30年前とある町で午前4時過ぎに1032gの男の子が生まれました。
生まれつき視力が悪く右眼0、左眼0:1でよく眼下に入院をしていました(小学5年までに左眼を11回手術をする。)。
7歳まで一般の幼稚園小学校に通うが小学2年からもう学校へ転入。
視力は光しか見えなくなってました。
小学校時代は喘息持ちでよくぼーっとしてる子、大人しい子な過ごし方でした。
中学校から陸上を始め他にも野球やバレーボール卓球をするようになりました。
そのころ親が離婚し年子の妹と母方の祖母の家で過ごすことに!
妹とは1年後父の元へ行き離ればなれに!
陸上の顧問から怒られてよく泣いていましたがその中で団体行動の仕方や人としての関わり方を学びました。
高校からは筑紫野市のもう学校に通い始め福岡市の児童福祉施設へ入園をしました。
児童福祉施設は送り迎えつきのバスで通学、一人では遊びにいけないと言う自由がない場所でした。
遊びたい年頃でよく先生に反抗ばかりし時には悪いこともして停学を受けたことも!
針灸按摩の専門学校に入り「自由になりたければ免許を取るしかない。」と猛勉強をします。
その頃から父と妹に連絡を取るようになり父は再婚をする。連れ子さんがいましたが!
確かに自由は無かったけれど何かそれなりに楽しかったと今になって思います。
針灸按摩の免許を無事取ってから研修課程の学科へ進む。
寮へ入っていましたが週末は友達の家で遊んでいました。
研修課程を終えてからぼう企業でマッサージの仕事につかせていただく。
プライベートはグランドソフトボール(視覚障害者の野球)やブラインドサッカーをしながらメンタルヘルスの心理学を学んだり中国語を習っていました。
中国にも3回ほど旅行し国内もスポーツであちこちにいくようになりやっと自由を手に入れたと思うようになりました。
ここ最近はグランドソフトボールや中国語をしたりインディーズのライブを見に行ったりとしています。
30年、振り返ると早かったなあと思うし山有り谷有りだったと思います。
これからもそうだと思いますができる限り冷静さを保って対応できるように、すべては必然と思えるようにしていきたいと思います。
30代へ突入したからにはちょっとだけでも責任を持ち周りの関わっていただいてる方々に心から感謝することを行動できるようになりたいと思います。
まだまだ考え方が成長していませんが始めの1歩を踏み出せるよう勇気を持ちたいと思います。
父と母へ!
いつも心配をかけてごめんなさい。
元気に過ごしてるから大丈夫、もっと頑張っていきます。
二人とも元気に長生きしてね!
今まで有り難う、
それからこれからも宜しくね!
3人の弟と2人の妹、これから元気に楽しく笑って成長していってね!
頼りないけど何かあったら言ってきてね!
今まで私と関わっていただいた皆様へ!
まずは心より感謝いたします。
たた怒らせたことも有ったかも知れません。
しかし皆様はとても暖かく接し迎え入れてくださいました。
本当に有り難うございます。
これからは少しでも恩返しができるよう精一杯楽しみながら笑って何かのお役にたてるようしていきます。
こんなやつですがこれからもどうぞ宜しくお願いいたします。
さあ30歳、大人になれるよう頑張っていきます。
あとグランドソフトと中国語も!
この30年すべての方々、自然、出来事に感謝でいっぱいです。
有り難うございます。
30歳がさらにHAPPYで健康にいれますように!
ではスタート!

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