○「政治を変えろ」の思いが明確になった選挙
解散から40日という、長い長い衆院選が終わった。
これまで続いてきた、自公政権の生活破壊の政治に対して、大方の予想通り民主党の大勝に終わり、歴史的な審判を受けた自公は政権退場を余儀なくされている。
「政治を変えろ」この思いが、明確に現れた選挙となった。
結果は自民119(−181)、民主308(+193)、公明21(−10)、共産9(±0)、社民7(±0)、国民3(−1)、その他13となっている。(カッコは改選前議席)
自民、公明の減らした議席がそのまま民主党になだれ込んだ形で、結果は民主党の一人勝ち状態であった。
○有権者はどう動いたか
比例の得票数ではどうだろうか。
比例代表では自民1881万・得票率27%(−707万)、民主2984万・得票率42%(+881万)、公明805万・11%(−93万)、共産494万・7%(+3万)、社民300万・4%(−71万)と、民主と共産がそれぞれ得票を伸ばした。(カッコは前回との得票差)
大局的に見れば、自公vs民主の「政権選択」一色の選挙ムードではあったが、前回よりの固い支持層を「建設的野党」を掲げた共産は何とかつなぎとめ、逆に社民は連立予定を宣言したため存在意義を問われて票離れを招き、自民・公明は政権与党として明確な反感を買い、民主がその分の受け皿になった形だ。
○小選挙区での動き
小選挙区はどうか。
得票率で言えば、前回自民47.8%、民主36.4%だったものが、今回は民主が47.4%、自民が38・7%を取った。
前回と逆転したものの、
民主党は得票率を11%プラスしただけで議席を52議席から221議席と4倍化(!)しており(つまりは前回より3割増しもしていないのに議席は4倍化することになる)、改めてこの選挙制度の民意を数十倍にも捻じ曲げる恐ろしさを感じざるを得ない。
逆に言うと自民党は9%程度得票率を減らしただけで、議席は219から64と改選前の3割まで減っており、
今回の極端な議席の転換は、死票を大量に生み出すこの制度によるものである。
小選挙区における民主党の一議席あたりの得票数は15万で、自民党は29万という具合だ。
制度のせいといえばそれまでだが、死票をかくも生み出す不公平な制度はやはり腑に落ちない。
有権者は、気に入らない候補者が居て、その候補者を落とすのに一番近い対立候補者に入れ、結果として溜飲を下げるのにはいいかもしれないが、
冷静な頭で「一票の重みを」考えたときには、この制度は民意を正確に反映するというのはお粗末過ぎる。
はっきり言って、この「一票の重み」を捻じ曲げるような制度は、廃止すべきだろう。
単純に、得票率が獲得議席に結びつく制度(比例)が、民意の正確な反映という意味では相応しい。嫌いな政治家が居れば、そのような政党には最初から票を投じなければよいのだから。
○前回とは一変した「マニフェスト選挙」
さて、前回の総選挙は、小泉首相の「劇場型選挙」で、「小泉自民 対 抵抗勢力」という単純な図式で政界をくくり、マスコミもそれに乗せられる形で、到底冷静な頭で判断された選挙ではなかったが、今回は解散から40日、各党もマニフェストを大量に配布する形で政策を訴えた。
「政権選択選挙」「自公VS民主」というテーブルに乗せられた形ではあったが、「財源論」論争に象徴されるように、政策の根拠に踏み込んだ形での論争が行われ、呆れるような前回の選挙とは様相は一変した。
投票に当たって重視したのが「政権公約」が35%、「政権選択」が33%(NHK世論調査より)というのも、この傾向を表している。
どうしてこのように様変わりしたのだろうか。
これは、
前回の選挙で見られた「小泉自民対抵抗勢力」という図式が全くの虚構であり、実のところ「構造改革」の名の元に弱者切捨て、格差拡大の政治が行われ、一方で富裕層が益々富むという、「棄民政策」の実態が多くの有権者の目に明らかになってきたことによるものだろう。
