2009/11/24

諸外国から謙虚に学ぶ −武士という好戦性−  

菅原道真の遣唐船廃止の建議ののち、遣唐船という名目では廃止されたにもかかわらず、唐との交易ははるかに多量・多額になっていったことが最近の研究で報告されている。「国風文化」として日本の子供たちすべてが習う「国風」というのは、名目だけであることが理解できる。宮中の文化が残されるわけであるが、中国との交易はいっさい縮小されることはなかったのだ。(当時の唐との交易による権力と財力を得ていた支配層については別の機会にに考察をしたい)。ここでは、日本は基本的には近隣諸国との交易を通じて民族的紐帯を高め、国力を増強してきた歴史的経緯を強調しておきたい。このような歴史事実に対する歴史教育がなされてこなかったことは、これからの日本にとって大きな痛手となってくる。その一つの例は、脱亜入欧政策にしか近代化の意義を見出し得ないことは、日本の将来は惨憺たるものとなる可能性を秘めていることを解かれる識者が少ないことはいかがなものだろうか。

たとへば、1987年より韓国の民主化が急速に進んだ時、日本の一部は明らかに韓国よりも後進性を露呈した。それを覆うために、日本の高額所得者と韓国の人との結婚がメディアに流されることとなった。しかし、中国が、今後、民主化が進んだ時には、間違いなく、日本の明治クーデター政府は「好戦的武士」の精神を受け継いだだけのものであることが、あざやかに浮かび上がることとなるだろう。その時、日本の多くの人々は、これが日本の欧米化であったのか、とおそらく多くは失望をし、日本の中央集権への志向は加速度的に失われる可能性があるのだ。民主党がなぜ対中政策にこだわるのか、それは、戦後の世界秩序は、敗戦国日本とドイツを封じ込めるために構築されたのであり、日本の戦後を言いつくろってきた国内的あ価値観などは、海外ではいっさい通用しないことを基礎に置いているのである。

日本が世界のリーダーシップを取れない限り、日本の未来はないことは明確であり、日中友好はその担保として是が非でも必要なことなのである。


2009/11/23

崩れゆく日本 −共和国日本の展望−  

武士政権の外様藩の下級藩士によるクーデターは、見事に功を奏し、江戸幕府は崩壊、新政府は天皇親政を行おうとするも、欧米では時すでに立憲君主制の時代であり、日本国民にはあたかも大化の改新の御代、つまり詩情のなかで天皇を神と謳った万葉時代に範をとるかのごとくの意識を持たせつつ、欧米化を断行した。その柱となった天皇制であったが、華族はことごとく旧幕藩体制を支えた諸藩の大名と家老クラスであり、クーデターは、発展途上国で行われる旧来の統治組織と価値観を土台としたものであった。

日本の明治維新は、現在、発展途上国で見られるごく一般的なクーデターであったにもかかわらず、そこに意味を付加させていったところから、「日本人はどこからきたのか」、という議論がいつまでも続くこととなる。軍事力をロンドン、ニューヨークで売り出した戦争再建により賄いながら、戦役をかさねるわけであるが、第二次世界大戦では敗戦をしたにもかかわらず、国民には「終戦」をさらに強いることにより、明治クーデターを擁護し続けているわけだ。

もはやここまで。明治クーデターによる日本の欧米化は、欧米に対する敗戦とともに散る失せつつあるにもかかわらず、共同の幻想に浸ろうとする日本の指導層の責任により、日本は崩れつつある。日本に必要なことは、アジアの一国としての行政・立法・司法・外交の4権分立を機能させながら、大統領に権力の集中をおこなう共和国への道である。大和皇室を心から慕う人々は、その心をたいせつにしつつ、京都に移すことにより、「歴史的家系」として形式的なもので満足をして頂きたい。

すでに欧米の多くの王室は、名目となりつつあり、アジアにおける血統のつながりのない敗戦王室をかばうことなどは望むことは困難である。欧米における王統の維持のための政治的駆け引きとしての皇室・王室のつながりが現在の日本にとってそれほど重要であるとは思われない。ましては、アジアでは、戦争を行った王室が敗戦した場合には、多くは騒乱のもととなっている。

