鞆軽便鉄道(65)
「午前4時30分、上流より、1個の葦屋根流來たり、野上堤防に架かる鞆軽便鉄道木橋の東端に衢(つ)き当たるや、激流之に遮られて奔跳し、高く怒涛を起こして、右岸を噛み、さなきだに滲渦嵩して露弱となり居る堤防は、之が為、一支えも無く突破され、凄然たる音響と共に白馬の勇躍するが如く崩落し、幅員22〜3間(40m)を有せし大堤防も見る見る延長100間(180m)を押し潰し、怖るべき大洪水は蕩々汨々として殆ど市内全部に瀰漫し、凄愴の光景言語に絶し、筆紙の亦よく形容する所にあらざるに至れり」(芦田川改修史)
芦田川決壊の時の様子です。大正8年7月5日未明、鞆鉄道鉄橋の足元から幅40mの野上堤防が決壊したのです。
鷹取川鉄橋の跡

幅40mの野上堤防は現在の競馬場通りから下井手川までの距離になります。これが基底部に相当します。鉄橋はこの土手(野上堤防)にほぼ直角に取り付いていたようですから、K村マンションからI上鉄工所の角に向けての線上で、西詰めは喫茶店の駐車場辺りになります。全長150mです。
鉄橋の西詰め

鷹取川が堰き止められ、廃川になって、鉄橋は不要になったので、盛り土の上に鉄道が敷かれたと思われます。古い写真で見ると野上駅を出てから下井手川に向かう辺りは鉄道用地がとても広く取ってあります。鉄橋に替わって鉄道土手が築かれたが、野上駅付近は平地です。土手を崩して廃川地を埋め立てたとしても土砂が足りません。多少のスロープはあったのでしょうが、しばらくは廃川地の地面の方が低く、相対的に築堤に近いような高い盛り土だったようです。〆(..)para1002n(ぱら仙人)


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