○またしても突然の「辞任」表明
福田首相の突然の辞意表明というニュースが流れている。
驚いている面々もいると思うが、そもそも参院選の大敗を受けて、福田氏の前の安部氏が突然「お腹が痛い」と言って放り出した権力の座である。
その後の基本的な国会の勢力図が変わらず、益々広がる格差と貧困の拡大、医療制度・年金制度の危機、防衛省の不祥事、相次ぐ生活関連物資の値上がりによる国民生活の危機などなど、枚挙に暇の無いこれらの問題に有効な対処ができない政府・福田政権に対する国民の不満(=支持率の低下)が拡大する中で、その最高責任者である福田氏が安部氏と同様、いい加減「嫌になって」権力の座を放り出すこと自体は不思議なことではない。
改めて思ったが、彼らの志は所詮、この程度である。
○自民・公明の狙うもの
今、福田氏初め自民党・公明党が狙っているのは、
「如何に自分たちに有効なタイミングで解散をするか」その一言に尽きる。
そのためには、直面する国民生活の問題など毛ほどのことでも無い。
彼らにとっての問題は、この危機的状況とも言える国民生活を如何にしてダマクラカシながら、「総裁選び」「新首相誕生」というマスコミの注目を最大限に利用するかにある。
そして、新首相(麻生?)の元で、適当なことを言ってゴマカシつつ、衆院選に突入し、政権の延命を図る。そして、
消費税増税、自衛隊の恒久派兵、憲法改悪などなど、財界(=支配層)が切望する国民生活破壊の政策を可能な限り実行する・・・それが今の自民党・公明党に描ける最大限の未来図だろう。
○これまでの「構造改革」路線は許されるのか
しかし、いくら適当な美辞麗句を述べられても、当然ながら国民生活が上向くわけではない。
大企業中心の「経済の拡大局面」も終わり、資源高による物価上昇の勢いもとまらない。
日本は今、賃金が下がり、物価が上がるという最悪の経済状態に突入している。
そんな中、一部の富裕層ばかりが儲け、多数の国民生活を犠牲にするこれまでの「構造改革」路線=「弱肉強食」経済政策路線を続けることが許されるのか。
広がる格差の拡大を縮小し、貧困を撲滅し、国民が安心して生活のできる経済を目指さなければならない。
そのためには、抜本的な政策の転換が不可欠である。この路線そのものを修正する気の無い自公には、その力も意気も皆無である。
そうなれば、国民にとって最良の選択は、もう一刻も早い「解散」しかない。
福田氏はその選択を取らず、「辞意表明」「総裁選」「新首相誕生」という茶番に国民を引きずり込む道を選んだ。
しかし、これ以上いくら顔を変えても、この「構造改革」路線の総括と反省が無い限り、国民生活は今後益々困難を抱えることになることは疑いようが無い。
そこに、自公政権の抱える最大の矛盾があるといっていい。
○「ひとごと」首相
この首相は「ひとごと」という言葉がキーワードになるほど、他人ごとのような記者会見=政権運営をしていたと言われていた。
今回の辞任の記者会見の最後の質問で、記者が「総理の会見が国民にはひとごとのように聞こえる。辞任会見もそのような印象を持った」と言ったことに対し、首相は「『ひとごとのように』とあなたはおっしゃったけどね、私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」と、珍しく気色ばんだという。
確かに、この首相は客観的に判断し、「解散」という危険な道に即座に足を踏み込まず、「辞任」という無難な道に出た。
しかし、この「無難」な道が果たして「無難」になるかどうか。
○「自分たちの」問題として
繰り返すが、国民生活は悪化の一途を辿っている。自公政権の無能さに対する失望は深い。
適当にダマクラカスという選択肢を取り続け、国民を侮り続ける道をとり続けることで、果たして自民党・公明党の「最大限の未来図」が描けるかどうか。
今回の辞意表明によって、解散が早まることは間違いない。
国民は、このことが自分たちの生活と未来にとって、如何なる意味があるのか? ということを「客観的に」判断して、「他人ごと」ではなく、「自分たちのもの」として、向き合わなければならない。
茶番はもう、たくさんである。