沖縄が台湾・上海と、九州が韓国と、日本海側が北朝鮮からウラジオストックと、北海道が、サハリンからアラスカと、日本史上稀にみる外交政策が求められているのである。ハワイは日系アメリカ人が命をかけて日本と戦おうとしてことを徹底して教育するべきである。

テレビの広告があまりにも高額過ぎるようだが、庶民への悪弊と陋習を何とも思わないような非常識な番組は慎むべきではないか。

2009/11/23

CSI が人気がある理由  

CSI は、Crime Scene Investigation (事件現場調査)の略だが、アメリカでも日本でもテレビ・シリーズとして爆発的な人気を誇っている。1990年代は Beverly Hills と X-File の時代であったと言えるが、ここ数年は、間違いなく CSI のテレビ・シリーズと言ってよいだろう。

CSI がなぜ爆発的な人気を誇っているのかには理由がある。1990年代以降、冷戦構造が崩れたことにより、国際的な緊張・紛争ではなく一国内の紛争が噴き出てくることとなる。つまり、イデオロギー論争の終結は、より明確な国内的価値観を求める動きを加速させている。90年代はその黎明期であり、未だ国内的価値観への収束には時間がかかった。X-File は、国内的な価値観を宇宙と周縁から第三者的に描く優しさがあった。Beverly Hills には若者の国内的価値観への収れんへの緊張感があったのだが、若者の価値観への再認識を楽しむようになっていた。

CSI では、有無を言わせない「正義」が貫くこととなる。この正義へのゆるぎない信念は、国内的価値観の「敷衍化」へとつながり、アメリカ一極主義と批判されるなかにあって、人々の正義感のよりどころとなりうるのである。

CSI が、CSI:マイアミ、さらには、CSI:ニューヨークと、本家本元の CSI に加えてあらたなシリーズを生み出し続けているのは、いかにアメリカの一般の人々がアメリカの正義を心から求めているかを端的に示していると言ってよいだろう。

CSI の3シリーズに重要な共通点は、主役の捜査官がすべて50代であるということだ。人々の社会に対するゆるぎない正義感と価値観を、彼らは好演しているが、そのなかでも、イリノイ州エヴァンストンというアメリカの価値観を代表する保守的地域で生まれ育ったウィリアム・ピーターセンの存在感は抜群だ。

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CSI 主役、ウィリアム・ピーターセン

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CSI:マイアミ、ディビッド・カルーソ、ニューヨークのクィーンズ生まれ

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CSI:ニューヨークのゲィリー・シニーズは日本でも「フォレスト・ガンプ」の好演で人気を博した。

2009/11/23

ガイスナー財務長官降ろしの大合唱 −中間選挙へ向けた共和党の布石−  

テキサス州選出のケヴィン・ブレィディ議員は、共同経済員会において、ガイズナー財務長官に対して、「現在の経済状況に鑑みて、財務長官の職を辞すことは考えないのか」、と露骨に問い糾した。これに対し、ガイズナー財務長官は、「ブッシュ政権の経済再策のために、アメリカ経済は1930年代の厳しいものになってしまった」、と反論をした。ところが、ガイズナー財務長官が厳しく批判をしたブッシュ政権において、ガイズナー氏は連邦準備委員会ニューヨーク州局長であったのであり、リーマン・ブラザーズの救済はせず、AIGへの巨額の政府公的資金を投入したことにかかわっていることから、厳しい立場に追いやられている。ブレィディ議員は、「共和党保守派と民主党リベラル派はともに、ガイズナー長官の経済政策が不適切であるため不況が長く続いている、と述べている」、と指摘した。保守の保守がリベラルのリベラルと手を結ぶことは実際にあるのであり、現実に対する人間の認識と批判の限界であるのかもしれないが、面白い現象だ。委員会では、モーリス・ヒンチー下院議員が、「この委員会の皆はあたかもオバマ大統領が就任してから経済が悪化したかのごとく装っているが、まったく間違った議論だ」、とガイズナー財務長官をかばった。共和党にしてみれば、来年の中間選挙へ向けて、少しでも民主党の基盤を崩すことが必要なのであり、そのためには、オバマ政権のどのような瑕疵につながることも、「まことしやかに」、取り上げる勇気が求められているところなのだ。