よもや、虚構の論点で国民を踊らすことのできるほど、国民の直面している生活の現状は甘くないということだ。
今回の選挙で、各党とも得体の知れない「抵抗勢力」のことなど叫ぶものは居なくなり、国民生活に目を向けたスローガンを掲げざるを得なくなったのも、このような事情によるものだろう。
もちろん、これからも橋下大阪府知事や東国原宮崎県知事が「霞ヶ関解体」「官僚討伐」という善悪二元論型の「劇場型」の虚構の論争は行われる可能性は大いにあるが、この政治の内実に踏み込む、という情勢の変化は、前向きに捉えたほうがよいだろう。
この傾向をもっと進めていけば、自ずから政策本位の政治が行われることになるからだ。
○問題は解決するか
私は、前回の05年総選挙で自公が大勝した時に、「問題は何も解決することはない」
(カモブログ 「総選挙小総括」2005.09.14)と延べた。
「・・・(自公政権が信任されたところで、)
結局、これまでと同じ「効率化」による安い労働力(臨時・パート)を生み出す政策に違いはなく、増税路線で貧富の格差はますます拡大し、儲けにならない社会保障(年金・医療・介護)はますます削られ、軍事化と無駄遣い(鉄鋼橋梁談合が象徴的)はますます拡大し、従って財政危機はますます深まり、靖国参拝に無反省な小泉首相の「信任」によりアジア外交はますます混迷することだろう。
解決するのは、これまでどおり大企業・財界の懐具合とブッシュ・アメリカの世界支配のための地ならしだけである。
これまでの小泉首相のやり方から、問題は何も解決することはなく、ますます深まるということを私は確信を持って指摘することができる。・・・」
あれから4年。
残念ながら私の「確信」は益々深まるばかりで、「ワーキングプア・蟹工船・派遣切り」など、新たな深刻な現象も発生した。
果たして、今回民主党が大勝し、「問題は何か解決する」のだろうか。
民主党は、確かに社会保障削減路線の転換など、小泉「構造改革」の一定の修正を迫る政策を掲げている。
連立する予定の社民党も、一定の釘を刺すのに貢献するかもしれない。
しかし、派手なバラマキやら官僚たたきやらで、一時的には国民の耳目を集めるかもしれないが、結局財界・富裕層が肥え太ってきた従来の路線に手をつけず、また米軍のグアム基地移転費用や「思いやり予算」「日米FTA」といった日米従属同盟を聖域とする立場に変わりがない限り、根本的な転換は望むべくもないだろう。
民主党の鳩山代表は、「自民党にももっとしっかりしてもらいたい」と、案の定エールを送っている。
彼らが望むのは、二大政党制により、聖域には決して手をつけず、政権を永続的にたらいまわしにする政治の構築である。
この二大政党政治が成った時、行き着く先は、「構造改革」を推し進めた、憲法の生存権と平和主義を放棄する米国式の剥き出しの資本主義の道である。
○変化を本流にするために
私は、他人を犠牲にして暴利を貪るような一部の人間を除き、誰もが安心して生活でき、平和のうちに生きることを望んでいると思う。
残念ながら、民主党政権はそれに相応しい仕事を成し得ないだろうし、たかが投票所で一票を投じるだけで、そのようなことが実現するとは到底考えづらいだろう。
しかし、ここのところ、一見するとどこの党が風を呼び込むかの「風頼み」で政治が動いているかに見えたが、この「マニフェスト選挙」はその傾向が必ずしも主流ではないことを示しているようにも思う。
本当に生活の安心を得て、平和のうちに生きることのできる政治とは何なのか。
今回示された、「政治を変えろ」の流れを本流にするためには、一票の行使だけではない、自ら考え、発信し、行動する人たちの輪をどれだけ広げることができるか、というところにカギがあると思う。

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