸駅から光小学校の辺りまでは線路跡が確認できた。更に南に洗谷橋付近まで延びていた痕跡はないか。地図を見ると昔(明治時代)の芦田川の痕跡が2本のほぼ平行な道路の間の宅地に感じられる。明治の地図に淀川(鷹取川)と思われる位置に芦田川と書かれているのがある。その昔の川に接する所から今の芦田川へカーブして交差する道路がある。
古い(昭和32〜4年)のと最新のと住宅地図を見比べて昔からある家をマークして片っ端から聞いて回った。昭和6年以前のことは誰も分からなかった。恐らく戦前は田圃で家は一軒もなかったはずだ。K久さんも「鉄橋なんかはこの辺にはない」とインタホーン越しににべもない。
とりあえず向かい岸に行って聞いていると鉄橋の橋脚跡が残っていることが分かった。その近所で小学生の下校を見守っている方に案内してもらって妙見駅の位置(さとう誠雅園さんの地図で近くにあることは分かっていた)も確認できた。

「この道路が鉄道跡で、突き当りの家が駅だった場所です」K村さんは当時の記憶を楽しそうに話してくれた。

「道路がずれているのは引込み線、待避線の跡です。ここで汽車がすれ違い出來ました。半坂駅はすれ違いは出來ません」

「この家から4軒目までが駅の跡です。洗谷川の白浜橋の脇の三角地に枕木などの保全資材が置いてありました。トロッコを出して線路に耳を当てて汽車が來ない時間に遊んでいました。半坂からずっとここまで坂道です。ここら辺は今と同じ高さの平地です。ここまでトロッコで下って來れたのです。」縄文時代の洗い谷遺跡の跡まで案内してもらって、話もいろいろ伺った。段々日も傾いて撮影には不向きになったので又翌日出直すことにした。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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