2009/11/21

ゴルバチョフを最も信頼した男  

ベルリンの壁が人々の手によって崩されたのは1989年11月9日。1961年に建てられ、実に、27年間、「一つの市」を引き裂き、冷戦時代の象徴となっていた。壁を乗り越えようとして約200人の東ベルリン市民が命を落とした。日本ではベルリンの壁崩壊20周年を祝う放送は少ないようだが、欧米では連日報じられていた。そのなかでニュースペーパーの一つの記事を紹介したい。

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1987年6月12日、ベルリンのブランデンブルグ門で演説をするレーガン大統領。「ゴルバチョフ氏よ、この壁を崩しなさい」は、歴史的な名演説となった。

11月6日付、ロサンジェルス・タイムズのジェームズ・マンの記事
Reagan at the Berlin Wall ベルリンの壁のリーガン大統領
なお、ジェームズ・マンは、日本でもベストセラーとなった『米中奔流』の著者。

1987年6月12日、レーガン大統領は西ベルリンを訪れ、ブランデンブルグ門において演説を行った。1963年のケネディ大統領の「Ich bin Berlinner (私はベルリン市民だ)」の演説を意識していたと思われるが、実際、歴史に残る演説部分、"Mr. Gorbachev, tear down this wall. 『ゴルバチョフ氏よ、この壁を崩しなさい』" は、その後のベルリンの壁崩壊から冷戦終結への一つの原動力となったと指摘されることが多くある。

このスピーチは、レーガン大統領のスピーチライターであったピーター・ロビンソンによるものだが、この部分を入れるかどうかについて、上司からは削除の指示が出ていた。しかし、ロビンソンは削除せず、そのままレーガン大統領の手元に渡った。大統領は、この部分を残すことを決定するのだが、大統領のアドヴァイザーたちは緊張を強いられた。なぜなら、ゴルバチョフ氏の改革は、当時からモスクワの守旧派により攻撃を受けており、レーガン大統領のこの演説が流れれば、ゴルバチョフはさらに窮地に追いやられることが予想され、レーガン=ゴルバチョフの核兵器削減交渉にも影響を与え、ひいては米ソ関係が冷え込むことも想定されたからだ。

ピーター・ロビンソンは、ダートマス大学で英文学を専攻、全優で卒業、オックスフォード大学にて哲学で2つ目の学士号を取得した。オックスフォードで大学院に進み、経済学と政治学を学び、1982年、24歳の時にレーガン大統領のスピーチライターに応募し、採用された。1987年のベルリン・スピーチは彼が30歳の時の「作品」だ。

ロビンソンの「作品」は、見事に功を奏し、レーガン大統領のこの演説は、その後の米ソ関係のあり方を強固なものとしながら、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊へと至る。壁崩壊の時、東ドイツの共産党書記長はホネッカーを継いだクレンツだった。モスクワに緊急電話をかけた。「東ドイツ政府は、どのように対応すればよいのか」、とゴルバチョフに「お伺い」をするためであったが、ゴルバチョフは、クレンツからの「問い合わせ」の電話をとることはなかったという。

ゴルバチョフを最も信頼した男、それは、ホネッカーでもなく、クレンツでもなく、レーガン大統領であった、と言えるのでありましょうか。

2009/11/20

スポーツは世界を変える?  

ロサンゼルス・タイムズの記事より。

中国の国家スポーツ総局長であった袁偉民(Yuan Weimin)氏は、本年10月に出版した著作において、2008年の北京オリンピック招致に際して、2001年にモスクワで開催された国際オリンピック委員会会合の際、ベルギーの当時のオリンピック委員会委員であったジャック・ロゲ氏を会長への支持の見返りに、北京オリンピックへの支持をとりつけたことを暴露している。ただ、実際にはロゲ氏はヨーロッパの2都市が候補にあがっていたことから、この約束には直接には従わなかったことも指摘している。同氏はさらに1990年代後半に中国選手が陸上競技において立て続けに世界記録を樹立していたにもかかわらず、オリンピックに出場しなかったのは薬物を使用していたためにドーピング検査をおそれたためであったことも暴露している。さらに・・・、と次から次へと中国スポーツ界の暗部を赤日のもとにさらけ出しているのだが、現在のところ中国語版のみであり、英語版や日本語版の出版が待ち望まれる。

