○「「丸山眞男」をひっぱたきたい31歳フリーター。希望は、戦争。」応答への反論
以前にも紹介した赤木氏の論文が、応答への反論という形で、「論座」6月号で再び反響を呼んでいる。
「自分の横っ面をひっぱたくことだ」(佐高信)「ギャンブルに負けるのはあなただ」(森達也)「「まずは自力で立ち上がる意志を」(斎藤貴男)などの手厳しい応答に対して、赤木氏は「けっきょく、「自己責任」ですか」と応じている。
私も赤木氏と同年代の人間として、彼の考えが理解できないわけではない。
○追い詰められる「貧困労働層」
同世代が所帯を持ったり、安定した仕事に就いたりと、自分の周りが「人間らしい生活」を営んでいるように見える中、自分だけが30代になってもフリーター・・・この先、まともに生活できる見通しは立っていない。両親の元で経済的にぶら下がっているような状態だ。赤木氏自身、この絶望的状況の中で、「私にとっては死すらタブーではない」と言うところまで追い詰められている。そうなると、残された道は回りも巻き込む戦争という名のカタストロフィーしかない。
「戦争」という結論を出す前に、「社会を変えれば」と考える人もいるかもしれない。しかし、赤木氏はこれまでの運動を「正規社員優先の闘争」と見ており、安定労働層と貧困労働層の経済格差を広げる「労働者の分断を放置、利用し続ける左派」と批判している。さらに、「正社員の待遇を非正規社員の水準に合わせる方向での検討も必要」という財界の発言に共感すらしている。
赤木氏の目には貧困労働層<安定労働層<富裕層という構図があり、つまり安定労働層の「安定」は貧困労働層によって支えられており、それを左派が放置していると映るのである。そうしたフリーターを犠牲にして成り立っている構図を破壊するのは戦争しかないということになる。
そのような議論は、確かにそうした状況に身を置いたとき、陥ってしまってもおかしくないのである。
しかし、赤木氏の議論は、戦争によって犠牲になる側(たとえば、今で言えばイラク国民)に対する思慮が一切なく、何のために戦争が起こっているのか、という戦争に対する構造的な理解をまったく欠いているという点で、浅薄なものだといわざるを得ない。
○「貧困労働層」が手を取り合うことは可能か
結局、赤木氏は「私は社会と戦いたい。もっと考えたい」と言い、そうした時間・ゆとりを保障する「土台」を整備することが、応答した大人の責任だ、と結んでいる。
「私は戦いたい。もっと考えたい」という考えは最もだ。ただし、「そのゆとりを保障してくれ」と応答した人に言ったところで、それは他力本願というものだろう。この点、周りに連帯して戦うことのできる人、共に、信頼してたたかうことのできる人のいない(と思われる)赤木氏の弱みのような気がする。しかし本当に「貧困労働層」が手を取り合って世の中を変えることは可能だろうか。
他力本願でなく、自分たちで手を取り合って世の中を変えたい・・・そういう人たちによる行動が、現に行われてきている。
○青年の、青年による、働くもののための大集会
5月20日、大変な労働条件で働く青年たちが手を取り合った「全国青年大集会2007」が3300人の参加で、明治公園で行われた。多くのマスコミも取材に訪れ、テレビでも一部が放映された。大手新聞でもわずかではあるが報じられた。
集会では、医療現場、教育現場、派遣・請負、若者の貧困打開、アルバイト労働相談など、様々なテーマで分科会が行われ、青年たちが悩みを語り合った。また、解雇を撤回させ、残業代を払わせた「すき屋」のアルバイト青年の報告や、派遣・請負労働から正規社員への道を切り開いた「光洋シーリング・テクノ」の青年の報告など、現在の一見どうにもならない状況を変えてきた青年たちの運動の交流が行われた。集会後は渋谷までアピールウォーク。「人間らしく働きたい!」と声を上げた。
○共に声を上げよう!
現状を変える動きが僅かではあるが生まれてきているし、大きくなってきている。一人きりにならずに、働くもの同士手を取り合うことは決定的に重要なことだろう。一人で思索して、「戦争待望論」へ行き着いてしまうのはあまりにも残念なことだ。まだまだ多くの青年が連帯することも知らずに、閉じこもっていることだろう。この集会は、「共に声を上げよう!」と社会にアピールした。他力本願では、状況は決して改善されない。それどころか悪くなるばかりなのだから・・・。
青年たちは「人間らしく働きたい!」と声を上げた
舞台には「反・貧困」の文字も躍る
集会後は渋谷まで元気よくアピールウォークしました