○進行する医療危機
以前、このブログで
「崩壊した国民皆保険について」という記事を書いたことがある。高すぎる保険料を払うことができなく、役所からの取立てにもあい、医者そのものにかかれない人たちが急増している。そんな現状を、国民皆保険の崩壊と表現した。
あれから1年以上たつが、制度面での国民皆保険はますます崩壊の度合いを強めている。
救急時に医者にかかれず、救急車でたらいまわしにされて亡くなってしまうケースや、癌ですぐに手術しなければならないにもかかわらず、予約待ちで何か月も待たされるケース、救急の出産に対応できないケースなど、誰にでも、いつでも被らざるを得ない程、問題は深刻になってきている。
つまり、国保料の値上がりで保険そのものに入り続けることが問題になるだけでなく、仮に保険証を持っていても、かかる先の医療機関そのものが経営の危機に瀕しているため、まともに医者にかかれない。安心して出産できない。そんなケースが増えているのだ。
○国の医療費抑制政策
1.負担の家計・自治体への転嫁
日本に医師が少なくなったのも、多くの医療機関の経営が危機に瀕しているのも、健康保険料が高すぎるのも、医者にかかった際に払う自己負担金額が拡大しているのも、すべて、国の医療費抑制政策が「功を奏している」からに他ならない。
岩波書店の雑誌「世界」(2月号)に医療費抑制政策の詳しい論文が載っている。
東北大学の日野秀逸氏によると、国民医療費負担割合は、政府が医療費抑制政策を打ち出した1980年以来、国と事業主負担が下がる一方で、自治体と家計がその分の負担を被っている実態が明らかになっている。
1980年の時点で、国が国民医療費のうち、30%の負担をしていたが、2003年には25%にまで下がっている。さらに、事業主は同24%→約21%。自治体は約5%→約8%。家計は40%→45%といった具合である(厚労省「国民医療費調査」より)。
これは、保険料の家計への負担増、医療負担割合の増加による窓口負担の増加、企業から労働者への保険料の割合の増加、国から地方への補助金削減などなど、さまざまな要因が重なった結果である。
○2.医師数抑制
更に政府は、医師の新規参入数を抑制することによって、医療費の総額をも減らそうと試みてきた。
医師そのものは、1970年の10万人あたり110人から、2004年の200人に増えているものの、これは例えば経済協力開発機構(OECD)の水準からすると極めて少ない数字である。
OECD平均の数字で言えば、1970年に同120人→2004年には310人であるから、先進国の中で、如何に医師の増加数を抑制してきたかが分かる。先進国水準にするには、現在の1.5倍以上の医師が必要な状況である。
この間、医療技術が進歩しており、医療の専門化が進んでいる。単なる外科・内科の分類から、内科関係だけでも、消化器、呼吸器、肝臓、循環器、などなど複雑になっているほか、それまでは治せない病気も治せるようになったことにより、より治療の難しい病気にも対応しなければならなくなる。そう考えると、複雑化・専門家に対応できるレベルの医師数とは到底言えない。結果として、医師が不足するという事態に陥ってしまうのである。
○3.診療報酬の引き下げ
また、政府は医療機関からの診療代の請求である、診療報酬を連続的に引き下げることで、医療機関の経営そのものを困難に陥れてきた。
自治体の抱える病院のほとんどが赤字で、民間の病院も4分の1以上が赤字という。多くの自治体は現在財政的に困難で、病院に財政投資できるだけの余裕はない。病院の統廃合や倒産が現実の問題として起きているという報告もある(同「社会的共通資本としての医療をどう守るか」)。
医療費を抑制し、医療のハード面、ソフト面両方を弱体化させてきた結果、現在のような危機的な状況が生まれてしまっている。
○4.現代版「姥捨て山」制度〜「後期高齢者医療制度」
こうした医療危機にあって、更に政府は、4月から「後期高齢者医療制度」という高齢者の「姥捨て山制度」を始めようとしている。