ザ・ロサンゼルス・タイムズ 10月31日付 袁偉民氏の記事

中国元五輪委員会トップ 袁偉民氏の暴露本

このような暴露本に対して中国政府が沈黙を保っていることは、つまりは袁偉民氏がさらけ出した内容が真実であることを裏書きしているかのようだ。腐敗、賄賂が蔓延をしている中国政府では、地方自治体政府も含めて不正に対しては死刑の適用を行いながら、厳正に対処をしているわけだが、今回の暴露は、中国政府内部から批判をしようものなら、自らに火の粉が舞い降り、死刑とはゆかないまでもかなりの量刑を覚悟しなければならないのだろうか。中国政府の沈黙は、とりもなおさず、中国社会が自由に批判ができるような社会に近づいていることを示しているのかもしれない。このままでは、国家の威信をかけたスポーツ大国である中国は、そのスポーツの在り方から、民主化への道を歩まざるを得ないことになる。

スポーツは、世界を、いや少なくとも中国社会を変えつつあると言えないでしょうか?

2009/11/18

東郷重徳 −外交関係の情熱について−  

東郷重徳は外務大臣として日米開戦に最後まで一貫して反対の立場であったとされる。当時の外務省は英米派として日米間の修復に最大限の努力を行っていたと言われているが、軍部独走体制においてはいかんともしがたい情勢であった。東郷重徳は開戦直後、帝都東京にたれこめる暗雲を拭い去ることができなかった悔恨の情を披歴している。東郷にとって日本の命運は日米開戦とともに尽きることのないことをひたすら祈ることしかなったのだろう。

さて、東郷重徳は鹿児島出身であるが、いわゆる秀吉の文禄・慶長の役における朝鮮半島への侵攻の際に、朝鮮から連れて来られた陶工の子孫である。東郷の父の朴寿勝は、士族株を購入することにより「東郷姓」を名乗るようになった。重徳は子供の時から優駿の誉れ高く、東京大学文学部ドイツ文学科を卒業後、ドイツ文学者を志したものの、外務省に入省し、2度のドイツ赴任を経験した。1919-21年には対独使節団として赴任をし、ドイツ人女性エディ・ド・ラロンドと結婚をした。二度目は1937-38年でありドイツ大使としてであったが、ドイツ文学への憧れの強い東郷にとって、リッペントロッフをはじめとするナチス・ドイツに対する批判は、辞職へと至ることとなった。その後、旧ソビエト大使を務めたのち、1941年の東郷内閣発足とともに外務大臣となったのである。

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東郷重徳(1882-1950) ナチス・ドイツを嫌悪し、日米開戦を回避すべく全力を傾けた

2009/11/16

児童労働と英豪関係  

オーストラリアのラッド首相は、昨日、20世紀に英国からオーストラリアに、15万人の児童が「労働力」として連れて来られたことについて、"Sorry" とお詫びの言葉を述べた。主にユダヤ系の子供たちを中心に、その数は15万にも達していた。新天地のオーストラリアの白人労働力として過酷な環境にたえなければならなかった。白豪主義のオーストラリアの暗黒部分が労働党政権により、白日のもとにさらけ出されることは、オーストラリアの人々にとって恥部をさらけだされたことになるが、当時、児童であった人々もオーストラリアにおいて立派な市民となられておられるのであるが、今なぜ、国家による謝罪が行われることになったのか、詳報が待たれるところである。来年早々にも、具体的な救済策が発表されることが報じられていたが、1975年にゴフ・フィットラム首相のもとで白豪主義を放棄して以来、多文化主義を標榜し続けてきたオーストラリアに、「白人至上主義」の内部的歪みを正さない限りには、多文化主義も機能しなくなるところまできているのであろうか。

