○貧困の度を増す日本の資本主義
日本は昨年来、大不況に見舞われ、米国発金融危機の打撃を最も受けた国として、今深刻な事態を迎えている。
「年越し派遣村」に象徴される、あふれる失業者と貧困。
私たちも大宮駅でアスベスト訴訟の駅頭宣伝をしていたら、「派遣切り」にあった人から「今日寝る場所もない」と相談があった。決してテレビの向こうにある出来事ではないことを痛感している。
彼らは、生産が好調なときはとことんこき使われ、不況で生産の「調整局面」を迎えた途端に切り捨てられた人たちだ。
切り捨てる大企業の経営者たちは、彼らが人間であることを忘れてしまったらしい。
企業のもうけのため込み(内部留保)はしっかり確保し、自らの報酬や株主への配当金を最優先する。そして不安定雇用にある労働者のことは「知ったことか」と犠牲にする、というのが巨大資本を操る人間の性向だということが今回の件でよく分かった。
剥き出しの資本主義が労働者を襲う・・・「蟹工船」の時代となんら変わっていない。
年間3万人を超える自殺者の数は一向に減る気配はない。
全国の自殺の名所ではパトロール体制が強化されているというが、連日起きている鉄道への飛び込みには何の効果もないだろう。もっと根本的な対策が必要だ。
また、「誰でもよかった」と言って無差別殺人に走る人間が相変わらず後を立たない。人々の不安感は、他人の命に対する関心を失わせている。
○民主政治の役割と自公政治
こんなとき、つまり
経済の荒波が私たちの生活を直撃し、企業が好き勝手に振舞うとき、これをコントロールし、格差をただし、貧困を撲滅するのが政治の役割のはずであり、それこそが民主政治というものだろう。
企業の行う違法・無法の労働者の使い捨てを監視し、格差を縮小させるための税体系を作り出し、貧困をなくすために生存権が保障された社会保障制度を充実させるべきだ。
しかし、今おこなわれている自公政権の政治というのは、上記剥き出しの資本主義の状態を作り出し、また、「水際作戦」などでただでさえ貧しい生活保護行政を、母子加算の廃止に見られるように更に貧しくし、今度は選挙前だといって定額給付金や「環境企業」へのエコポイントといったバラマキを行っている。
そうして選挙が終われば、格差を拡大させ、貧困層を更なる奈落の底へ突き落とす消費税率を上げるというのだからたまったものではない。
自公政権の連中に、これまでの所得税率の上限引き下げや高額の株主配当で、散々超え太ってきた富裕層に負担を求めるという発想は皆無だ。
政治本来の役割を捨て、企業や団体から金をもらい、自らが企業や団体の走狗としてしか動かない政党に、果たして何を託せるというのだろう。
○民主党へ集まる期待、だが・・・
東京都議選や首長選挙の結果を見ても分かるように、今、民主党に大きな期待が集まっている。
「政権交代のある政治」というフレーズは、確かに延々と続く自公の政治の閉塞状況を打開するのに希望を与えるものかもしれない。
しかし、民主党もまた、好き勝手に振舞う企業に対して対峙することができないという、この問題では同根というのは国民にとっての不幸だろう。
彼らは自民党の幹事長まで勤めた小沢前代表の企業献金問題を何も説明することもできず、今また自民党出身の新しい代表が、「個人献金」ならぬ「故人献金」などという、全くもって訳の分からぬカネの問題で、訳の分からぬ説明をしている。
政権交代がなされても、旧いカネまみれの政治体質が直るという見込みはどうやらなさそうだ。
結局、彼らにも到底貧困は目に見えず、格差を是正しようとか、貧困をなくそうという発想はない。
「国民の生活が第一」といいながら、国民生活を破壊する雇用破壊に対し、企業に何も言うことはできないのでは、空文句に終わるのは目に見えている。
「子ども手当て」やら「後期高齢者医療制度廃止」など、一見国民生活へ目を向けた政策も見受けられるが、「子ども手当て」の財源が、子どもなどの扶養者がいる税金の扶養控除や配偶者控除の廃止で、「後期高齢者医療制度」を廃止した後に、前回でも述べたように、国保を広域化して、保険料を格段に上げるのであれば、結局国民生活は貧するだけである。
○追い詰められての選択
国民は今、追い詰められながら、選択を求められている。
経済の荒波をコントロールし、社会保障を充実し、格差是正と貧困撲滅の、生活の安全保障を実現する政治の方向へ舵を切るのか。それとも、相も変わらず財界・大企業の掌の上で茶番を演じ続ける政治を選び続けるのか。
チャンスはそう何回もあるものではない。今度の選挙は、私たちが政治に本当の命を吹き込むことができるかどうかの、正念場だろう。

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