2009/11/18  17:17

東郷重徳 −外交関係の情熱について−  

東郷重徳は外務大臣として日米開戦に最後まで一貫して反対の立場であったとされる。当時の外務省は英米派として日米間の修復に最大限の努力を行っていたと言われているが、軍部独走体制においてはいかんともしがたい情勢であった。東郷重徳は開戦直後、帝都東京にたれこめる暗雲を拭い去ることができなかった悔恨の情を披歴している。東郷にとって日本の命運は日米開戦とともに尽きることのないことをひたすら祈ることしかなったのだろう。

さて、東郷重徳は鹿児島出身であるが、いわゆる秀吉の文禄・慶長の役における朝鮮半島への侵攻の際に、朝鮮から連れて来られた陶工の子孫である。東郷の父の朴寿勝は、士族株を購入することにより「東郷姓」を名乗るようになった。重徳は子供の時から優駿の誉れ高く、東京大学文学部ドイツ文学科を卒業後、ドイツ文学者を志したものの、外務省に入省し、2度のドイツ赴任を経験した。1919-21年には対独使節団として赴任をし、ドイツ人女性エディ・ド・ラロンドと結婚をした。二度目は1937-38年でありドイツ大使としてであったが、ドイツ文学への憧れの強い東郷にとって、リッペントロッフをはじめとするナチス・ドイツに対する批判は、辞職へと至ることとなった。その後、旧ソビエト大使を務めたのち、1941年の東郷内閣発足とともに外務大臣となったのである。

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東郷重徳(1882-1950) ナチス・ドイツを嫌悪し、日米開戦を回避すべく全力を傾けた






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