日本の恥部を国家が謝罪をすることなど、武士政権の亡霊の上に成り立っている限りには、「思いも及ばぬ」、ことなのかもしれない。近隣諸国において差別に苦しむ人々のためにも、日本は歴史的恥部を諸国家に明確に示しながら、謝罪と救済の意志を明確に示す時代がもうそこまで来ていることに気がついていない人々が多いのではないだろうか。

2009/11/15

クリスマス・ツリーと環境保護  

マンハタンのタイムズ・スクウェアは、世界からの観光客を連日集め、さながら「世界の縮図」のような観を呈している。

そのタイムズ・スクェアの53番街だったと思うが、西へ2ブロックほど歩いたところにロック・フェラーセンターがある。日本の紀伊国屋書店がすぐそばにあるため、日本の観光客も多く集まる。

このロックフェラー・センターにおいて、恒例のクリスマス・ツリーの準備が始まったことがザ・シチュエーション・ルームで報じられていた。このクリスマス・ツリーに、オーストリアのガラス工芸のスワロフスキ−の輝く装飾が、3万個以上ちりばめられ、さながら天上の光景を彷彿とさせる。

さて、今年のクリスマス・ツリーは、ニュージャージー州から切り出されたものだが、ザ・シチュエーション・ルームで、切り倒されるところが放映されていた。ハッキリ申し上げまして、「もったいない」、という気持ちを見ているものは抑えることはできないのではないでしょうか。何十年もの時間がかかったであろう20メートルほどに成長をした立派なもみの木を、数分で切り倒すことは、自然への冒涜に他ならない、という思いがふつふつと沸いている。

実際、アンカーマンのウルフ・プフィッツァーの言葉にも、「こんなことを行っていても良いのだろうか」、という思いが、その解説に暗に示されていたように聞こえた。

クリスマス・ツリーは、19世紀ごろからのドイツ・プロテスタントの習慣にすぎないのだが、今では世界中で、キリスト教の「お祭り」になってしまっている。そこには精神性はかなり希薄であり、その証拠に非キリスト教圏においても盛んに「真似」られるようになっている。単なる消費社会を楽しむことだけが横行するのであるが、消費社会は、生活そのものであることから人々は「非精神的象徴」を楽しもうと必死になる、いや、必死に楽しむことを強いられるかの如くだ。

日本がキリスト教化されるのはいつのことになるのでありましょうか。

豊かな日本の自然と日本人との間に培われてきた数千年、数万年の時の経過をまったく考慮もしないかのような、現代日本のムラ社会が精神的不毛であることをあまりにも明確に象徴をしながら、人々への「警鐘」となっているのでありましょう。(エィメン、南無阿弥陀仏、かむながら、アッラー・・・)

2009/11/14

オバマ大統領の誤算  

11月1日、オバマ政権は米国のアフガニスタン増派に対する決定は、オバマ大統領のアジア歴訪後となることを発表。

11月1日、米国と韓国は、北朝鮮の不測の事態に対する二国間の覚え書きに調印した。6カ国協議の枠組みがあるが、アメリカの超大国としての二国間外交の成果。

11月10日、北朝鮮と韓国の海上における銃撃戦が報道される。人々は朝鮮半島が一触即発の状態であることを認識させられる。

11月12日、CNNは、北朝鮮と韓国の海上における銃撃戦は、作られたものであったことをスッパ抜いた。この「共謀説」については日本で報道されてはいない。

11月13日、オバマ大統領訪日。アフガニスタンと温暖化などが「主要議題」として記者会見を行う。

一連の流れを追えば、オバマ新政権が、「アフガニスタンへの増派」、「中国への圧力としての北朝鮮と韓国の銃撃戦」、をアジア歴訪においてもくろんでいたことがわかる。6カ国協議の議長国としての中国に対して朝鮮半島での銃撃戦は、中国への手詰まり感をさらに増長させることになり、アメリカの東アジアでのリーダーシップを求めさせることになる。

しかし、CNNのすっぱ抜いた情報に現れているように、オバマ政権にとってアフガンへの増派も中国への外交圧力も、あまりのも小手先の観が否めない。

アメリカはアフガニスタンの8年に及ぶタリバン掃討作戦、パキスタンの核兵器の管理、中国の国内不安などに対して有効な手立てを打つことができるのだろうか・・・。



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