2009/6/24
易姓革命 −伝統的解釈のシステム論的弱さ−
周王朝が紀元前11世紀に殷王朝を倒した際、「天帝の命」をどのように解釈するかが大きな問題となったことは、容易に推測できる。当時の中国社会では、「天帝」という用語は、殷王朝の祖先神として人々の崇敬を集めていたのであり、周王朝が王位を手に入れたからと言って、「天帝」という殷王朝の祖先神を、「周家の祖先神でもあるのだ!」、などと宣言することによって正統性を人々に知らしめようとしても、秩序を維持することは出来なかったことは、あまりにも明らかだ。
そこで持ち出された論理は、「天帝」は殷王朝の祖先神ではなく、実は「正義の神」だったのだ、ということだ。このように「天帝」の定義をまったく新たに書き換えることにより、周王朝が「天帝」から「命」を受けて統治を行うことへの絶対的な正統性を獲得しようとし、事実、獲得に成功をしたのだ。
日本では中国研究の専門家でさえも、易姓革命(えきせいかくめい)を単に王朝が換わる際の「天帝」の「命」である、と説かれているが、実際には、殷王朝から周王朝に換わった際に、「天帝」の性格と定義が決定的に変えられ、「祖先神」から「正義の神」という新しい王朝にとっての正統性の付与に使われ始めたことを強調されることはほとんどないことは、どうしたことだろうか。
社会システムの多くは初期値が最も重要である、ということを決定的に示した例として、中国3千年の易姓革命を忘れてはならないだろう。
そこで持ち出された論理は、「天帝」は殷王朝の祖先神ではなく、実は「正義の神」だったのだ、ということだ。このように「天帝」の定義をまったく新たに書き換えることにより、周王朝が「天帝」から「命」を受けて統治を行うことへの絶対的な正統性を獲得しようとし、事実、獲得に成功をしたのだ。
日本では中国研究の専門家でさえも、易姓革命(えきせいかくめい)を単に王朝が換わる際の「天帝」の「命」である、と説かれているが、実際には、殷王朝から周王朝に換わった際に、「天帝」の性格と定義が決定的に変えられ、「祖先神」から「正義の神」という新しい王朝にとっての正統性の付与に使われ始めたことを強調されることはほとんどないことは、どうしたことだろうか。
社会システムの多くは初期値が最も重要である、ということを決定的に示した例として、中国3千年の易姓革命を忘れてはならないだろう。