○日本平和大会in沖縄
11月の22〜25日にかけて、沖縄那覇市で行われた日本平和大会に参加してきた。
平和大会とは、米国と共に「戦争する国づくり」を進める日本政府の動きを監視・批判し、どうすれば軍事基地のない、平和な日本と世界を築くことができるのかを、全国の人々が集まり、共に考え、行動する大会である。
平和大会は今年は沖縄で行われ、私も初めての沖縄行きということで期待に胸を膨らませて参加してきた。
○沖縄の意味
日本の平和の問題を考えるとき、沖縄という地は特別な重みを持っている。
現在もアジア最大級の米軍基地が置かれる基地の島、かつて地上戦の舞台となり、「本土決戦」の時間稼ぎ、「国体護持」のための捨石となった戦場の島・・・大きな歴史の流れに翻弄されてきた島の悲しさを感じざるを得ないが、一方で沖縄民謡や独特な食文化など、文化色豊かな島の側面も感じ取れる旅となった。
○糸数アブチラガマ
初日のフィールドワークで、最初に行ったのは「糸数アブチラガマ」という洞窟だった。沖縄戦の際に住民の避難場所になると同時に、日本軍の作戦陣地や野戦病院としても利用された場所である。
全長270メートルの鍾乳洞の中は、かつて病棟やベッドのあった場所がたくさんあり、当時は暗い洞窟の中でどれほどのうめき声や、米軍の砲火の元で食料も何もない死の淵をさまよった人たちがいたことだろうと、身も震える思いだった。一人では絶対に入りたくない所である。
洞窟(ガマ)の中には、日本軍が「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」※を住民にまで強制し、手榴弾を与えて「集団自決」を強制した場所もあった。つかまると「鬼畜米英」がなにをするか分からない・・・と本気で信じ、住民の恐怖心を極限にまで煽ったという。自らが中国戦線で行った非道の限りを相手にまで当てはめるのは当然の心理とはいえ、こうした考えによってどれほどの悲劇が起こったのか。そして住民を巻き込んだ持久戦がどれほどの悲劇をもたらすのかを、考えさせられる場所であった。
次回へ続きます。
※・・・1941年1月に当時の陸軍大臣、東条英機が発表した、軍人として行動すべき規範を示した文書。「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」と強調され、捕虜となることを否定している。
ガマへの入り口。ヘルメットをかぶらないと頭上が低く、危険だ
ガマの中は真っ暗で、手にライトをもってたどたどしく進む
出口にお墓が・・・千羽鶴が絶えないという