2009/6/21

歴史とは何か −フランシス・フクヤマの場合−  

歴史とは何か、という問いはおそらく20世紀初頭に意識をし始められたことは間違いないことでありましょう。第一次世界大戦における秘密条約の暴露。このことこそが国家の記録に対する決定的な懐疑が一般の人々にも意識されるきっかけとなったわけであります。それまでにも歴史とは何かを問い掛けた哲学者はいたわけでありますが、到底、現在の私たちの疑問に応えるような形式の思考ではなかった。また、ドイツ実証主義に対する懐疑もわすれてはならないわけでありますが、これも突き詰めてゆけば国家に対する懐疑であるわけでありますから、歴史とは何かを問いかけることは、国家とは何かを問いかけることから始まった、と考へて間違いないでありましょう。フランシス・フクヤマの歴史の終焉は、見方を変えれば国家の完成を意味しているのでありまして、この点からみればフクヤマの思想的背景はヘーゲルあたりにあるわけであり、カントの理性批判とは対極の保守的歴史思想家なのであります。ただし、フクヤマはその後、イラク戦争に対して反意を表明しており、過去にすべてゆだねながら利益を最大にするリアリズムからはみ出してしまったかのように、ネオ・リベラリズム的な将来を見据えた保守の道を歩み始めていると指摘できるのではないでしょうか。





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