「後期高齢者」とは、75歳以上の人全てを指し、この制度が始まると、75歳以上の人はそれまでの国保・健保を強制的に脱退させられ、別建ての「後期高齢者医療保険」に加入させる。
そして、例えば扶養としてそれまで保険料徴収の対象となっていなかった人からも、年金から天引きする形で保険料を徴収する。
都道府県によって異なるものの、年平均10万円近い保険料が徴収されることになる。さすがに世論の批判が強いため、政府は、社会保険の扶養者に限っては、半年だけ徴収を凍結し、残り半年の保険料を9割削減する方針を示したが、たったのこれだけである。これは単なる衆院選目当ての小手先の策謀に過ぎないだろう。
また、後期高齢者には別建ての診療報酬体系を導入することにより、例えば医療機関が一月に行える保険請求の上限を設けて、結果として医療を制限する方法も政府は考えている。この制度が「姥捨て山制度」と表現される所以である。
更に、後期高齢者の医療費を現役世代にも「支援金」という形で保険料を負担させることになる。このことにより、「高齢者の保険料を負担してやっている」と、政府が矛先をそらせ、世代間の分断を図ろうとしている意図も透けて見える。この保険料は、高齢社会が進むにつれ、拡大するのは目に見えているため、世代間の断絶はより増すことになるだろう。
○米国輸入政策・米国産アヒルから見えるもの
医療費を抑制し続ける結果、見えてくるものは何であろうか。
マイケル・ムーアは映画「sicko」で、米国の、民間に乗っ取られた医療保険制度が危機的な状況にあることを訴えている。
例えば怪我をして指を切ってしまった傷病者が、医療機関にかかる際に「こちらの指をつなげるには○百万円かかります。こちらは○百万円、どうしますか?」と、緊急の怪我治療の最中に保険会社に平然と回答される様を伝えていた。そのように迫られた人は、お金がないので結果として指一本しかつなげることができなくなってしまっていた。
また、医者にもかかれなくなった病気を患った高齢者が、「姥捨て山」のごとく、病院前に捨てられていってしまう現実も伝えていた。現在の日本の現実から見ても、これは明らかに異常であろう。
最近、毎日のように「入院保険」の米国産のアヒル(?)がテレビで目に付く。
現在崩壊しつつある日本の保険制度の中で、あの米国産アヒルが幅を利かせてくるようなことになれば、「金持ちしか安心して医者にかかれない」現実が益々増長されることになるだろう。高い健康保険料を払わされた挙句、医療保険にまで高い掛け金を払わされてはたまらない。
政府官僚は、自民政治家と結託し、軍事利権を貪ったり天下り先を確保したりと、自らの保身には余念がないが、彼らはそもそも税金で雇われた「全体の奉仕者」である。国民いじめの制度改悪を強行し、一方で税金を還流させて自らの懐に入れることばかりに夢中になるのではなく、少しは目先を変えることができないのか。
○本当の安全保障とは
日本の医療費の対GDP比は、OECD平均値(8.9%)からしてほぼ1%低い。日本の経済規模で言うと約5兆円の不足である。
これだけのお金は大変なものかもしれないが、この間減らし続けてきた大企業減税やら大金持ち減税を見直せば、集められないお金ではない。
政府は、多額な税金のかかるミサイル防衛計画や米軍再編など、軍事的な安全保障にばかり熱心だが、本当の安全保障とは、緊張ばかり高めた挙句、いつ飛んでくるのか分からないミサイルに対抗することではなく、国民一人一人が安心して暮らせる社会をつくることにあるのではないのか。そのことを考えると、足元の医療危機を見過ごすことはできないはずだ。
誰しも生き永らえれば高齢者になる。誰しも大病を患う可能性はある。その時、一部の金持ちしか安心して医者にかかれなかったり、老後を送れなかったりするのだとすれば、そのような社会は荒廃した社会というべきだろう。
まだ手遅れではないはずである。まずは4月から始まる「姥捨て山制度」の実態を知ってもらい、医療危機の進行がとめどないものになっていることを多くの人に考えてもらう必要があるだろう。