○「自己責任」という錦の御旗
経済の停滞、政府の社会政策の「失敗」を反映して、経済的格差が拡大の一途を辿っている。
そして何百万という貧困層が新たに生まれて続けている。
政府がこの間、強力に推し進めてきた考え方は、「自己責任」という考え方である。
その考え方に基づいて、弱者切捨ての政策を矢継ぎ早に推し進めてきた。
一番分かりやすい例が、05年10月に法律となった「障害者自立支援法」であろうと思う。
○「自立」という名の負担増
この法律で政府は、それまで障害者が受けてきた「応能負担」(所得に応じた負担)から「応益負担」(サービスの量に応じた負担)への切り替えを行い、障害が重い人ほど必要なサービスが多いため、負担が重くなる仕組みを持ち込んだ。
これによって障害者を扶養者から「自立」させるのではなく、逆に扶養者への「依存」の度合いをより強めてしまう結果となった。
障害ですら「自己責任」と考え、「自立」という名の単なる負担増を持ち込む・・・こんな考えがまかり通っている。
そして、その考えは益々勢いを増している。
○歳をとるのも「自己責任」
現代版「姥捨て山」制度と揶揄される「後期高齢者医療制度」が4月から始まった。
この制度は、75歳以上のお年寄り(障害認定を受けた65歳以上の移行を希望するお年寄りも含む)を現在入っている保険から引き離し、「後期高齢者医療制度」という別立ての医療保険に移行させる制度だ。
この制度に移行すると、全員が保険料を負担することになる。
これまで社会保険の扶養で保険料が徴収されていなかった人も含め、経過措置があるとはいえ全員である。
そして、その保険料は年金から天引きされる。
納められない人には「資格証明書」という医療費窓口10割負担の証明書が発行される。
さらに保険料には、全体の医療費が増加すると同時に、個々の保険料も増加する仕組みが埋め込まれている。
保険料は現役世代も負担するので、高齢社会になるに従い、医療費が増加するのは当然だから、
政府は「自己責任」を医療にも埋め込むことによって、全国民的に保険料増加の仕組みをつくることに成功したのである。
ある厚生官僚は、「この制度は、医療費が際限なく上がっていく痛みを、後期高齢者が自ら自分の感覚で感じ取っていただくもの」という講演までしている。(日本共産党 小池晃参議院議員の国会質疑3月14日より)
もちろん、この制度の狙いは保険料だけではない。別立ての診療報酬体系をつくることで、入院患者の追い出し、必要な診療の抑制、健康診断からの除外などを政府は狙っている。
歳をとったことですら「自己責任」ということにして、高齢者を徹底して痛めつける意図が透けて見える。
政府がこれを4月になって突然「長寿医療制度」と言い出したのはこれらの事実を知るものにとってはただの皮肉にしか聞こえない。
○立場を変えると
しかし、医療費を抑制しても、彼らは税金を今後とも大企業・大資産家と米国と自分たちの私腹を肥やし、権益を守るために使うことはしっかり確保している。(大企業・大資産家減税、思いやり予算、ミサイル防衛構想、米軍再編、天下り、企業献金、政党助成金など、枚挙に暇無し)
冒頭で述べた「政府の社会政策の失敗」は、立場を変えると「成功」になる。こんな本末転倒が、今の日本ではまかり通っていることをこの事実は示している。
○都合の良い「自己責任」
しかし思うに、自己責任という考え方は、政府・権力者の都合の良いように使われているだけだと思われる。
例えば彼らは、私たちには「自己責任」といって税金・保険料を徴収し、その税金に群がって私腹を肥やす一方で、「国を愛する心」を押し付けてくる。
日の丸・君が代に忠実ならざる教師は罰し、沖縄戦では日本軍が行った「自決」強制を無かったことにしようとし、つまりは国家の罪を見えないものにしようとし、新憲法に「国を愛する」心を国民が持つように書き込もうとしている。
既に「愛国心」は学習指導要領に書き込まれ、「道徳心」という名の元に「愛国心」までもが5段階評価や偏差値の対象となっている実態が報道されている。(アサヒ・コム 4月10日付)
「自分のしたことは自分で責任を取れ」と言いつつ、自分たちの都合のよい人間をつくりだし、権力支配の基礎を固めていく・・・そんな構図が見て取れる。
私はいわゆる「自分のしたことは自分で責任を取れ」式の考え方は嫌いではない。
大人になっても、何でも甘えて周りに頼り、自立できない人は好きではないし、成人式やらなにやら親が付き添って、自立をさせようともしない周りの人たちも見ていて気分が悪くなることがある。
しかし、障害を持って生まれ負担が大変だったり、高齢になって高額な医療費がかかるようになったり、あるいは真っ当に働いているのに賃金が低かったり、という人たちに対して「自分で責任を取れ」とは毛頭思わない。
それは、政府がただに政策による自らの責任を果たしていないだけだと思うからである。
○政府の果たすべき責任
例えば政府は、一日8時間真っ当に働けば、将来に希望を持てる仕事を私たちに与えなければならない、と思う。
それは、現在の日本の経済力では決して困難なことではない。
企業が成長し、儲けを上げた場合、株主や役員配当を上げるのか、それとも労働者に還元するのか、どちらを優先するのか、という問題である。
つまりは問題は、富の再配分をどちらの立場で行うのか、というだけの話である。
障害を持って生まれた人や、医療が必要な人への保障も、政府がしなければならない、と思う。
政府はそもそも国民のためにあるのであって、一部の特権階級のためにあるのでない、と思うからである。
税金を国民のために、それこそ国民が自立できるように保障することは当然のことだからと思うからである。
○「自己責任」を見極める「眼」を
現在、政府の振りまいている「自己責任」は自分に都合のよいだけの「自己責任」である。
そもそも年金の管理もできない政府に、私たちに「自己責任」を振りかざす資格はない。
何の「自己責任」か、その本質を見極めなければならない。そういう時期に、私たちは今来ている。