二月三十日の出来事を収集しています。「二月三十日」
軽便鉄道(廃線跡)を捜し歩いています。「両備軽便鉄道」「鞆軽便鉄道」
中古地図と古写真と石畳を頼りに城下町を隈なく歩きます。「鞆の石畳」
見えない線路、水路、道路、建物を訪ねて現代の風景の中に蘇らせる実物大パズルです。
(para1002n)・・・★★★彡・・・
写真の右の植え込みの下に鞆軽便鉄道の橋脚跡が一部分残っている。きれいに整形した石を水平に積み上げしっかり目地で埋めて固定してある。丁寧な仕事で大正時代の石造りの建造物によく見られる。
この四つ角は昔からの道路で、古い東芦田川の西岸土手付近に相当する。昭和12年の「福山全図」では廃川地の中に土手が築いてあって、鉄道はその上を通っていた。側道を含めた跡地を鉄道土手の基底部と考えると相当高い所を通っていたと思われる。鉄橋があったのはまだ鷹取川が堰き止められる前の大正時代のことだ。昭和3年の地図では、ここから野上土手までの流域の中で実際の流れは真ん中から東半分になる。鉄橋は地図上で見ると野上土手からここまで描いてあるが、距離にして135mになる。臨時に地図上の道路の中央から中央を測って縮尺計算するとそうなる。悩ましいのは「沼隈郡誌」の記述と一致しない点だ。「鞆軽鉄の橋 五十八間」とある。一間1.82m換算で105.56mになる。地図上で70m程が合わない。〆(..)para1002n(ぱら仙人)
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