○始まった「後期高齢者医療制度」
この4月、弱者切捨て、お年寄り切捨ての「後期高齢者医療制度」が始まった。
以前よりのカモブログ
(「医療危機について」 など)で述べているように、この制度は政府の医療費抑制政策の一つの大きな到達点であり、政府が憲法で課せられた「生存権」の義務を放棄した結果である。
渦中のお年寄りや、その家族から不安と怒りの声が渦巻いている。
この制度が始まり、批判が高まるなり「国民への詳しい説明が必要」と騒ぎ立てる自民・公明の議員たちは、図らずもこの制度を法制化した彼ら自身が、国民への何の説明もなく、同意もなくして06年の国会で反民主的に採決を強行したことを物語っている。
しかし、詳しく説明すれば納得する類の話なのだろうか。
医療の制限、保険料の年金天引き、今後上がり続ける保険料、滞納世帯は資格証明証発行・・・「詳しい説明が足りない」lことが問題なのではなく、説明すればするほど制度の危険な中身が明らかになることが問題なのである。
その認識の恐ろしいほどのズレが、今日の事態を巻き起こしているのだと考えられる。
○「生存権」保障の放棄
既に「医療費上がり大変」と、山形では58歳の息子が87歳の母と無理心中をするという痛ましい事件も発生している。(アサヒ・コム4月21日付)
自殺した58歳の男性は、「後期高齢者医療制度で保険料が年金から天引きされ、生活が大変だ」と近所に語っていたという。
無理心中とは気も重くなるが、病気の家族を抱えて生活に苦しんでいる世帯にこの制度が追い討ちをかけるという、冷酷な図式が浮かんでくる。
これこそ政府が国民に保障しなければならない「生存権」の放棄だろう。
しかし、政府は自ら課せられたはずの義務は放棄し、一方では権力の逸脱をほしいままにしている。
○「空自イラク派遣は憲法9条に違反」判決
周辺でゲリラ攻撃や自爆テロが頻発しても、航空自衛隊の輸送機が離着陸するバクダッド空港は「非戦闘地域」という政府の詭弁が、極めて常識的な裁判所の判決によって覆された。
すなわち「空自イラク派遣は憲法9条に違反」判決の名古屋高裁判断である。(4月17日)
判決では、「イラク国内での戦闘は、実質的には03年3月当初のイラク攻撃の延長で、多国籍軍対武装勢力の国際的な戦闘だ」と指摘した。
特にバグダッドについて「まさに国際的な武力紛争の一環として行われている人を殺傷し物を破壊する行為が現に行われている地域」として、イラク復興支援特別措置法の「戦闘地域」に該当すると認定した。
そのうえで、「現代戦において輸送等の補給活動も戦闘行為の重要な要素だ」と述べ、空自の活動のうち「少なくとも多国籍軍の武装兵員を戦闘地域であるバグダッドに空輸するものは、他国による武力行使と一体化した行動で、自らも武力の行使を行ったとの評価を受けざるを得ない」と判断。「武力行使を禁じたイラク特措法に違反し、憲法9条に違反する活動を含んでいる」とした。 (アサヒ・コム4月17日付)
以前日本の首相だったコイズミの「どこが非戦闘地域か、私に聞かれたってわかるわけない」という反理知的で超無責任発言は論外にしても、
政府はこれまで憲法の制約によって、戦闘地域には自衛隊は派兵できないとしてきた。その前提に、少なくとも疑義が示されているのだ。
○「そんなの関係ねえ」か
各地で提起された同種の訴訟で違憲判断が示されたのは初めてのことである。
政府は、法律の執行者として、少なくともこの判決を真摯に受け止めるべきところだろう。
しかし、肝心の自衛隊、田母神航空幕僚長は判決に対し、「「そんなの関係ねえ」という状況」というとんでもない発言をしている。
高村外相も、「(判決文は)暇でもできたら読む」などとのたまっている。
何も言わずにいるのならともかく、
こうした発言を平気の平左でするところに、現在の権力の遵法精神(更に言えば憲法尊重擁護義務)の決定的な欠如を感じざるを得ない。
政府はこれまで、なし崩し的に自衛隊を海外へ派兵し、空輸も、補給も、陣地設営もすべて「戦闘行為ではなく、戦闘地域でもない」と言い張ってきた。
これは明らかに詭弁であり、行くところまで行く歯止めとして、今回の判決を聞くべきところだろう。
それを現役の自衛隊高級将校(という言い方はしないだろうが)が「そんなの関係ねえ」というのは極めて危険である。
彼らにとって都合の悪いことは暇でもあったら付き合う程度の「関係ねえ」ことというわけだろうか。
○今こそ国民の権利の行使を
政府権力が自らに課せられた義務を放棄し、その逸脱をほしいままにするとき、国民は極めて危険な状況にさらされることになる。
よくよく振り返ると、年金の不払いも、医療保険料の値上がりも、医療の制限も、果ては生活物資の値上がりまで、政府が国民生活無視の政策を一貫して続けてきたことの顛末のような気がする。
そして、一方では米国追随、利権確保は怠ることはない。
こうした現状を知るとき、例え憲法に記してあっても、
権力は決して自らを縛ることはない、ということが分かるだろう。
権力を縛り、私たちの福祉のために操るのは、日本国憲法に記されているように、私たち国民一人一人の権利である。
その権利の行使を私たちが怠るとき、彼ら権力者は際限なく逸脱する。その実例を目の当たりにしながら、私たちにできることは何なのか。
これ以上の逸脱を止めるために、考え、行動するときが来ている。