2015/2/15

ラブフルートを作る旅・少し振り返り  ラブフルート

ラブフルートを作ること。その歩みは、試行錯誤の連続。課題は幾つもある。

それなりの形を作る事は、さして難しくはないし、少し器用な人ならば簡単に形作ることができるだろう。

構造は単純で、音が出るようになるのも、少し集中すればさして難しくはない。音階を作る事も、ちょっとした手順と根気があれば何とかなるだろう。

では、何故試行錯誤を繰り返すのか。ひとつは、呼吸と響きの関係。それは繊細で緻密な領域です。フルートの形状や音色が手にする人の心にも身体にも繋がっている。

笛を作って吹く。それは単純な事であり、誰でもそれを望めば可能だ。必要ならば、インディアンフルートキット販売のサイトに行くこともできるだろう。

ただ、吹いている時その人の身体や心にどんな影響を与えるかを考えると、闇雲にこれをどうぞと手渡すことが出来なくなる。或いは、こんな風に作ればいいとも言いにくくなる。

歌口の形状が身体にどんな状態を起こすのか。吹き込む穴の形状が身体と吹く人の意識にどんな状態を生み出すのか。

ラブフルートの構造がもたらすものが何なのか。それを模索しながら、歌口からのスペースを探り、内径と全長、樹種が持つ特性と響きの関係を何度となく捉え直す。

同じ樹種であっても、形成されている細胞の状態で特有の響きが生まれる。本体の形状がもたらす響きの違いを感じ取り、個々の木にとって望ましいポイントがどこにあるのかを手探りする。微細な振動を感じながら、微妙に削ったり形状を変えていく。形を作るのではなく、響を生み出すこと。

個々人の身体や心の軌跡を真摯に受け止めようとすれば、音楽教育の延長線で似たようなフルートを量産する気にはなれない。個々の人間に類似性の高い物を与えて、用意された楽曲を提供し、模倣と優劣の評価。

こういうアプローチが個々人の自己認識や他者の認識の土台となり、自覚の有無にかかわらず現実を生み出していく。勿論、こういうスタンスにも良い点はあるし、上手く消化して行くことも出来るだろう。ただ、あまりにも偏り過ぎな気がしている。

インディアンフルートという、比較的認知度の少ない楽器が、好奇心を刺激し始め、ある種の流行りになるだろうことは製作を始めた当初から予想していた。だからこそ、敢えてラブフルートという呼称を使い続けて来たとも云える。愛という言葉の重みを感じ続けている。

それは単に類似したインディアンフルートの拡散ではなく、精神的基盤をしっかりと受け継ぎ、それに相応しい取り組み方をする必要を感じての事だ。

ラブフルートという呼称を単なる求愛に使われたので…という説明で終わらせている事が多いようだが、求愛がもたらす深意を、恋愛に置き換えて終わるのは残念な気がする。

人が人を愛する。僕のフルート作りは、それと真摯に向き合うひとつの選択なのだと思う。その土台を探るために、長さも形状も構造も、画一的ではないものを手掛け試行錯誤を続けて来た。

お会いできた方に関していえば、その呼吸の状態、持っておられるエネルギーを感じながら、これまでの歩みと、これからの歩みを感じながら作り始める。

結果的になかなか手が付けられないものと、比較的速やかに手を付け始めるものがある。お一人のために、数本手掛けて、ゆっくりと絞り込んでいくことも珍しくない。

バードもしくはトーテムと呼ばれる小さな部品は、傾斜や高さ、形状によって全く異なる風を生み出す。一本のフルートの状態や樹種にとってどんな形状が、どんな風や響きを生み出すのかを感じ取るために、100種類ほどの試作したバードを付け替えてみたり、時には新たなものを作る。

それは単なる機能だけではなく、色彩やデザインも考慮し、フルート全体のイメージを生み出していく。デザインは当然のように内面と繋がっていく。

なぜ、素朴な一本のフルート作りに試行錯誤が繰り返されるのか。その一端を書き綴ってみた。その土台には、自己認識を研ぎ澄ませていく密かな時間、出会う方々との誠実な心のやりとりがある。

木製の素朴な縦笛が、単なる好奇心や趣味の世界から、より豊かで深遠な自己洞察の道に誘う密かな知恵。人生の旅路の杖としてお渡しし、お一人お一人から生まれる響きを楽しみたいと思っている。声を掛けていただき、作らせて頂けることを感謝しながらの旅はどれくらい残されているのだろう。

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