鞆鉄道(68) キング食品(室之木食品)
キング食品(室之木食品=広島県福山市田尻町)の南に谷川の水路があって、長年、谷から崩れた土砂が大水のたびに海岸に押し出されてきます。ふっくらと海側に迫り出しているのは土木工事以前の自然な地形です。人家もなかったし、高波を被りやすい所ですから農地としてもあまりいい条件ではありません。すぐ後ろは山で、たいした面積の土地でもありません。(田尻灘の護岸埋め立て工事に山裾が削られ、現在はかなり広い平地になっています)
此処に真っ直ぐに鉄道を通して農地が分断され、県道と鉄道の間に余剰地として取り残されても、あまり問題にはならなかったのかもしれません。
もっと集落が近くていろいろな考えの人が大勢いれば、土地が分断されることを阻止するために予定コースの上に何十人もの地権者に分割した一坪地主の抵抗拠点を設けて、激しく立ち向かうと思います。1人か2人の山裾の土地が分断されても、たいした住民運動には発展しなかったようです。
谷川の出口が最も広く余剰地として取り残される場所で、キング食品(室之木食品)の前は次第に先細りになってきます。**63-3は地種水田(昭和3年当時)ですが、鉄道用地の2/3(南)〜1/2(北)ほどの幅しかありません。隣接の鉄道用地は**63-2です。その一番端の民有地との隣接地が**63-4として**63-1にくっつくように返還されています。戻ってきたのは等面積ではありませんが、県道を拡張する名目で返還時に一部県道に供出する形で折り合いがついたのかもしれません。
電線の影辺りから歩道の中央付近までが水田

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山畑に上がる路地、現在は行き止まり

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もっと後ろの山畑の方が耕作地としては古くから開かれていて麓は草地のところが多かったようです。戦後の食糧難の時代には水田や畠にして食糧増産に励んだので、鞆鉄道が廃止される直前には細長い僅かの余剰地も耕作して元の農地の姿になっていたことでしょう。
キング食品の北とS木さん宅の間の路地は入口だけで行き止まりですが、昔は山畑に上がる農道が上まで繋がっていました。
坂道の先には防潮扉があって海に降りられる

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坂道の突き当りには防潮堤に切込みがあって、浜に降りられるスロープの舟寄せがあります。此処は長い突堤が沖まで出ていて船溜まり場(お名残列車の金崎駅の背景に写っている突堤)になっていました。潮の流れが満潮時には南に干潮時には北に陸地に沿って流れます。それを遮って船を繋留するための突堤です。四国側から台風の波が寄せるときはこの長い突堤が波の吹き溜まりになって海岸に寄せる高波を増長させます。離れ埠頭がなければ、高波は防げないし、ここでは船を安全に繋留しておくことが出來ないので、田尻の漁船は、台風のときは鞆や水呑の芦田川入江の方に船を避難していました。
結局こちらの船たまり場は、2本あった長突堤の北側が防潮堤工事のやり直しの際に撤去されて、塩田跡の南西の漁港が整備されました。

para1002n(ぱら仙人)


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